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アディクション(依存症)につながる感情



アディクションとは?

 アディクション(依存症)とは、特定の行動や物質に対する制御不能な欲求や必要性を特徴とする状態のことをいいます。

 その特徴は「薬物、アルコール、ギャンブル、インターネット」など多岐にわたり、これらの行動を「嗜癖(しへき)」と呼びます。詳しくは↓の記事をご参照ください。


 アディクションは「否認の病」「孤立の病」とも呼ばれ、孤立した環境やストレスの多い状況にある人が依存症になりやすいとされています。逆に社会的なつながりやサポートがあると依存症からの回復が期待できます。自助グループ参加も有効な手段です。

 多くの自助グループで採用している12ステップ・プログラムはスピリチュアルな要素を多く含んでおり、自己の無力を認め、ハイヤーパワーに委ねることを基盤としています。

 また、ステップは順番に進めるだけでなく、必要に応じて前後することも可能で、個人の回復プロセスに柔軟に対応しています。

 しかし、アディクションからの回復は一度やめることができても、その状態を維持することが難しいとされているため、再発・再使用しやすく、その状況や特徴を把握していないと、あっという間に流されます。

 また、アディクションは単なる物質や行動への依存ではなく、根底にある感情的な問題や生きづらさと深く結びついています。アディクションに陥る人は否定的な感情を封印し、恐れや孤独の中で一時的な救いを求める傾向にあるためです。

 これを、人によっては「現実逃避」として受け取られがちですが、他に選択肢が考えられないぐらい「自分で自分を追い込んでいる」人が多いと思います。自分もそうでした。

 Open Your Heartでお伝えしたとおり、感情は選ぶことはできず、感情を理解した上での思考や行動のみ選択することができます。

 また、感覚の強さは個人差が生じるので、感覚の強さに比例して感情も結びつきやすくなります。

 感覚からの感情に左右されてしまい、選択を誤って自分を傷つけたり、人を傷つけてしまった方もいると思いますが、処方薬などで対処するのは自分を知るきっかけを失ってしまいます。

 そのように感じる自分を大事にして、感情というシグナルを通して自分を知るきっかけにしましょう。

 怒り・悲しみ・孤独・焦燥感は互いにリンクしやすく、人によって感じ方が違う場合もあります。

 感情は人それぞれ異なり、焦燥感から怒りに変わる人や、悲しみから孤独を感じる人がいます。これらの反応は個々の内面の豊かさを反映しており、どれも自分固有の大切なシグナルです。

 社会生活や集団生活における過去の人間関係から見える問題や思考パターンを、自分の感情から抽象化していきます。



怒り

沸き起こる怒りの感情を認めたり受け入れることが苦手でした。怒りを正当化する思考を行動に移し、怒りの感情を抱いてしまうことに心の未熟さを感じていました。

自分の思い通りにならないことへの苛立ちから湧き上がることが多く、怒りが湧いてしまう虚しさや罪悪感から逃れたくて薬物を使用していました。

自己喪失や自己肯定の低下といった状況に過剰に反応すると、思考によって落ち着くよりも衝動的かつ攻撃欲に駆られる傾向がありました。

問題に直面するまでの時間に影響されやすかったです。つまり、問題のある人や出来事と物理的な距離と時間をかけることが有効でした。



孤独

分離不安を感じやすいと思います。にもかかわらず、自分のアイデンティティを守るために一人になりたがる傾向が強く、その時の気分や状況によって暗く感じたり明るく感じるため、その場の雰囲気に酔いやすく、最も馴染み深い感情です。

ある程度の孤独が必要でした。というのも精神的な余裕を失ったとき、他者とは相容れない安全で安心できるスペースを持たなければ、自己喪失に苦しみ始めるためです。

この感覚に気づかずにいると、問題を先送りして事態を悪化・深刻化させ、他者との距離感にさらに苦しむことになっていました。



疲労

考えることが好きというより、考えることを手放せないと言ったほうがいいかもしれません。自我を保つために考えるという行為が根深く、その過程で情緒不安定になり、必要以上に心身を消耗させていた気がします。

その過程で疲労を感じることが多く、薬物を使用することで思考を手放すプロセスをリセットしていました。アルコールは逆効果でした。

物事を悲観的で損な捉え方をすると、必要以上の情報を拾って物事の本質から遠ざかり、その過程で疲労感を増大させていました。



焦燥感

思考や行動に対する報酬よりも、証拠を求める欲求が著しく強いです。おそらく、その証明こそが正当化の正体かもしれません。問題の根本は、自分に対する自信のなさだと思います。

思考の強さが苛立ちや怒りの感情に発展していると思ったので、この思考パターンを克服したつもりでしたが、本当の問題は、私が結果に執着し、結果を早く求める傾向が災いしたことにあります。

効率的に物事を進めようとすると自己中心的になりがちで、思い通りにいかなかったり、自分の行動が結果に結びつかなかったりすると、結果を出すまでの過程が楽しくなかったり、面倒に感じたりしながらも、必要以上に状況を改善しようと焦っていました。



エンディング

 人生は、自分自身を深く知る旅のようなものです。この旅は自分が本当は何者なのか、何を大切にしているのか、どんな人生を送りたいのかを探っていきます。

 時には立ち止まって自分と向き合い、新しい可能性を見つけることもあります。また、自分の強みや弱み、価値観などを理解していくことで、より自分らしい選択ができるようになっていきます。

 この過程で、自分の本当の姿や願いに気づき、それを実現していく喜びを味わうこともできるでしょう。

 そうして少しずつ、周りの期待や社会の枠にとらわれない、自分なりの自由を手に入れていきます。

 自己の再発見の旅に終わりはありません。人生の様々な経験を通じて、常に新しい自分と出会い、成長し続けることができるのです。


自分のあらゆる情動、動き、思考に対して責任をとり、他者に対する責任を放棄すれば、いかに得ることが多いかを理解しましょう。

世界はあなたの期待のためにあるのではなく、あなたも世界の期待のために生きる必要はありません。

私たちは意図的に接触することによってではなく、正直にあるがままの自分であることによって互いに触れ合うのです。

フリッツ・パールズ


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