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雨が降れば、その後晴れる

この小説は、僕がちょうど2年前に、高校の時の同級生と久々に会い、飲み会をして、当時の話でめちゃくちゃ盛り上がって、深夜の1時くらいに家に帰ったのですが、家に帰っても興奮が冷めなく、感情が大爆発してしまい、泣きながら朝の5時までノンストップで"書き殴った"事実に基づいたフィクション的な小説です。

今見たらめちゃくちゃ恥ずかしい事書いてて、とても気持ち悪いですが、とても清々しい文章でもあります。

正直あまり見て欲しくない文章ですが、こんな機会でしかお見せする事は無いと思ったので良かったら僕が初めて書いた小説を読んでください。

では、どうぞ。





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いつもの何も変わらない日常に嫌気が差しながらも、5月病の自分にさよならをするとすぐに、じめじめとした梅雨の湿度が僕の背中に何とも言えない憤りを運んできたこの時期、僕は1ルーム6畳の小さな部屋のベッドの上で仰向けで寝転んでいた。

芸人になって、2年。
まだ、何も見えない明日に向かって走り出すには、僕の背中は軽すぎる。
周りの同級生は、やれ就職だの、やれ結婚だのと着実に大人への階段を登って行っているのを横目に見ながら、僕は必死に時の流れをどうにか遅くしようと抗っていた。まるでピーターパンのように。
それが自分のこの芸人という立場でしか出来ないという優越感と周りがその思い出から去っていくという寂寥感に差忌まれながらベッドの横の引き出しを見た。

僕は物が捨てられない人だ。
この引き出しも大学に入った6年前からずっと僕の側にいた。
そろそろこの狭い部屋も断捨離をしないと暮らせなくなるほど窮屈になったなぁと思いながら引き出しの中身を出してみた。

6年前とほとんど変わっていない。
映画のチケットの半券があれば、いつのものかわからないレシート。こんなことをしているから荷物が多くなるのだと思いつつも、捨てられない。
他の人にとってはガラクタでも僕にとっては当時の映像が浮かび上がる宝物なのだ。

宝物を探していると古い携帯が出てきた。
僕が高校生の時に使っていたガラケーだ。
しかも、10年ほど前の古い古いWooo携帯。
まだ、残っていたのかと思い、僕の子供心に火がついた。
当時の面白い映像が残ってたら芸事のネタにもなるしなぁと思いつつ、その側にあったボロボロの充電器をつないで、電源を入れた。




僕は高校の時は野球部に入ってた。
田舎町の弱小中学の野球部のキャプテンをしていた僕は、高校で甲子園を目指すべく、地元では有名な古豪である県立高校に入学した。
勿論、自分の実力が足りているとは思わなかったがガリガリの体重50キロに満たない僕にも夢があった
『甲子園に行きたい』と。
僕は迷わず野球部の寮に入った。
寮生活をしながら野球部に所属する事はとてもハードだった。
僕は入学した1年の4月から8月までの日々をあまり覚えていない。
とにかく、暑く、苦しく、地獄のような日々だった。

しかし、その時の寮生活は僕にとって人生のかけがえのない時間をくれたと僕は確信している。

初めての夏が終わり、僕たちの高校は県大会の決勝で負けた。

ワンワン泣いた。
僕の代でもなければ、まだ野球部に入って4ヶ月しか経ってない僕がワンワン泣いたのだ。
それほど濃い4ヶ月だった。

そしてその暑い暑い夏が過ぎ、2学期になり学校生活も落ちついてきた。
高校球児に休みはないが、部活までの学校での生活は気を休める唯一の時間と言っても過言ではない。

この頃になると学校生活も楽しめるようになってきた。
この頃僕はよく違うクラスの野球部の友達の新田に本を借りに行っていた。
『バッテリー』
普通に考えて高校球児が読む本としては笑ってしまうほど単純な思考回路であったが、ハマったのだ。

