【ゲームとか翻訳話】『スカーレット・フッドと邪悪の森』〜molassesって何よ〜
翻訳を担当しました、横スクロール型パズルアドベンチャー『スカーレットフッドと邪悪の森』がSwitchでリリースされました!
学園ADV『コーマ』シリーズや、ローグライクRPG『ヴァンブレイス』などで知られるDvora-Studioの最新作となります。国内版リリースは『コーヒートーク』などのコーラス・ワールドワイドさんです。
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では、翻訳の話を。
本作の魅力のひとつは、田舎町からポップスターを目指す主人公スカーレットなど、愉快なキャラたちが繰り広げる、ユーモアたっぷりのポップな会話です。
冒頭からこんな調子で始まります。
まず、molassesで引っかかります。これは「糖蜜」という意味で、ぼんやり直訳すると、
「みんな糖蜜よりも遅かった!一体何をしてたのか?」みたいになります。
わけわかりません。
そこで調べます。翻訳の九割は調べものです。すると、このmolassesはslower than molassesという慣用句の一部で、「ものすごく遅い」という意味だとわかります。ふむふむ、なるほど。
ならやっぱ「みんな糖蜜よりも遅かった」でええんや!
とはなりません。それは英文解釈的には十分であっても、翻訳、特にゲームの「ローカライズ」ではあかんのです。
なぜか。
そもそも「糖蜜」と聞いて、ピンと来る方のほうが少ないのではないでしょうか。おまえが無知なだけじゃねという噂もありますが、私はピンと来ませんでした。ネットで調べて「糖蜜」のことがわかっても、今度はそれと「遅い」とが結びつきません。
え、「糖蜜」だからってなんで遅くなるの?
と、首を傾げてしまうのです。
ちなみに「糖蜜」とはこんなもの。
黒すぎだろ。
翻訳びとの親友ことグーグル先生によれば、「糖蜜」(モラセス)とは砂糖を精製する際の副産物で、そのため「廃糖蜜」とも呼ばれるそう。色合い的に「黒糖」が思い浮かびましたが、「黒糖」が顆粒状であるのに対し、「糖蜜」は粘り気の強い液状で、似て非なるものとのこと。
これで「糖蜜」のことはよくわかりました。
けど、なぜそれが「遅い」のか。
糖蜜は海外では主に、クッキーなどの味付けに使われるそうですが、ご覧のとおりドロドロなので、瓶から注ぐ際にもんのすごい時間がかかるんですね。もうチンタラしてるわけです。そこから「糖蜜=遅い」という等式が生まれたようです。
slower than molassesは、こうした糖蜜との結びつきが強い文化の中でこそ、成立する慣用句であり、ジョークなわけです。おそらくそのまま日本語に置き換えても、ピンと来ないプレイヤーが多いのでは──そんなふうに感じました。しかも冒頭だし、しくじれません。
ゲームの翻訳では、もちろん原文の意味を汲んで正確に訳すことが大前提ですが、その上で「プレイ体験」を訳すことが極めて大切です。
英語圏のプレイヤーが「悲しい」と感じる場面では、日本語でも「悲しい」と感じさせないといけませんし、「可笑しい」と感じる場面では「可笑しい」と感じさせないといけません。
まあ、それはどの翻訳でもそうなんですけど、文芸や字幕のように「ルビ」が使えないゲームの翻訳ではよりいっそう、直感的にそうした体験が得られることが求められます。
ゲームの面白さとは、そういった「体験」の積み重ねでもあるため、翻訳が正しくても「体験」が訳されていないテキストは、ゲームでは時に正しくないのです。この辺りは「ローカライズ」や「カルチャライズ」といった考え方と関わってくるのですが、話すと長くなるのでいずれまた。
勢いづいてさらに調べてみると、slower than molassesという表現は南部発祥であるとか、1919年のボストン糖蜜災害(ウソみたいな本当の事故)が起源であるとか、諸説あることも判明。かなり昔からある表現みたいですね。ちょっと古臭い、ベタな言い回しなのかも。さらには上位互換のslower than molasses going uphill in Januaryという言い回しがあることもわかりました。一月は寒いので、糖蜜の流れがより遅くなると。しかも上向きなんて無理ゲーだろ。面白い。
そうなるとここは日本語でも、ちょっとベタなジョークを聞いたときの「クスッ」感を引き出さないといけません。それがここでの「体験」を訳すことになるわけです。
ジョークを翻訳する際、私は基本的に以下の3つのアプローチを採ります。
なるべく原文どおりに日本語に置き換える。
それが難しければ、どこか一部だけ原文と同じものを使ったジョークを考える。
それも難しければ、いっそもう大胆にアレンジする。
slower than molassesの場合、原文どおりに訳しても、すぐにジョークだと伝わらないリスクがありそうです。かといって「糖蜜」を使った、別のジョークやダジャレを編み出そうにも、そもそも「糖蜜」が文化的に馴染みのない食材のため、二番目のアプローチも難しい。
そこで、ここはもう大胆にいきました。こういった時に一番やってはいけないのは、原文を取るかアレンジするかで、どっちつかずになること。二兎を追うものは一兎をも得ず。ただし、必要に応じて、クライアントさんへの申し送りをお忘れなく。そこはケースバイケースで臨みましょう。
頭から湯気が出るほど悩みに悩んだあげく、結局こんなふうに処理しました。
苦笑して頂けたなら何よりです。
同じスタジオの『コーマ2』も面白いので、よかったらぜひ!
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