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ブルックナーの知られざる名曲三選-小品から見えてくるブルックナーの音楽像

 ブルックナーと言えば交響曲だが、魅力的な小品から彼の音楽の全体像を再構成することも可能である。
 今回は三つの小さな名曲を通じて、ブルックナーの音楽作品全般に通ずる普遍的な特徴について見ていきたい。

1.リーベラ・メ Libera me [WAB22](1854年)

 師である聖フローリアン修道院長の告別式のために書かれた作品である。
 作曲当時、ブルックナーは三十歳。
 どことなくモーツァルトのレクイエムの一節を思わせるような曲調であり、あるいはモーツァルトに少なからず影響を与えたペルゴレージも遠く聞こえるかのようである。

 実際、ブルックナーは母国の先人であるモーツァルトのレクイエムから非常に大きな影響を受けている。
 音型や和声進行など、宗教的な声楽曲に限らず、世俗的な交響曲においてもその影響力は絶大であり、モーツァルトのレクイエムは「ブルックナーの音楽的土壌そのもの」と言っても差し支えない。
(交響曲に関して言えば、第五番以降の緩徐楽章において、その影響は極めて濃厚である。)

◆ ◆ ◆

 さて、お聞きのとおり、この曲はトロンボーンが印象的である。
 ブルックナーの地元である上部オーストリア地方や、隣接するザルツブルク地方(モーツァルトの地元)において、トロンボーンの地位は極めて高い。モーツァルトの父レオポルトがトロンボーン協奏曲を作曲した背景にもこういった地域特性がある。

 ブルックナーはジャンルを問わず、トロンボーンを重用する。
 ほかでもなくトロンボーンに固有の旋律をあてがう、重要な和声進行を担わせる等、その扱い方は他の管楽器とはまったく異なる。
 実際、ブルックナーに関して、トロンボーンのない交響曲など考えられないだろう。

2.ミサ曲第二番 より サンクトゥス Sanctus

 ミサ曲第二番は八声の混声合唱と管楽のための作品であり、ここに聞かれるブルックナーの対位法は、紛れもなく当代随一である。
 ルネサンスの巨匠パレストリーナと見まごうばかりの精緻な書法、他を寄せつけない圧倒的な技術レベルはまさにバッハの再来を思わせる。
 
 ロマン派時代を通じて、宗教曲ジャンルの新潮流と言えば、それはルネサンス・リバイバル(チェチリア運動)であった。
 ルネサンス・スタイルの再評価という時代の流れのなかで、それにしても、ブルックナーの技術水準は異次元である。対位法芸術の真髄をこれほどまでに会得し、かつ独自の表現をなしえたロマン派の作曲家は、ブルックナーをおいて他にいない。

 そして、それは宗教曲ジャンルにとどまらない。交響曲第五番をはじめとして、どの交響曲においても、その対位法の充実した様は作曲者のトレードマークとも呼べるものである。

3.アヴェ・マリア Ave Maria [WAB7](1882年)

 優美なメロディはもちろんのこと、なによりハーモニーの美しさが印象的な逸品である。
 原曲は、ピアノ伴奏付きアルト独唱のための作品であり、演奏時間にしておよそ4分、しかして小品ながらこれほどまでに作曲者のエッセンスが凝縮された作品もそうそうあるものではない。

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 音楽の流れ、息づかいは決して力むことなく、その悠然たる歩みの内に、メロディの美は下行音階に宿る。
 
 魅力的なハーモニーは洗練された和声技法(転調)によるところが大きい。
 遠隔調への驚くべき転調、とりわけ三度下方への立て続けの転調はワーグナーやリスト(新ドイツ楽派)からの影響によるものである。

 主調のヘ長調が示されるのは、わずかに、提示部と再現部の冒頭部分、そしてコーダのみ。そのほかの部分においては、まさに一音ごとに転調といった様相を呈しており、三和音の根音を実際に確認していくと、なんと楽音全12音に相当する。つまり、シャープフラットを含むドレミファソラシのすべての音が根音に登場するのである。
 こうした大胆な転調は、実に魅惑的で、ときに神秘的ですらある。

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 ブルックナーの音楽はありとあらゆる転調をくりかえし、そのサウンドは分厚くふくよかながらも、同時に、清涼感や清潔感、えもいわれぬ風通しの良さ、透明感(抜け)を両立させている。
 和音構成音どうしの絶妙の配置や卓越したベースライン処理を通じて、ブルックナーの音楽は中低音が充実していながらも決して濁らず、ぼやけない。

 ブルックナーのチューニングはまさに絶妙である。
 移りゆくハーモニーの変化をしっかりと伝えるため、サウンドは厚塗りの傾向にありながらも、実際の響きは淀みなく、むしろ清澄ですらある。
 重ね塗りしているのにクリアなサウンド。
 これこそブルックナーの最大の特徴ではないだろうか。

 なお、教会旋法というスパイスのきかせ具合や、和声的に最も神秘的で最も緊張感の高まる箇所(49小節目、変ニ長調からニ長調へ)であえて(逆に)音量を落とす(フォルテからピアニッシモへ)等の小ワザも実に心憎い。

4.まとめ

 以上、ややマイナーと思しき三つの小曲を通じて、ブルックナーの音楽の普遍的な特徴を私なりに再構成してみた。
 三曲目のアヴェ・マリア(1882年)は、ブルックナーの音楽世界のミニチュアであり、ブルックナーの究極の一曲である。作曲者のすべてが詰まっていると言っても過言ではない。ぜひ一聴をおすすめする。
 なお、ブルックナーの合唱曲についてはこちらもぜひ。