ある日僕がいつも通り本を借りにクラスに勢いよく入ると新田はクラスの女の子と仲良く話してた。

『バッテリーの4巻かしてー!』と話しかけた時に彼女は振り向いた。

空気が一瞬とまったと同時に僕の心臓の鼓動が今まで感じたことのない速さで動き出す。

この日から僕の高校生活は始まった。


一目惚れだ。


こんな事は今までなかった。
今まで人を好きになったことはあるが、いつも自分の身近にいる話が合う友達みたいな人だった。
でも今回は勝手が違う。

見た瞬間に僕の毛穴から耳の穴までありとあらゆる身体の中の穴から何かが入ってきた。

彼女は静かに新田に『じゃあまた』と言ってその場を去っていった。

『おい!あれ誰だよ!』と僕が言うと『楠本かおり、中学が一緒なんだ』と。

僕はそう説明する新田の横顔を見ながらなんでこんな普通に話せるんだと思ったのを今でも覚えている。

僕はたまたまクラスで仲の良い高梨さんという女の子が楠本さんと小学校の時からの親友と知り、高梨さんづたえにメールアドレスを聞いた。


それから秋、冬とメールをする日々、この野球漬の日々に彩をもたらしてくれたのは楠本さんということはゆうまでもない。

それから僕は冬の時期沢山の事をやらかしてしまった。
これは野球部での出来事だが、この学校の野球部は県内で2番目の甲子園出場回数を誇る強豪である。

それに加えて地域密着型の地元の誇りと来たもんで、えらく野球部への生活態度を含めた監視がすごい。

もう、まるで常に聖人君子であり続けろと言わんばかりである。

その影響から授業中の居眠りから赤点まで監視し続けられ、もし居眠りや赤点をやろうであれば謹慎または退部という厳しいルールであった。

僕も1月の課題テストでつまづいたのをきっかけに次回はそのつまづきを取り戻そうと徹夜で勉強。その結果、日々の練習と徹夜があいまって居眠り。次は居眠りをしないように早寝。すると点数が足りず謹慎というように、3学期だけで実に計4回の謹慎(部活停止と学校で生活しにくくなるほどの気まずさ、『もうやめてもいいぞ』などの勧告)を受けた。

自分のせいでもあるが実にすべてにおいて間が悪かった。

そんな絶望の縁にたたされたこともあり、僕は3月の4回目の謹慎がとけようとしてる時に楠本さんに告白した。
メールで。
なおかつ投げやりである。

今思えば最低であったと思う。
自分の今の状況を変えたくて、全てをチャラにしてたくての行動であったが、実に自己中心的だ。

文章も『今まで好きだったんですが諦めます。これからは友達でいましょう!』みたいな。
最悪なやつ。そして、見事にふられる。

僕の高校一年生の締め括りは最悪なものになった。


高校二年生を迎えた。
後輩も入ってきて、部内の競争も激しくなったが、謹慎と告白の事もあり、心は野球1つに絞れていた。

楠本さんとはあれからメールを軽くして、気まずさもあったが、友達でいましょうということで落ち着いていた。
僕の2年生は落ち着きを取り戻しつつ過ぎていった。
確かに元通りの関係までとはいかないもどかしさは多少なりともあったが、そんなことも言っておられない理由があった。
『野球』
僕はこの学校に甲子園に行くために入ったのだから。
しかし、野球の方と言ったら、やはりうまくいかない。
中学まではなんとか技術的な面で補えていたことが高校になるとまるっきり通用しないそして、筋力的な差と身体の使い方の差は明らかだった。

しかしながら2年生から引退までの1年半は野球に紳士に向き合った日々でもあった。勿論1年生の時も全力であったが邪念がないという意味では。

監督が新チームになってから代わった事もあり、環境の変化もあった。
それでもずっと上手くいかないことだらけで、結局サードコーチャーをずっとダブルヘッダーでしたり、右打ちから左打ち、そして右打ちに変えるなどの紆余曲折をへて2年秋、3年春はなんとかベンチに入ることは出来た。しかしながら、限界だった。
ウエイトで人並みに筋力をつけても結果は出ない。
メンタルが地獄の底まで落ちていったときに事件は起きた。

『イップス』に陥ったのだ。

ノックを受けても送球がてんでままならない。
普通のキャッチボールは出来るのにポジションに着いたら塁間も送球できない。
その、日々が1ヶ月ほど続いたときに監督からこう告げられた。
あと、『一回エラーしたら外す。』
僕は必死にその日のノックを受けた。
メンタルはすでに限界だったがそんなの、関係ないほどに。
それでもノックが30分ほど過ぎた時にサードを守ってた僕の元に中継からそれたボールが転がってきた。


