野球部なのに駅伝に2回でた話。
何キロ走ったのだろう。
今まで感じたことの無い汗が額から目蓋へ落ちてくる。
苦しい。苦しいのか?
「もうダメだ。」
と思った次の瞬間
橋が見えた。
橋には、父親と母親がいた。
僕は一気に加速した。
僕は小さい頃から、足があまり速くない。
まぁ、遅いまではいかないけど、スポーツをしてる人からしたら物足りないやつ。
小学校の頃は野球を始めた僕は、足が速くないという事をあまり自覚していなかった。
何故なら、そこそこ"走れていた"からだ。
ここにおける"走れていた"というのは、野球というスポーツにおける"走る"という行為。
スタートから、反射、予測などを含む野球観で"それ"を少年野球レベルで補っていた。
しかし、中学、高校と進むにつれて"これ"はかなり致命的なモノになった。
中学校にあがると、急に盗塁が出来なくなった。アウトになってしまうから。
ちなみに中学3年生の時は50メートル走のタイムが8.0だった。
これはかなりかなり遅い。
そして、高校1年生の時は足が遅すぎて、全力疾走してるのに先輩から『おい!歩くな!走れ!』と怒られる始末である。
もう、止まっているレベル。
しかし、そんな僕も誰よりも輝く瞬間がある。
長距離走だ。
僕は何故か昔から長距離が速かった!
小学校の時は、地区の体育祭で大人に混じって出た5キロ走で3位に入った。
これは当時話題になった。
そして、中学の時は、野球部なのに駅伝に出た。
そして、高校の時は、野球部が死ぬほど走らせる高校だったのだが、
一年生の時、冬のランニングメニューで、意味わかんないくらい目立って、正直野球は全然上手く無かったのだが、監督を含めたコーチ陣から"下の名前"で呼ばれるようになった!
とにかく長距離走が得意だった。
短距離は死ぬほど苦手だったのに。
こうなったのも、多分父からのあるプレゼントが原因だと思ってる。
小学4年生頃、毎日3キロ走る事を父親から命じられたバチョフ少年と兄。
それが中学になると5キロまで伸びた。
ある日父親から
『毎日走る時に、自己新記録で走りなさい。ジョギングで5キロ走るのは何の意味も無いから。』
と言われて、僕と兄に渡してきた。
ストップウォッチを。
その日から僕と兄はこのストップウォッチとの勝負の日々が始まった。
我が家、いや父としては
「ランニングの時に曲を聴きながら走るなんて断固許さない」
という方針だ。
毎日、120%の力を出してこそ、意味があり、ダラダラ走っても意味はないと。
僕は毎日吐くまで追い込んだ。
たまに口からする血のニオイ。
そういう時は大体良いタイムだ。
僕は中学の3年間で6分ほどタイムが早くなった。
高校になったら、野球部が毎日10キロくらい走る所だったので、自動的に長距離がぐんぐん伸びた。
野球部なのに。
そして、高校2年生の春のスポーツテストのシャトルランで152回という記録を出してしまった。
野球部なのに。
シャトルランの152回がどのくらいかわからない人に説明すると、130回走ればスポーツテスト持久力満点の数値になる回数なので、大幅に超えたのである。
これが高校で2位という記録だったため(一位は陸上部の長距離走の3年生)、
終わった後に、陸上部の顧問の通称"ナギタツ"が僕の所に寄ってきて、
『おめでとう。陸上部へようこそ。』
と言ってきた。
僕の高校の陸上部は、全国総合優勝した事もある強豪校なのだが、まさかの長距離だけそんなに強く無かった。
なので、毎年スポーツテストとかで長距離が得意な他の部活にスケットの要請を出していて、出てもらってるのだが、大体野球部から毎年スケットが出ていた。
この年のスケット枠として、僕が目に止まってしまい、秋の高校駅伝島根県予選に出ることが仮決定してしまった。
野球部なのに。
秋の高校駅伝の予選は11月にあるのだが、
夏の甲子園予選が終わった新チーム始動の8月頃から陸上部の練習に招集された。
陸上部の練習優先の、陸上部が休みの時は、野球部の練習に出るという、フル回転である。
この年、世間では新型インフルエンザが流行っていた。
俗に言う、豚由来インフルエンザである。
島根県の僕の高校もガッツリこの余波を受けて、インフルエンザに何人か感染し、
野球部は何故か樽に麦茶を入れヒシャクで飲んでいたため、一気に感染した。
が、陸上部はあまり感染者が出てなかったため、野球部が休みになっているのに、僕は陸上部の練習に出ていた。
野球部なのに。
陸上部の練習メニューはというと、30キロくらい走るメニューや、インターバル走など、とにかく走った。
2ヶ月くらいかけて、3キロを9分20秒くらいで走れるようになり、そこそこ良い感じになって来た本番1ヶ月前に事件は起きた。
新型インフルエンザ感染。
夏に学校で流行っていたのに、秋に10月に、そして大会一ヶ月前にかかるという。
体温は40度超え。
完全にやってしまった。
長距離走において、熱が出るということは致命的らしい。
体力が戻らずに、タイムが落ちるらしい。
しかも、僕は何故か、3区の8.1キロという「準エース区間」を走ることになってしまい(野球部なのに)、大体この区間は他の高校は陸上部の猛者たちが走ってくる。
僕はとにかく走らなきゃと思い、熱が下がった日に20キロ実家の周りを走った。
とにかくキツイ。
そして、この20キロがインフルエンザ完治に尾を引いた。
それからはあれよあれよと、トレーニングをなんとか重ね、予選当日を迎えた。
3区でタスキを受け取った僕は5キロ超えた辺りから不安視していたガス欠気味になった。
今まで感じたことの無い汗が額から目蓋へ落ちてくる。
苦しい。苦しいのか?
「もうダメだ。」
と思った次の瞬間
橋が見えた。
橋には、父親と母親がいた。
僕はその瞬間、あのストップウォッチを思い出した。
野球部なのに、短距離が遅くて、野球部なのに、長距離が速い。
野球部なのに、なんでここにいるんだ!
僕は一気に加速した。
僕は息を吹き返した。
結果は、29分4秒。
あまり、良いタイムでは無かった。
顔からは今まで見たことない汗が出て、塩が出ている。
でも、
僕は長距離が好きだ。
27歳になった。
僕は最近長い距離を走っていない。
走る感覚も忘れた。
走れるのかな。
今度走ってみよう。
ストップウォッチを持って。
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