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大学院を中退した話 学部生編 その1

どうも。AKiRAです。

大学院中退の話をします。

話が長くなるので(1)学部生編(2)大学院生編(3)中退編

3つに大別した上でそれぞれ徒然と書き下します。


研究室選び

大学院へ進学した方々には当たり前かもしれませんが、理系大学生の大半は学部4年生で卒業研究を行う研究室を選びます。

そして特に自然科学系や工学系はそのまま研究室に属して大学院へ進学します。

私が在籍していたのは旧帝大学の理学部でしたので院進学率は80%以上でした。

昆虫が好きだった私は、昆虫を取り扱っているかつその大学院の看板研究室を選びました。


これがすべての始まりでした。


おしなべて研究室に入る前と実際に入った後では少なからずギャップがあります

それらを見極められなかったため、「セクハラ」「パワハラ」「アカハラ」の三重苦に苛まれて精神を病み、中退せざるを得ませんでした。


研究室配属直後、少しだけの平和な期間

配属直後は、教授(ボス)と話し合い、よくある既存の研究の引き継ぎで卒研を進めることにしました。

特に不満もなく、新しい環境に目をキラキラとさせていたことを覚えています。

私の研究室では、お昼は可能な限りみんなで学食に行くのが慣習でした。

そこでボスをはじめ、ポスドク(ポストドクター、簡単に言うと国から給与をもらって一定期間研究する教授見習いみたいなもの)やドクター、マスターとコミュニケーションをとります。

所属していた研究室は比較的大所帯でポスドクが4人、博士過程が2人、修士課程が2人、学部生は私含め2人でした。

話すのは得意だったので、割と早い段階から打ち解けていたと思います。


そのお昼の話題が問題でした。

ボスはとにかく下ネタ好きで、誰かをいじることで笑いをとる人間でした。

私自身いじられるのは慣れてはいたのですが、ボスのそれは少し異常でした。


昼間から他にも人がいるなか、堂々と下ネタと品性を欠くような貶しかた。

いつも特定の誰かを標的にして晒し上げていたように思えます。


そのときはあるポスドクがターゲットで、ポスドクという立場からボス以外からはそこまで激しいいじりはなかったです。

とにかくそのときは「そういうもんだ」という理解で私も一緒に笑っていたと思います。


誰かがターゲットになっている間、自分は安全でしたから。


この時期が最も平和でした。


秋口、研究が進まない。

そして夏休み(といっても生物系なのでせいぜい3日ぐらい)前に、コース(研究室が複数所属しているある一定の方向性を持ったグループ)全体での進捗発表会がありました。

この時期、そこまで進捗がよくなく、色々と言われながらも、なんとかごまかしました。


理由としては、所属していた軽音系サークルでバリバリ活動をしており、研究にはあまり熱がはいっていなかったのです。

一応、それなりに勉強はしてきたので理論はわかるのですが、如何せん実験をトライ・アンド・エラーする必要があり、面倒くさがりの自分は無意識に研究をさけていたと思います。

ここらへんの話は割と自業自得なのでいたしかたないと思います。


それでも休まずなんとか研究や定期的な英語での輪読会、論文紹介をこなす日々で少なからず達成感を覚えていたと思います。

またこの時期までは、博士課程への進学を選択肢として残していました。


けれども相変わらず日頃から目にするボスやポスドクによる執拗ないじりには乾いた笑いしかでませんでした。


卒業研究に向けてそろそろ結果をそろえる時期、私はあまり実験ができず焦りがでていました。

実験ができていない、というのは研究室の雰囲気が私にとって抵抗あるものになりつつあったのが原因です。

それは先も述べたように、ボスとポスドクによる限りなくいじめに近い「いじり」でした。


自分で言うのもなんですが、私はそれまでの人生においてこんなに品性を欠く人と関わったことがなかったので、嫌悪感が生まれていたのです。


別記事で述べる予定ですが、私の育った環境はおそらく相当に平和で良い人ばかりだったからです。


閑話休題。


そして私がターゲットとして「いじり」を受ける立ち場になります。


学部生編その2へ続く。




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