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言わずとも察してほしいなんて思っちゃなかろうか

先日、自分の中で”もやもや”しすぎて上のようなことをつぶやきました。

上でいう勉強会って何かというと、実は今「介護職員初任者研修」という、介護施設で働く人には取っておいてほしいといわれている最初の資格です。

だからといって、私は介護施設に転職をしようとしているわけではなく、目的があって資格を取得しようとしているのですが。

ちなみに、私は介護については初心者。全くなにも知らない状態のド素人です。今回のカリキュラムは4か月で修了できるもので、その構成は、始めの三分の一くらいの時間をひたすら座学、時にディスカッションが入ったりし、後半はほとんど実技に時間を使い、通学での座学と実技の時間以外に自宅学習とレポート提出を4回。実技実習が終わった時点で一度テストがあり、未経験者は実地研修を一日見学と体験をしたあと最終的に終了試験に合格すれば免状がもらえる、という流れになっています。

私がつぶやいたもやもやは、上述したディスカッションでの出来事です。しかも一度だけではない。たった4か月間だけの講義を受けるだけの仲間として互いに出会ったわけだが、当然昔からの友人関係ではないため互いがどういう人物なのかわかるはずもない。そのため、その人の経験測と置かれている状況から一方的にその人のことを評価、あるいは判断してくるのである。

「さあ、みなさん!〇〇についていろんな意見をお持ちだと思います!皆さんで話し合って意見をまとめて発表してください!」という場面において、介護職経験者からも場のとりまとめと発表役を一身に投げられてしまう、という状況になってしまった。誰も一言も言葉を発さないので、私が話を切り出すともう、「この講座受講生というコミュニティの中のなんでも任せられるリーダーはこの人だ!」と即座に全員からカテゴライズされてしまったわけだ。以後、ディスカッションの機会があると、当然のように皆さんの視線は最初に私に注がれ、流れで「そのまま発表役もお願いできますか?」となる。一瞬空気を読んでしまったがゆえに、あと3か月、わたしは「積極的に意見をバシバシいうやつ」というレッテルを貼られたままやっていくのだ・・・まぁ、まだ「お願いできますか?」と許可を得ようとする聞き方であることだけがまだ私を救っている。

しかし、こういった経験は当然今回が初めてではなく、直近だと去年の夏にも同じ経験をしている。ハローワークの職業訓練校に受講していた時の話だ。

その学校でも職業訓練の一環としてグループワークがあったのだが、自分が仕切っていこうって人は全くなし、結果やはり私が毎回仕切るハメに。けど、いつも同じ人じゃよくないってことである時じゃんけんにした。すると、勝った人が、よかったぁ〜って安堵するのだ。感じたのは、まさにお客様体質。察してくれと。常にもてなされたい側ってやつ。ほんとに社会経験あんのかみんな、とさえ思った。

みんなの意見をまとめたり人前で意見を言うってことができない人だっているんだとかいう人がいる。そして、それについてはわかる。でも、そんな人は就活の面接通りますかと問いたい。その職業訓練校はwebのスキルを学ぶための学校だった。一応応募者多数の中で合格した十数人だったが、結局みんなwebスキルを身につけることができればそれでいい、なんだよね。
感覚的に、webスキルを学んで、在宅ワークあるいは自分で事業を立ち上げたいといった、今でいう「自由な働き方」を実現させたいという人が半数はいるように思えた。企業に属さずってやつです。さらには私だってそっちを目指す側の人間。もちろん、全体的にモチベーション高い人や、意見を進んでだしてくれる人だって中にはいる。できないけど努力してる人はむしろ尊敬します。がんばろうねってなるんです。でも、webスキルを身につけられたとしても、結局商売って人と人との関係だと思うのです。自分の意見言えなきゃ、どうやってクライアントと意思疎通させるのよ。もちろん自分の意見だけ一方通行ではいけないというのは前提の話だけど、フリーの方が自分の営業力だったりが試されるってよく聞くけど、私もそう思う。

一方、「それはできる側の言い分だよね」という人もいる。そういうの得意なんだし、嫌じゃないんだったらやったらいい、と。「本当に苦手な人もいるんだ」と。確かに、私は意見を発表する、あるいは、話し合いをまとめるといったことは割と得意な方だとは思っている。でも、私が言いたいのはそういうことではなく、みんなで協力してやっていくってこと。他人任せにすりゃ楽だわ~、あの人そういうの好きみたいだし。・・・っていうの?そういうのがこちら側としてはとても不快に感じるしもやもやする。もちろん、実際にそう言われたわけでもないし、どこかで言っているのを聞いたわけでもない。介護職員初任者研修の話で、講師の方が受講生一人ひとりに順番に意見を求めて回るという機会が何度かあるなかで、その時のみなさんの受け答えや話の長さ、内容など聞いていれば「本当に苦手な側」なんてそこには一人もいないことがわかる。私は取りまとめ役が嫌なわけではないけど、ただ、私がやることでその場がうまくいくなら、と毎回無言のパスをされることにより引き受けているのである。

ならせめて、「いつもありがとう」くらいいってほしいものだ、と思っていたちょうどその時、隣の席の女性が「いつも発表とかいろいろしてくださってありがとう」と言ってくれたのだった。私の気持ちが伝わってしまったのか!?顔にでも出ていたのか!?と、ドキドキしてしまったほどのタイミングだった。でも、その言葉をもらえたおかげで、その日は気分が違った。

ちょっとしたことでも、気遣いって本当に大事なのである。そしてそれが言葉であるとより伝わりやすい。少なくとも、隣の女性は毎回私に感謝してくれているということが分かった。もしかしたら、もっと同じような気持ちを持ってくれている人もいるかもしれない。でも、それはわからない。

言葉でなくても、なんらかの行為で伝わるのであればそれでいいとは思う。でも、いくらわれわれ日本人が「空気を読む」ことに長けているからといって、超能力者ではないし、なんとなく感じることはできても完全に理解することは不可能。「ありがとう」も「ごめんね」も、思っていたとしても相手に伝わっていなければ、相手にしてみれば思っていないのと一緒なのだ。

以上がタイトルに込めた思いである。

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以下、2020/06/26編集済み 

この出来事が解決したことについて記事に書きました!


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