東京でご近所付き合いしてますか?
4年前にこの大都会東京に来た。
19歳まで島根県出雲市の信号機の無い町で育ち、大学では、広島県東広島市の広大な大地に育まれ、23歳でいきなりコンクリートジャングルTOKYOに来てしまった。
不安しか無かったのだが、一足、いや、二足も、三足も先に東京の大学に進学していたお兄ちゃんとのルームシェアという事もあり、なんとか東京生活を危なげなくスタートさせた。
住んでいて思ったのは、東京という街も意外と人情があるという事だ。
もっと、"人の心も無いロボット人間"が街中を練り歩いていると思っていたが、僕の住んでいる調布市では、近くの八百屋さんのおっちゃんが僕の背負っていた野球のセカンドバックを見て、
『あんた島根出身か!昔よく甲子園で見てたとこだねぇ!』
なんて、声をかけてくれたのをきっかけに、そこに住んでいた2年間僕が行くたびに世間話をしてくれた。
大家さんに至っては、定期的に畑で取れた野菜をくれるし、隣に住んでいた老夫婦は、いつも話しかけてくれては、
『芸人頑張ってね!』
とか、おはぎをくれたり、二つ隣の部屋に住んでいたおばちゃんは、
「蛾が怖いから取ってくれない!?」
なんて、気軽に話しかけてくれるし、僕たちが引越す時には、高そうなチョコレートの詰め合わせをくれた。
"東京にもこんな所あるんだ"
とほっこりした気持ちにさせてくれた。
そんな町とも兄の就職を機におサラバして、僕は2年後に新たな町へと引越した。
調布市に。
そう、調布市から調布市に引越した。
同じ調布市内だが、駅で言うと5つくらい離れた所に。
さすがに次に引越した家では、そんな事は無いだろうと思いながらも、僕は引越した日にお隣さんに挨拶しに行ったら、30代後半くらいのおじさんが出てきた!
「引越しの挨拶なんて、わざわざありがとう!」
と、えらくおじさんは喜んでくれて、仲良くなり、その後、ご飯食べに行ったりと頻繁に話したりした。
そんなこんなで新しい家での生活を順調にスタートさせた。
ある日僕が趣味である、激辛唐辛子のプランターに水やりしていると、近所の小学生に声をかけられた。
というのも、僕の家の前にはプランターを置けるスペース、花壇みたいなのを挟んで道路があるのだが、その道路が団地というか滅多に道路が通らないような道になっている。
なので、そこで近所の小学生がキックボードしたり、サッカーしたり、めちゃくちゃ遊んでいるのだ。
「ねぇ!!!何育ててるのーーーーーーーー!!!」
『唐辛子育ててるんだよ!』
「えーーー!!なにそれーーーーーー!!!からーーーーい!!!」
そんなこんなで、水やりしてる日に声をかけられては、
「サッカーしようよ!」
とか、
「バドミントンしよーよ!」
なんて、誘われたりして、その小学生達とめちゃんこ仲良くなった!
特に小学1年生の男の子と女の子と仲良くなって、夏は一緒に網を持って、バッタを取りに行ったり、秋はドングリに爪楊枝を指してコマ回ししたりして遊びまわった!
さながら、ヘンテコズッコケ三人組だ!
遊んでるうちに、僕が胸に「バチョフ」って名前が書いてあるバチョフTシャツをめちゃくちゃ着てたから、いつの日か、
『バチョフさーん!』
とかちゃんと名前呼ばれるようになって、
その様子みた近所の住民の方々が徐々に名前で呼んでくれるようになり、
「おかえり!」
とか
「いってらっしゃーい!」
なんて、言ってくれたり、最終的には、
「今日ライブ?頑張ってねー!」
なんて、
凄い温かい場所になった。
僕の思っている東京と全然違った。
東京でこんな事あるなんて思ってなかった。
そんな楽しく過ごしてた町とも2年3か月くらい経って、お別れする事に、
正直めちゃくちゃ良い町だったから、引っ越すの迷ったけど、
荷物の多いバチョフが住むには1R5畳は狭くなってたし、自粛期間で部屋にいなきゃいけない時間が増えたから泣く泣く引越す事に決めた。
引越しを決めた時に、近所の小学生に伝えた時は、涙を浮かべてくれて、それがちょっと切なかったし、
男の子の方は、『また、引越しても遊びにくれば良いじゃん!』
なんて言ってくれて、これまた響いちゃった。
最後に手紙を渡して、感傷的な思いを抱えながら僕は引越した。
調布市に。
調布市から調布市に。
隣の駅。
うん、
近!!!
めちゃ遠い街に行く感じの別れになったけど、実はめっちゃ近い所に引っ越したんだよ、バチョフは。
引越す場所を伝えた時の、何とも言えない顔が忘れられない。
小学生であんな顔するんだ。
「近…」
みたいな。
とまぁ、僕はこの"調布"という街が好きみたいです。
新しい街に引越して1か月経ったけど、また新しい出会いはあるのかぁ。
東京という街も悪く無いぜ。
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