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Twitterがつまらねぇ(2)

前回のNote「Twitterがつまらねぇ(1)」では変わり果ててしまったTwitterの現状に対して失望するとともにSNSに過剰に触れる事への危険性についてもちょっとだけ触れた。
そして続きを書こうと思った。
まだまだ言い足りない、書き足りないからだ。
正直に言うと俺はSNSに魅力を感じる事が出来ていない。
いや、そもそも魅力的だと思う必要があるのか?
過去の俺はどういう魅力をSNSに感じていたのだろうか。
タイムラインを眺めて面白かったのはなぜだろう。
何を期待してTwitterにログインしていたのだろう。
何を求めてタイムラインの海に飛び込んでいたのだろう。

仕事帰りのスーパーの入り口でスマートフォンに保存した買い物リストを開くはずが、気付いたらTwitterを開いてた。
数秒タイムラインを眺めてため息を一つつき、すぐにアプリを閉じた。
そして買い物カゴにパック納豆を放り込むと同時に、頭の中にも1つの言葉を放り込んだ。

「Twitterがつまらねぇ」

こいつはくせえッー! 承認欲求のにおいがプンプンするぜッーーッ!!

これは過去にとある有名な雑誌で連載されていた有名な少年漫画の有名な一言をちょっともじったものである。
実際に漫画内で発せられていたのは「ゲロ以下のにおい」なのだが、もれなくTwitter内にはびこるありとあらゆるツイートから「同じようなにおい」がするんだ。
まぁ「承認欲求のにおい」=「ゲロ以下のにおい」ってことだ。
もうSNSに四六時中かじりついている奴らの殆どからこのにおいがスマートフォンの画面からしてくるような気すら感じる。

かつてのTwitterには当たり前のようにあったよくわからん日常の風景の写真とかが一切の補足無しでツイートされたり、普通だったら口に出して言わないような愚痴や心情の吐露がちょっとした一言に凝縮されて表現されたツイートなどが殆ど見当たらない。

どんなに自分でミュートやブロックなどといったフィルタを頑張っても流れてくる「ゲロ以下のにおいがするツイート」にはありとあらゆる差別感情とマウントと誇張表現と見た人の神経を逆撫でする言い回しが混入し、それがクソでかい主語と根拠のない情報でデコレーションされ、「お気持ち表明」という値札が提げられて流れてくる。
それをありとあらゆるSNS人間がスプーンでつまみ食いして中毒的な味に歓喜して「いいね」を押しまくる。
そしてその味に味覚を毒された連中はツイートの内容が読めていないどころか書かれてもいない行間を読み、的外れな指摘や議論を吹っかけたり安全な所から石を投げている。

ここは地獄か?

Twitterには真実も正解も存在しない

Twitterにはありとあらゆるインフルエンサーがいる。
カリスマに溢れ知性があり、立派な信念を持っていて顔立ちやスタイルが良く、日々の暮らしに困らず「ていねいで自然に優しい」生活をしながら常に鋭く社会や体制に切り込み、世界で起きている貧困や差別・紛争に涙し、環境問題を憂い、迷える子羊(フォロワー)たちを導いている。
すごい、すごすぎる。まるで聖人君子じゃあないか。
そしてそれがTwitterの中にはごまんといる。

出会おうとしたって滅多に出会えないのにね。

まぁ、偶像なんだけどね。そいつら。

こんな奴らが本当に沢山いるなら世界は今こんなに混沌とはしていない。
彼らは「Twitterをすごく利用している奴ら」にすぎない。
でも残酷なのは、すごすぎるそいつらが幻に近い存在である事ではない。
そいつらを疑いもせず称賛したり、ついていこうとする人間は「Twitterを通してそいつらに利用されている存在」だという事だ。
だから間違っても「SNSの世界」で生きようとするな。
SNSにはSNSの世界がある。
アカウントを作ればSNSの世界にもう一人の自分を産み落とす。
限りなくリアルに近いかもしれないが、現実世界と同じではない。
だからそこで「真実」を見つけようとするな。「正解」を求めようとするな。

「真実」を語りたいならいますぐ自分の鼻の穴に指を突っ込んで勢いよく鼻毛を抜き、それをスマートフォンで撮ってSNSに写真をアップし、「まぎれもなく俺の鼻毛」とツイートしろ。
(鼻毛を抜く過程が動画になっているとより親切です)
それなら「真実」を語っていい。

「正解」が知りたいなら少なくとも1000人に「1+1=?」の問題を解いてもらい、回答のバリエーションを統計表にまとめてSNSにアップしろ。
(解答の集計風景を動画にして他と違う回答に対する考察も添えると高得点です)
そうしたら「正解」を求めたと言えるだろう。
裏を返せば上記のような事が見えない、もしくは証明できないまま情報が垂れ流されているのだ。
そんな情報がたった140文字程度で無限に拡散し多くの目に触れている。
それを無条件に信じて拡散に加担する意味を考えるべきだ。

Twitterでは「自分の世界は広がらない」

かつて「電子メール」が発明された時、「世界中がつながる、ひとつになる」ともてはやされた。
「電子メール」を使えば、ありとあらゆる地域の人々が繋がり、自由にやり取りができ様々な情報を交換し分かり合えるようになるとまで喧伝された。
それが技術の進歩により、今はパソコンが無くても手元のスマートフォンでメッセンジャーアプリを使ってさらに気軽にやりとりできるようになった。

では人類はひとつになれたか?分かり合う事ができたか?

すぐ隣の人と、リビングにいる家族と、明日の朝には会える友達とメッセンジャーアプリで会話したり喧嘩したりしていないか?
すぐ目の前にいるのに、ちょっと歩いたり電車に乗れば会いに行ける人がいるのにSNSの世界にいる人の方が大事なのだろうか?
SNSの世界はアカウントを作り直せばいくらでもやり直せるだろう。
でも、そんな世界ばかり広げても自分の世界は広がらない。
今、自分の目の前にいる人や広がる世界こそ「真実」で「正解」を求めるならそこで求めろ。
目の前にいる人とちょっと話すだけで、ちょっと外に出てみるだけで、いつでも行けるけど行ってない所に行ってみるだけで自分の世界はものすごい勢いで広がるぞ。

もしSNSの世界に足を囚われそうになったら自分の口で呟いてみてほしい。

「Twitterがつまらねぇ」

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