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to be "ONE"外伝(関係性の織物)


コズミック・ウェブ

人類の歴史や進化を振り返ってみると、特に現代において、私たちが自らの幻想や欲望から抜け出せないのは明らかであり、市場の力がそうさせるように働いているのも事実です。

 1999年に放送された『エンデの遺言』が大きな注目を集め、さまざまな地域通貨が誕生し、最盛期には日本国内で約600種類の地域通貨が発行されています。

 現在「円安=法定通貨の価値毀損」により、国内経済が苦境に立たされています。私たちは通貨の本質だけでなく「人生そのもの」を問う時が来たのかもしれません。

 脳内の膨大な数のニューロンは、すべて相互につながっており、意識の集合体ともいえる情報の流れを可能にしています。

 言いかえれば、すべてのニューロンは他の多くのニューロンとつながっており、それぞれが独自の意識を持ち合わせています。

 その結びつきが「意識」という現象、すなわち肉体における「知覚」をつくり出しているのです。

ヒトは地球にとっての
ニューロン

視覚化した部分的なインターネットマップ

 人間であれ、植物であれ、動物であれ、地上に溢れる存在は大いなる生命の一部であり、大いなる思考の産物です。

 他者に対し、自己犠牲のみによってではなく、可能な限りバランスの取れた方法で手を差し伸べるよう意識を拡大すれば、個々の意識はより大きな全体へと昇華していきます。

小我:自分の利益を重視する利己的な行動。打算的な判断が働く思考
大我:見返りを期待しない利他的な行動。自分以外の利益も含む無償の愛



ミラーニューロン

 私たちの周囲に存在するすべてのものの中に、私たち自身が表現されていることに気づけば、自分自身と他者(自分以外のもの)との相互関係における選択は、すべての生きとし生けるものを神聖なものとして受け入れるという選択によって導かれることになるでしょう。

 なぜかというと、すべてのものは知覚者の意識状態を通して知覚されるため、知覚されるものはすべて意識状態と相関関係にあります。

 したがって、ある意識状態では否定的に見えるものが、別の意識状態では肯定的に知覚されることがあるのです。

自分を変えることができる人は、人を変えることができないことを理解しており、自分が変われば、人も変わることを理解している人でもあります。

そして、最も人を変える力がある人は、言葉や態度ではなく存在で変えることができます。

自己変容と自分らしさ」より


形態形成場

 自分の時間で生きる人は、運命を変える様々なチャンスへの扉を開きます。過去の認識を変えることによって過去を変えることができ、そうすることによって未来には想像をはるかに超えるチャンスがやってきます。

 自分を解き放ち、導き、さらなる高みへと昇華させる鍵は自分の中にあります。つまり、探す必要はなく、すでに持っています。

私たちにできることは、理想やビジョンを感覚的に共有する「共感」と、理想やビジョンが行動を引き起こす「共鳴」を武器に使うこと。

理想やビジョンへの共感が生まれ、やがて共鳴に変わってこそ、私たちの行動が変わり、社会が変わっていくのです。

to be"ONE"Part2」より

 情報を見極めるには、心の力と思考の力、つまり洞察力が必要です。そして、心でどう感じるかが重要なポイントです。

情報の「点と点を結ぶ」ことは非常に重要であり、知識と合理的な思考をもって繋げば知恵や洞察になり、「智慧」になるのですが、自分の脳内の世界観に基づいて点と点を結び、その世界観に合うように情報をねじ曲げてしまうと、俗にいう「陰謀論」になってしまう場合があります。

「to be "ONE"Part2」より

 つまり、心のフィルターを通してから論理的に考えて探究します。必要なものはすべて、自分の中に種として存在しています。

 あなたがなすべきことは「自分」という土壌を耕し、種の発芽と結実をうながすことです。それは愛と思いやり、そして関心と洞察力によってなされるのです。

心はそもそもその本性において、純粋ではあるが、そこには「無知」がともなっている。

無知に汚されると汚された心が生じる。だが、汚されても心そのものは永遠不変である。悟ったものだけが、これを理解できる。

心の本性と呼ばれるものは、つねに思考を超えている。そのため「不変」と定義されているのだ。

唯一の実在の世界がいまだ悟られていない場合には、心は変わりやすく完全に統合されていないかのように思える。突如として思考が生じる。これがすなわち無知と呼ばれる。

馬鳴

こうして愛は目と目を通して心に至る。目は心の斥候だから心が捕えて喜ぶものを探して回る。

そして二つの目と心とその三つが和解し、しっかりとひとつの決心を固めるとき、そのとき目が心のために喜び迎えたものだから完全に愛が生まれる。

愛はそうやってしか生まれないし、本心から動かされぬかぎり、愛がはじまることもない。これら三つの恵みと命令によって、またその喜びから愛は生まれ、その美しい希望が友達を慰めに行く。

ほんとうに愛し合っている人ならみんな知っているように、愛は限りない親切だからだ。そして、それは疑いもなく心と二つの目から生まれる。目は愛の花を咲かせ、心は愛を養い育てる。

自らの種から生まれた実にほかならぬ愛を。

ギラウト・デ・ボルネーユ


エルヴィン・シュレーディンガー

 そして、「シュレーディンガーの猫」で有名な「波動力学」の提唱者で理論物理学者のエルヴィン・シュレーディンガーが「思考」について著書「生命とは何か」で重要な説明をしています。

