noteでなくてもいい人は、noteにこだわらなくてもいい

呟きで近況報告をしようと思って書いていたのですが、結局4回書き直し、「文字数内で上手く伝えなければ」を考えることが今の私にとっては時間の無駄だよねという結論になったので普通の投稿にしました。

『悪魔の踊り方』の一節、
「躊躇っている数秒の無益さを知れ」
が頭に浮かびました、ベビだす。
(ソングライター キタニタツヤ『悪魔の踊り方』歌詞より)


リアルの仕事含め、「創作したいものを創作する」という「自分のための創作の時間」が日を追うごと、月を追うごとに厳しくなっています。
5月ごろからあっぷあっぷしていたのですが、今ではあっぷあっぷどころか

ガボガボガボオオオ……!!!

と、半分溺れているくらいの勢いでございます。

以前、こんな記事を書いたことがあります。

何にチャレンジしたいかは人によって異なるのは当たり前ですが、

それが「noteでなくても出来る」「noteにこだわらなくても出来る」人は、noteに義理や執着を持たなくってもいいと思う。


noteで成し遂げたいことがある方は、noteに拘るのは当たり前だけれど。
「noteじゃないと実現不可能」なことは実はあまりないのではないかと思う。
代替というモノは大抵、どこにでもあって。
noteだって、他の投稿サイトをメインとしている創作勢の方にとっては「二番手・三番手」という「代替」の扱いです。

「noteで絵を知って欲しい」と、「絵を知って欲しい」は違います。
創作に関しても、そう。
私がお付き合いのある創作勢(ここで言う創作勢とは、ライトノベル~一般文芸などを書く方とさせていただきます)の方は、ほとんどnoteにいません。

いたとしても、たまーにフラッとお顔を出される程度。
彼等にとっては、作品を知って欲しいという気持ちに「noteで」という枕詞はつかないわけです。
作品を知ってもらえる場の「三番手」くらいに捉えていらっしゃいます。

kindle勢も、まめにnoteを活用している方は凄く少ないです。
私は、自分は「活用している方」だと思います。
毎日投稿していない気まぐれ投稿の私ですら、「kindle勢」として括られればnoteに何らかのものを書いている方だと思います。

kindle勢には二種類いますが、それはまた別の機会に説明しましょう。
ここでは私含め、「創作勢」「kindle勢」と一括します。

創作勢の方もkindle勢の方も、noteで何かしらを発表している方も、
「そのプラットフォーム・もしくは投稿サイトで活動することに価値がある」場に重きを置き、そこをメインとします。
これは誰にとっても当たり前の事です。

私は、何カ月も前から自問してきたことがあります。

「noteじゃなくちゃいけない理由って、自分にはないよね」


ということです。
ブログ、エッセイ、コラムを書きたいならアメブロとかライブドアブログでもいい。
なんならXやスレッズ、インスタでも可能だ。
「ブログは長文なのでSNSは向いてない」は今や定説のようによく言われていますが、反対に
「外部リンクを踏まなくても見ることが出来るSNSだからこそ、長文を画像形式で投稿すると意外とたくさん見てもらえる」という、SNSでの長文投稿に成功しているパターンもあります。

また、創作作品であっても、カクヨムとかなろうでもいいわけです。

では何故そうしていないのか……というと、

「自作品を手掛ける時間すら厳しい中で新たなプラットフォームを探しイチから構築する余裕などなかった」

が現実問題としては正直な所です。

と同時に、

「本当に『投稿サイト(note含む)のために』書きたいの? 投稿サイトに投稿するための作品を書く時間があったら、自分が仕上げたい本や、目指す公募のために作品を書くべきなんじゃないの? 自分が本来やるべきことは、そっちだよね?」


という、私にとって「ぐうの音も出ない真実」が常に自分の心を問い詰めています。もう何カ月も前から、自分自身に詰問されている状態というのが正確な所でしょう。

自分の中の自分の言葉、思いだからこその真実です。

けれど、noteを放り投げる気は無いんですね。
noteでしか読めない好きな書き手さんもいるし、
なんだかんだで今日のように
「noteだから書けること」も今後自分に湧き上がるという予測があるからです。

ただ

「noteでなくてもいい」
「noteに固執する必要はない」


も、同じようにずうっと持ち合わせていくと思います。


私に限らず
「自分が思っていた使い方とズレてきた」
「活動が負担になってきた」
ならば

「自分がやりたい事・表現したいことって『noteじゃなきゃ実現不可能』なのかな??」

と、一度全部を白紙に戻した気分で考えてみるのも良いと思います。

noteだからこそのご縁も、「よそに行けば切れる」ならそれまでだと割り切るくらいでいいんじゃないかな。
多分それは、「noteをしていたあなたが好きだった」だけで、「あなたがどこで書いていようが好きだ」じゃないでしょ。

一言一句違わぬ同じ作品をnoteと他サイトに投稿したとします。
「noteに投稿された作品は支持するけど、他サイトのは価値ない」
とされるなら、相手にとっては
「作品そのものよりも発表された場所が大事だった」ってことでしょ。

その場合、相手にとっての価値は
「あなたの作品<noteをしているかいないか」
だから、それはそれで「そーなんだ」で終わらせていいと思うしね。


noteでなければ意味がない、という意義を持つ人も素晴らしいと思う。
noteという場に、それだけの価値を見出せたのだから。
けれど、「noteでなくてもいい」人は、「noteにこだわらなくてもいい自由があるんだ」と楽に考えたっていいんじゃないかな。
私も含めだけどね(笑)









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