ボールは死んでいる。


大丈夫だ。


膝を落として丁寧に取りに行った時に、ボールは芝生と土の変わり目ですーっとイレギュラーし、僕の股を抜けていく。
僕の1m後ろでボールは止まる。
一瞬グラウンドの空気が止まる。

次の瞬間監督から『二軍のグラウンドに行け。』
僕の夏は終わった。
無情にも僕の代わりに入ったのは幼稚園の時からの仲の良い後輩だった。

この出来事が夏前の6月にあってから夏までの一ヶ月間は地獄の日々だった!
腐らずやるだけで精一杯。
もう死にたいとまでおもった。
そんな時に前監督さんからかけられた『まだ終わってないぞ』という言葉には涙が止まらなかった。
この言葉で最後まで続けられた。

そして迎えた最後の夏僕はスタンドにいた。
もうこの頃は自分の役割を理解してたと思う。

僕の高校は昨年、一昨年と決勝で涙を飲んでいた。今年こそはと挑んだ。



最後の夏。3回戦で負けた。



僕の夏が終わった。
しかし、最後の試合負けてるけど負けてなかった。
あの一体感。凄かった。
応援団長として挑んだけど、ほんとに負け試合の雰囲気じゃなかった。
ほんとに。今でも皆に聞きたい。
あの試合どうだったか。勿論涙無しでは無理だろう。




大会が終わり、3年間の高校野球生活が終わり、心にぽっかりと大きな隙間が出来た。
命を懸けた野球がなくなった。
ぼくには何もなくなった。

そんな惰性のように過ごしていた夏期講習の時期に1つの打診があった。
体育祭の色長にならないかと。
勿論断った。
高校野球でベンチにも入ってない隠キャラみたいやつが色長なんて、公開処刑すぎる。
嫌だと。思ったからだ。

でも、無理だった。
投票で決まってしまった。

やるしかない。夏が再び始まった。
この頃僕と楠本さんはもうたまに連絡を取るくらいの友達になっていた。

しかしながら、体育祭の準備が始まったら状況が変わった。

準備期間に他のクラスとの交流が沢山あるのだ。
僕と楠本さんは全く違うクラスだったが、寮で仲の一番よかった太田が楠本さんと同じクラスということもあり、楠本さんと話す事も多くなった。

この頃に僕の心にぽっかり空いた隙間に再び恋心が灯った。

また、運も回ってきた。
その寮で仲の良い太田が楠本さんの仲の良い女友達と付き合ったのだ。
言ってみれば最高の味方を手に入れたのだ。

そんなこともあり、友達カップルの応援もあり今までで一番楠本さんと仲良くなった。
体育祭が終わっても毎日受験勉強を学校で終えてから自転車小屋で楠本さんと30分くらい話して帰るというのが日課になってくらいに。

もう完全に好きだった。

そんな9月終わり、また事件は起きた。

楠本さんが一年生から好きだった男の子が後輩の女の子と付き合い始めたのだ。

かなりショックを受けていた。

実は楠本さんが好きな男の子がいることは知っていた。
表向きには僕はその恋を応援していた。

しかしその男の子が付き合った事によって楠本さんが失恋した。

これはチャンスなのだ。
周りからも言われた。
失恋の傷の間に入り込むチャンスなのだと。
そう周りの友達は誰もが口を揃えて言う。

でも、僕は出来なかった。
フェアじゃないと思ったのだ。
そんな卑怯なことをしたくないと。
最強の中二病を発揮してしまった。

それから攻める事も出来ずにただただ帰りに自転車小屋で話すと言う日々が1ヶ月ほど続いた時に、太田がある情報を僕に教えてくれた。

『おれの彼女が言ってたけど楠本さん今気になる人いるらしいよ。教えてくれんけど』

もしかしたら自分かもしれないと思ったが、言えなかった!
卑怯と思ったからだ!

僕は『まだだ、まだだ』と思い過ごした。
この時僕は最大のチャンスを逃してしまったのかもしれない。

そして、10月も終わり、楠本さんの誕生日に抹茶ラテとプリンという、高校生らしいプレゼントを渡し、かなり喜んでもらい、順調に仲良くなって11月後半を迎えてそろそろと思った時にまた事件は起きた。

楠本さんが受験に失敗したのだ。
推薦入試をうけた楠本さんは落ちてしまったのだ。
ひどく落ち込み泣きながら学校を早退したと聞いた僕は、夜、慰めのメールをするか迷ったが、ここでも中二病を発揮し、そっとしといた方が良いと言う行動をとってしまった。
ほんとは絶対に誰かに話を聞いてほしいはずなのに、今考えればそんなのわかるはずなのに!