進化は超えて含み、受け入れて超越する。

我々が思考と呼ぶところのものは、それ自身秩序正しいものであること、ある一定度の秩序正しさを具えた知覚あるいは経験のみを対象とし、そのような素材のみに適用される。

ひとつの物質組織が思考と密接に対応するためには、それは非常にきちんとした秩序のある組織でなければならない。このように物理的にきちんとした秩序のある体系に対して、他の物体により、外界から加えられた物理的作用は、それに応ずる思考の素材(対象)によって、知覚や経験に対応することは明らかである。

我々の思考器官と外界との間に起こる相互作用は、普通それ自体が、ある一定度の物理的秩序性をもっていなければならない。

我々の感覚器官は結局のところ一種の測定装置なのです。もしそれが敏感になりすぎたら、どんなに役に立たないものになるかは想像がつきます。

エルヴィン・シュレーディンガー


縁起

 概念として知っていることを経験として知る唯一の方法は、物質世界でそれを経験することであり、自分自身について知っていることを経験するには、その反対を知らなければなりません。

 簡単に言えば、背が低いことを知らなければ、背が高いことも知らないし、自分が嫌いなことを知らなければ、自分が好きなことを知ることはできません。

 つまり、自分を知るためには自分以外のものによって個を確立していくのが人生で、出来事や人々を通して自分自身について学びます。

人間という分子は他の分子からできるだけ遠ざかろうと努めることによって個性化する。我々自身の極限、我々の独創力の極致は我々の個性ではなく、我々の人格である。我々が結合して一体になる場合にのみ、我々の人格を見出すことができる。

ピエール・テイヤール・ド・シャルダン

分離=個性 統合=人格

 しかし、そこで悲観的な行動を予想したり、物事が思い通りに進まないとイライラしたり、他者の行動や考えを深読みすることから生じる悩みや他者の否定的な考えや反応によって、私たちは自分自身を知ろうとしない誘惑に駆られます。なぜなら、鏡のように「反射」することがあるからです。

 そして、ネガティブな感情は取り除くのではなく、受け入れ、変容させる必要があります。なぜなら、否定的な感情や経験は、その人の現実に対する根本的な認識の表出であり、自分自身について学ぶ最良の機会です。

ポジティブ→肯定的→受容(人格に影響)
ネガティブ→否定的→分離(個性に影響)

というのも消極的なときは対象に関心が無いものが多かったので、それを無理して受け入れようとしても難しかったのですが、肯定的に思考を切り替えるにはどうしたらいいか?という言葉をあてはめて考えると、違和感も苦痛も無く状況を見つめることができるようになっていました。

 個人の小さな変化が、社会全体の変化につながることもあれば、逆に社会という大きな枠組みを壊すことで、個人の人生を破壊してしまうこともあります。

 すべてのものが互いに影響し合っていることを考えると、一人ひとりに自律的な生活を求めることは簡単なことではありませんが、社会全体には良い影響を与えます。



グローバル・ブレイン

 地球を取り囲むネットワークは「地球の脳」を形成するニューロンであると書いてきましたが、宇宙を含むこの壮大なネットワークと自分がつながっている領域が、意識の進化のカギを握っていると私は考えています。そして意識も開放系の階層構造になっています。

 意識の進化は、文明の発展にとって重要な要素であり、独立した個々の活動が電気的・化学的反応として地球環境に反映され、統合される過程で連鎖反応が起こり始めると、コミュニケーションのネットワークがつながるスピードが徐々に上がっていくと思います。余談ですが、加速主義者はこれを狙っているような気がします。

 マンリー・P・ホールは「経験とは賢人が実験を行う際に用いる化学物質である」という名言を残していますが、これが「認める→受け入れる→行動する」ための重要なヒントになります。人生に確かな経験を与えましょう。 

 そして本当に「理解」したとき、ラベルや名前、意味は必要ないことに気づきます。なぜなら、名前やラベル、意味を与えることで、本質から遠ざかっていることも理解したからです。

 精神世界では科学の世界と同じように、間違っていると証明されるまでは、合理的に見えるだけであり、完全な真実も間違いもありません。

 私たちが二元論的な現実の中で生きているのは、すべて「正しいか間違っているか、善か悪か、黒か白かでなければならない」という誤った認識や思い込みからきています。

 「理解」とは、善も悪もなく、黒も白もなく、正しいことも間違ったこともなく、実際に存在している唯一のものは「そこに在る」ということを知ることです。つまり、意味をなさないことから意味を理解するのです。

人生は「存在する」のではなく、絶え間なく「存在し続ける」のです。シェイクスピアの名言「人生は選択の連続である」ように一つひとつの選択が今の人生を作っています。

    「答えは自分の中にある」より


問われざる問い

 どんな瞬間、人、経験、学びにも美しさを見出すことができれば、どんなに人生が暗くても、内なる自分が輝いて自分の道を照らして進むことができます。

この世界における出来事の関連性とは、それぞれの出来事が他のすべての出来事の要因であることを意味する。私たちは世界の中にあり、世界は私たちの中にある。この曖昧な、しかし不可避的に観察可能な事実が、世界のつながりの根底にある。

いつも予め結果を知りたがる人は、決して精神と生の真の冒険に身をゆだねることができません。人はいわば闇の中へ墜落し、その後、そこで会得した別の編成を整えて、自力で独立独歩、創造的に前進すべきなのです。

ミヒャエル・エンデ


私の人生、みなさまの良心で成り立っております。私に「工作費」ではなく、「生活費」をご支援ください🥷