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【エッセイ】ファミチキの葛藤

小腹が空いたな。

そう思ってコンビニのホットスナック什器に目をやり、私は息を呑んだ──右より左のファミチキのほうがでけえ。二回りほど。まるでファミチキの親子が並んでいるかのように。

細かいことにはあまり頓着しない私でも、さすがにこの差は見過ごせない。マリオとスーパーマリオくらい違うし。卑しい男と思われようと、どうせ同じ金額を払うのなら、得られる価値が大きいほうがいいに決まっている。違うかい?

だって食べたいもん。大きいほうのファミチキ。小さな幸せをおれにわけてくれよ。

そこで右側のレジを見る。いつも元気なお姉さんが立っている。

脳内データをすばやく参照する。この人は常に手際のいい優秀なスタッフだが、この局面に限っては、その効率志向が裏目に出るのではないか。いつだって動きに無駄のないこのお姉さんはきっと、より自身の手元に近い、右側の小さいファミチキを無心で掴むはずだ。たとえ二個のファミチキの差に気づこうと、彼女のルーチンは乱れない。おそらく。

次に左側のレジを見る。さゆりちゃんがいる。

さゆりちゃんはかれこれもう三年近く、この店でレジを打っている、推定八十歳近い老婆である。ロックだ。年齢のせいもあって動きは遅いが、そもそもこの歳で複雑なコンビニ業務をこなしていることが驚異だ。だから私は彼女をひそかに尊敬していて、レジがさゆりちゃんの時はいつも敬意を込めて、商品の袋詰めを買って出ている。そのつど「すみませんねえ」と礼を言われる。

だからそう、さゆりちゃんは私に好印象を抱いているのではないか。だとすれば、この場面ではその好印象が、二個のファミチキのサイズの差に気づいたさゆりちゃんに、大きいほうのファミチキを──いつも袋詰めを手伝ってくれてすまないねえ、これはせめてものお礼ですよ──選択させるのではないか。加えて、現在のポジショニング。左側の大きいファミチキを掴むとしたらやはり、左側のレジにいるさゆりちゃんのほうが自然に思える。

よし、さゆりちゃんでいこう。勝負に出る。

「ファミチキひとつ」と、私は努めてさりげなく、さゆりちゃんに伝えた。

さゆりちゃんが「はい」と答え、いつものごとくゆっくりとした動きでホットスナック什器へと歩み寄る。全米が息を呑む。私も息を呑む。それからさゆりちゃんが手を洗い、トングを手にして──取った。大きいほうのファミチキを。

わあああああああああ。やった、やりました。とら猫選手。

おれは心の中で、まるでワールドカップに優勝したかのように大きく三度ガッツポーズを決め、気がつくとインタビューにも応じていた。

「ええ、さゆりちゃんの絶妙なアシストが決め手でした……」

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“コトバと戯れる読みものウェブ”ことBadCats Weekly、本日のピックアップ記事はこちら! “ヤケド注意”のライターこと、チカゼさんによる『リリーのすべて』に絡めた映画エッセイ。まさにチカゼさんにしか書けない一編。読めばきっと、その意味がわかります。

寄稿ライターさんの他メディアでのお仕事も。noteでも人気のエッセイスト、みくりや佐代子さんが“ものがたり珈琲”というサービスに、短編を寄稿されたそうです。サブスク式に毎月、コーヒーと小説が届くとか。

最後に編集長の翻訳ジョブも。異星の海に消えたパートナーを探す、ノベルゲーム風アドベンチャー『In Other Waters』をどうぞ。斬新なゲームに飢えている方に、おすすめの一本です!


これもう猫めっちゃ喜びます!