その事もあり、完全にテンパった僕は12月になったら変なタイミングで告白をした。

そして、この時もメールで謎の『好き』という単文の中二病ぶり。

あまりの怪文ぶりに友達の新田が受験勉強をしている僕の元に来た。
『楠本さんがあのメールは本当にお前がうったのかだって!』
そう確認がきた。
そりゃそうだ!完全に逃げだ。
なんで直接想いをぶつけないんだ!!!
なんでそんなにへたれなんだ!
くそがくそがくそが!!!
このへたれやろう!

しかしこの時の僕にはこれしか出来なかった。

そして、僕は新田に『うん。ほんとにおれが打ったよ。』と言った。
新田は『わかった……。じゃあ、そう伝えとくね。』


その日深夜、返事が返ってきた。



『今好きな人いないの。ごめん。』




終わりだ。
そりゃそうだよな。
と、思い僕の二度目の告白は失敗に終わった。


それから数日後、僕は最悪の誕生日を迎えた。
ほんとだったら最高の誕生日になるはずの18歳の冬。
メランコリックな夜。

最悪な気持ちでベッドに横たわり日付が変わろうとしたその時、携帯がなった。
楠本さんからだ。

僕は直ぐ様起き上がり内容を確認した。


『誕生日おめでとう!
渡部くんにとってはっぴいな18歳になりますように。まゆゆ〜笑

遅くなってごめんね。

てか、うちも誕生日の日に色んな物もらったけんうちも渡部くんにあげる♪

だけん欲しいもの言ってね!
スタバの抹茶とか!笑

あ!いらんはなしだよーーー♪笑


この時僕は嬉しいより哀れ、情けないが勝ってしまった。


同情されてると。

そして、こう返した。


『ありがとう……。


ありが糖。オリゴ糖!!!

よしよし18歳最初のギャグ!……
しらけてしまったわ!!!笑
てか、そんなに気にしてくれなくても大丈夫よーーー♪
ありがとう。


最悪だ。
楠本さんの優しさをそのまま受ければ良いのに、またウルトラスーパー中二病童貞ぶりを発揮してしまい、メールは返ってこなかった。



この時の僕はほんとに腐っていた。
最悪だ。


そんなこんなで受験も失敗して浪人することになり散々な高校生生活の最後の日の卒業式、楠本さんはわざわざ全然クラスが違うのに教室まで来て、写真を撮ろうと、言ってくれる最高の優しさを見せてくれたおかげで僕は少し救われた。


卒業式も終わり色々事があったなぁと思いつつ、帰っているその帰り道、携帯が鳴った。

寮でいちばん仲の良いあの太田からの、メールだ。


開いた。


『楠本さんが気になってたのでお前だったって!
聞き出すの苦労したけんな!感謝しろよ!
そして残念だったな!タイミングさえ合ってれば…
お前はバカだ。』



ぼくはバカだ。





電源がついた。
Wooo携帯は当時と変わらずに起動した。
動画を見る。大した面白い動画もない。なんだ。
つまんね。

と思いメールを開く、シークレットフォルダを開く。
パスワードを自分でも不思議なくらい何の迷いもなく打ちフォルダが開く。


楠本さんの最後のメール。


僕は返信する。


『楠本さんありがとう!!!
遅くなんてないよ!めちゃくちゃ嬉しい!

ありがとまゆゆ〜だ!笑

うーーーん。
誕生日プレゼントは…いらんよーー(T0T)

なーーーーんて嘘だよ!
めちゃ欲しい♪
何がいいかなー!


じゃあ、今度一緒に遊んでくれる券!笑

無理ならもうちょっと考えさせて♪笑』



送信ボタンを押す。



当時のそのままの携帯の画面を見ていると何故か届きそうな気がした。


緊張が走る。ドキドキした。





【ICカードを挿入してください】







大きく息を吐いた。


ふと窓の外を見た。

さっきまでの雨が嘘のように晴れている。
ベッドから立ち上がり、窓を開ける。
足取りは軽い。
時計の針が動いている。
僕は今を生きている。



良かったらサポートよろチョフチョフです!!!🥺🥺🥺 励みになりまチョフミーーーーー!