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鈴8才の誕生日~FIVと脳障害を持つ猫

本日10月1日は、我が家で暮らす子供たち7匹(犬と猫)のひとりである、猫の鈴を8年前に保護した日。
鈴8才の誕生日です。
我が家では保護した日、迎え入れた日をその子の誕生日としている。
生まれた日が判っているのは、里親となった犬のりきと、生まれた直後に捨て置かれたと推定される猫のしぶきのみだ。

去年の鈴の誕生日。
お祝いムードの写真を撮りたいがために、
去年はミニケーキを作った。
ケーキは人間が食べ、
犬と猫は刺身などで祝った。



鈴は今日8才だが、実際のところは9才前後のはずだ。
鈴は保護当時、1才弱かその前後であったと思われるからである。

鈴は、保護されてすぐにFIV(猫エイズ)の急性期を迎えた。
保護当時「これは猫の骨格標本か」と思うほどにやせ細っていた鈴は、やっと体に肉がついてきた保護3週間を過ぎたころ体調を急変させ、まるで臨終間近のような状態になった。

著作『リキ〜9つの命を繋いだ運命の犬(上巻)』より
その当時の鈴のエピソードである一部分を公開


その際に鈴がFIVであることが判明した。
そこから8年の無症状期間を経て、鈴は今日を迎える。
しかし鈴の苦難はそれだけではなかった。

鈴が5才となったころ、それまでも他の猫に比べおぼつかなかった体の動作が、一層おかしくなった。
運動音痴を通り越して、物と物との距離感がまったく狂い出鱈目になっている。
本人はまっすぐ歩いているつもりだろうがその歩行は蛇行でしかなく、まっすぐ前を見たままゴツンと障害物に頭をぶつけている。
これはおかしいと再度詳しい検査を受けた結果、脳の前頭に障害がある事が判明したのだ。
これが、鈴が5才の頃だった。

著作『リキ〜9つの命を繋いだ運命の犬(上巻)』より
その当時の鈴のエピソードである一部分を公開

⬇️上記見開き画像で用いた紙書籍バージョン(ペーパーバック)

今でも鈴は、やはり「足取りのおぼつかない猫」として我が家で暮らしている。とは言っても症状は当時の医師の処置により安定しており、まっすぐ歩いているつもりが障害物にゴツンとするほどではなくなった。
だがやはり、鈴の目に見えているモノと実際に位置するモノがずれていることは傍から見ても明らかで、「縦・横」に更に「高さ」が加わると鈴はその物体の正確な位置の判断が難しいらしく、ちょっとしたものに飛び乗ろうとしては足を踏み外していることはよくある光景だ。

そう、「よくある光景」なのだ。
我が家では、これが鈴の「いつもの光景」であり、「いつもの鈴」だ。

脳の前頭に障害があるので、常に頭を傾けてこちらを見ている。
それすらも、まるで小首を傾げているようで可愛らしく見える。

保護する以前鈴がいた場所では、鈴はその運動能力の低さや体格の小ささから、いつもご飯を食いっぱぐれていた。
動作が緩慢なので、ご飯にありつくのが遅い。
食べるのも遅い。
結果、他の猫に先に食料を奪われ、もしくは体の小ささや運動能力の低さから他の猫に軽んじられて脅され、追い払われたりしていた。
他の猫は鈴に厳しく、自分たちが生きることに必死だったのだから鈴に対して寛容に接してやる猫はいなかった。

今我が家では、鈴を軽んじたり、いじめる猫はいない。
そのような犬もいない。

みな鈴が、
「ちょっとあの子は僕たちより鈍いよね。動作も劣っているよね」
とわかっている。
それは他の猫たちや犬たちを見ていてもわかる。

けれど、だからといって他の猫や犬が鈴をいじめたりしないのは、皆が満たされているからだ。
我が家の中で生きるために競争する必要がなく、食うものも安全も保障されているからという理由は、大きいと思う。
生きることがそれすでに競争である自然界(外の世界)ならば、我が家に来る前の鈴のように、弱く力の無いものは真っ先に蹴落とされていただろう。

瀑だってそうだ。
生まれた時に平均より2割も小さな体で生まれたことが、瀑にとっては充分に「母猫から見捨てられる理由」であったのだろう。
保護したときの瀑の体重は80gであり、赤ちゃん猫の平均的な体重100gに比べ2割も小さい。
母猫が生きのびる可能性の高い仔猫を選別し、瀑は置き去りにされた可能性は否めない。

瀑はそれでも一般的な猫の体重4キロを超え、生まれた時すでに小さかったからか大人になっても骨格が細く華奢ではあるが(獣医師にもよく「この子は線が細いねえ」と言われる)、健康に生きて毎日追いかけっこもし、猫らしく過ごしている。

鈴は、自分の身体能力が他の猫より劣る自覚があるのか、他の猫とあまり関わらない。
鈴は静かに過ごすのが好きだ。
けして仲間外れにされているわけではない。
他の猫も、犬も、「あの子はああやって過ごすのが好きな子」だとわかっている。鈴が追いかけっこや高い所を登ったりはしなくとも、寛ぐときは他の猫たちと一緒に鈴も並んで眠ったり、横になっている。


