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「休む」ことと「何もしない」こと

こにちわぬん。ベビだす。
あ、この冒頭の挨拶久しぶり・・・なんか落ち着くww
まあそれは置いといて、ふと今日気付いたことがあったんです。

「思い出せる限りだと、少なくともクリスマスから今日まで、丸一日休んだのって1月2日だけだなあ」って。

とはいえ、ブラック企業の如く四六時中書いているわけでもないのですよ。あたちは自分に「1日のタスク」というのを決めていて、それは
「一本で終わるモノなら最低一本やりきる」か、執筆中の長編モノだったら「どこまでと決めずに「区切るならここだな!」という箇所までは書く」なのだす。

なんかこれをしないと気持ち悪くて、ゲームに例えると「キャラ育成のデイリーをしないで寝る」みたいなムズムズが残るんだす(←ゲーマーの人ならわかってくれると信じているww)

なので、約束のある日だったり、どうしてもその日に出かなければならない用事でもない限り、「休む」って基本しないんですよね。用事が終わって帰宅して、「まだ余力あるな」と思えば結局書いてしまうし。
それで振り返ったところ、12月下旬から今日まで、「丸一日何も書かなかった」日は1月2日だけだったなあと気付いたわけだす。
ちなみにその日は、マッマとパソコンで映画三昧してました。

あたちの場合、自分で決めた「自己タスク」をクリアした瞬間から感覚的には「休み」なので、気持ちの部分としてそれが大きく働いていると思います。
しかし土曜日の今日、ふと「休みと何もしないの違いって、なんだろう」と思ったのです。


言葉の定義ではなく、本質的なものとしてこの2つの違いって何なんだろうな、と。
「休み」は文字通り、英気を養うために休んでいるのでしょうから、1日中ぼーっと寝ていようが、とことん趣味に没頭しようが、アウトドアやスポーツなどをして疲れようが、それが「実感としてリフレッシュできた」なら「休んだ」ことになっていると考えられます。

では「何もしない」1日の場合はどうなのだろう。
何もしないのだから体力的には疲労はないはず。
精神的にはどうなのだろうか。

仮にダラダラと過ごした場合でも、それによって解放感を得られたり、心が深呼吸できるような時間を過ごせれば、結果(効果)としては「休む」と同じだよな・・・?
けれど反対に、「何もしなかった」故に危機感を覚えたり、何かしている時よりも追い詰められた気持ちになったり、考え事しているうちに気分が暗くなったりしたら、それは「よろしくない場所(時間)に自分を置いてきてしまった」とも取れる。

「何もしない」の場合は、その過ごし方や気分などによってそれが「休む」と同じ効果を生むこともあれば、「何かをしている時」よりもむしろマイナスな効果を生むこともある。

そういう事かなあ、「休む」と「何もしない」の違いは。
と、思いました。

何もしない時間を設けるなら、「休むぞ!!」と開き直ってしまった方が、「何もしていない自分」への罪悪感もなく、時間として質が良い時間となるのかもしれません。

そんなことを思った土曜日でした。

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