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アディクションとは? アディクション(依存症)とは、特定の行動や物質に対する制御不能な欲求や必要性を特徴とする状態のことをいいます。 その特徴は「薬物、アルコール、ギャンブル、インターネット」など多岐にわたり、これらの行動を「嗜癖(しへき)」と呼びます。詳しくは↓の記事をご参照ください。 アディクションは「否認の病」「孤立の病」とも呼ばれ、孤立した環境やストレスの多い状況にある人が依存症になりやすいとされています。逆に社会的なつながりやサポートがあると依存症からの
医療観察の通院処遇も3年目を迎え、社会復帰も具体的に進めていく段階になった。再起を図る機会を有効に活かしたいという想いと今まで準備してきたことの集大成に取り組もうと意気込みすぎて十二指腸潰瘍になった。 自分の体が最初に問題を知らせてくれたときは驚いたが、自分の問題に目を向けるきっかけにもなった。自分にできることを積極的にやろうとするあまり、生活空間の変化が心身に与える負担を過小評価していた。 それに輪をかけて仲間の生活スタイルの違いに相変わらず敏感で、仲間たちの行動
幼少期から自分の存在理由を考えていることが好きで、その理由から意味を抽出しようと試みているうちに、あらゆる物事の意味を見つけることに執着するようになり、突き詰めて考えないと不安に襲われることがよくありました。そんな考え事をしていないと、自分が保てないという強迫観念みたいなものもあったと思います。 今は、自分の存在に理由も意味もないことは自覚していますが、根底には自分への強い執着と見捨てられることへの不安がありました。 これは、自分の価値観や立場を守りたいので、それを
今回は、薬物依存症回復支援施設に入寮して約2年経過した時、「ニュースレター」として投稿した記事です。 前回は入寮後、1週間も経たずに『iが姿をアラワす』を投稿することになり、私が「医療観察法」の処遇を受ける経緯や過去の生き方を綴りました。 2013年4月に傷害事件を起こし、2015年5月に司法病棟を退院後、施設に入寮しながら通院処遇を受けることになった。入院中に自助グループのミーティングを設けてくれたので、ミーティングに参加していた仲間のおかげで寮生活にもすぐに慣れ
夫婦喧嘩が日常茶飯事の家で育ち、私のことでケンカをしているときに聞こえてくるいつものセリフ。 「コイツがこうなのはお前の遺伝子が悪いからだ!」「お前が中卒だから!」と父が母に詰め寄っているのを見て、「オレが生まれなきゃこんなことにはならなかったのになぁ」と思うことで自分を納得させていた。 夫婦喧嘩がひどい時は、母親が外に出て行くのを追いかけて「自殺しないで」と声をかけていた。そんな母親は私に何かしてあげる余裕などほとんどなかったので、ゲームソフトを私に買い与えるなど
私はこれまでの人生で何度も自暴自棄になり、自分の行動を他人や社会のせいにし、自分の行動が報われないと思い込んで感謝や達成感をないがしろにしてきました。 恨みや憎しみを行動に移し、自分の行動を正当化しなければ、自分の存在を維持することさえできないほど、私は自分自身を見つめることから逃げていたのです。 当時、私の心はとても貧しく、自分を表現する方法は反骨心ばかりで、自分がやりたい目的を見失っていました。私は罪悪感や憎しみ、その他さまざまな思いを抱きながら、自分の新しい生
オープニング とは外部からの刺激が目、耳、鼻、舌、皮膚などを通じて脳の中枢に到達することで起こる意識現象であり、内面的な物事のとらえ方や感じ方の両方が含まれます。 この感覚に加え、それに対する思考が組み合わさったものが感情であると定義しています。感覚そのものは、ポジティブでもネガティブでもなく、あくまでもニュートラルな報告です。 それは、世の中で起こっていることに対して、あなた独自の感受性や適応力を示す一種のバロメーターに過ぎません。 感情の一覧 心理学者のロバー
サバイバルスキル 集団生活で各々が獲得してきた思考・行動パターンをサバイバルスキルと呼びます。これらの思考や行動のクセは、これまでの生活を守ったり、逆に脅かしたりするものなので、集団生活を通じて気づきや修正を促すのですが、その過程で人それぞれの認識や時間の違いからトラブルに発展することも少なくありません。自分の問題は他者の行動によって明らかになり、自分の行動によって、他者の問題が浮き彫りになります。 また、自分の問題と他人の問題の区別がつけられず、他者との境界線が曖昧に
四諦のサイクル苦諦 人間にとってはこの世界の「一切が苦である」という真理 施設のミーティングで過去を振り返りながら話をするうちに、今まで自分の間違いに気づかなかったことに気づいたり、薬物を使っているときに自分勝手な行動をとってしまったことを後悔して、自責の念に駆られている仲間をよく目にします。私もその中の一人でした。 その後、毎日のプログラムに耐えられず再び薬物に手を出す者、生き方を変えたくないがために施設から逃げ出す者も少なくなかったです。 集諦 「苦には原因
探しても見つからなかった 忘れていることも忘れていた 取り戻そうとして苦しんだ すべては 自分が何者であるかを思い出す 旅のはじまりだった 私には薬物に対する恐怖や抵抗をもつ情報以上に好奇心や環境の方が整っていた。最初に使用したのは大麻だった。音楽によく効くと聞いていたので積極的に関わった。使った印象は味覚や聴覚に効果が表れ、解放感は酒のほうが強いが、使用後の柔らかい心地よさから好きになった。 しかし、いつの間にか目的が変わり、昔から感じていた孤独感や虚無感を埋め