鈴の方から近づくのではなく、他の猫たちの方から鈴の傍に行って寄り添い、寛いでいる。
誰が何を好きなのか、何をする時に誰と居るのが心地良いのか、猫たちはちゃんとわかっている。

そして犬の八房やつふさは特に、鈴が好きだ。
たまに鈴が琥珀などに追いかけっこに誘われて迷惑そうにしていると、ハラハラした雰囲気で八房は鈴を見ている。

犬も解っているのだ、鈴が「他の猫より身体能力が低い」ことを。

なので保護者よろしく、ハラハラした顔で行く末を見守っている。
他の猫たち――、牡丹や瀑などが追いかけっこをしていても気にも留めないのに、鈴が追いかけっこをしていたり誘われたりすると、まるで保護者のように八房は鈴を集中して見守っている。

八房は、赤ちゃん猫だった瀑の第一発見者でもある犬だ。
八房がその「犬ならではの能力」で瀑のもとへ導かなければ、今ここに瀑はいなかった。
連れ帰った80gの瀑のそばから離れず、つきっきりで瀑を見守り、あまりに熱心な付き添いぶりから「専任保育士」と呼ばれ、「八房先生」と呼ばれるようになった。
この時のエピソードと、その後八房が専任保育士を解雇されるまでのエピソードも『保護猫・しぶき』にて綴った。
懐かしい思い出である。

八房が赤ちゃんの瀑にずっとつきっきりでいた事や、瀑が立派な大人の猫になり心配が不要となってからは鈴を気に掛け、鈴を見守り寄り添う点からして、八房は「群れの中で弱い者を気にかけてやることが出来る」犬なのだ。

八房自身、これまで私が出会った犬の中でも相当に強いトラウマを抱えており、保護した初期は些細なことでパニック状態に陥り根気のいる克服が必要だった。
自身がそのような状態であったにもかかわらず、彼は
「群れの中でも、特に弱そうな者」
を思いやる力を本来持つ犬であったのだ。


鈴は、他の子たちより毛並みが悪い。
うちの子たちの中で、一番毛並みが悪い。
毛並みというのはその子がどれだけ健康か、体の状態が良好かを如実に示す。
我が家へ来てこのかた一切の心配をかけてくれることが無かった健康優良児の猫・牡丹や月などは、やはりすこぶる毛並みが良い。
同じフードを食べ、同じ家で暮らし、同じところで寝ているのにそれだけ体の内側から「健康」というものがほとばしっているのだ。
瀑も毛並みが良く、ツルツルだ。
八房も、やはりツルツルだ。

食物アレルギーのある力や琥珀の毛並みは、彼らに劣る。
食物アレルギーを持つ子は皮膚も弱い場合があるため、ちょっとしたことで皮膚がかぶれたりするし、治りも遅い。

その力や琥珀より、鈴の毛並みは劣る。
体の外側まで行き届かないほど、内側が必死なのだ。

秋口になると早々に、鈴だけ薄手の服を着る。
そうでなければ、室内といえども鈴は冷えてしまう。
他の猫が平気そうにしている気温・室温でも、鈴だけ寒そうにしていたり、体温が低めだったりする。
涼しくなり始めると鈴が服を着るようになって、早8年が経つ。

リキ本で綴ったように、犬では亡き風太・幸太が服を着ていた。
2匹とも心臓が悪かったため、やはり冷える時期になると室内でも保温してやらねばならなかった。
服を着せて保温するだけでも、風太の咳がおさまったり、体調が良かったりしたものだ。
持病があり体の弱い鈴にとっても、体温を下げない事・体を冷やさないことは重要なことだ。


今日は鈴の8才の誕生日だ。
夜はみんなで、恒例のチュールパーティーだ。
「美味しいなあ」と思うものを食べて、食べた後は満足気に、幸せそうに顔を洗って欲しい。

食べることは、生きることだ。
そしてこの子らは幸運にも、
「美味しいものを食べることは、幸せだ」
ということも知っている。

食べるという行為の中に、「嬉しい・楽しい」がある事を知っている。

それらを知ることが出来る犬や猫は、限られている。
そして、彼らは幸せだ。

聞かずともわかる。
その子らを愛し、共に暮らしている私にとって、彼らの心がわかるのは当たり前の事なのだ。

「今はめっちゃ楽しい! 嬉しい!」
「今はちょっと気分が降下しております」
「今はちょっと機嫌悪い」
「今はなんにも考えてはおらん」

「総合的に、幸せです」


この子らが、私の心を瞬間瞬間で理解しているように、私も彼らの心を瞬間瞬間で理解している。

総合的に、幸せに。
これからも出来るだけ長く、「総合的に幸せな日々」を貪欲に掴み取っていこうね。
鈴ち、8才の誕生日、おめでとう!!

見出し画像にも使った、8才になった鈴。
撮りたてホヤホヤの1枚。
「鈴ち」「ちゅるち」などの愛称を持つ、鈴。

~あとがき~

本記事を書き終え、数回見直しながら私が最後に改めたのは「タイトル」です。
公開直前までのタイトルは、「鈴8才の誕生日~FIVと脳障害を抱えた猫」でした。
公開直前で、「抱えた」という自分の表現が引っ掛かりました。
この表現は、間違いではありません。
鈴はFIVや脳障害が無ければ、もっと健康で活発な猫として生きていけたであろうことは明白です。
FIVと脳障害は間違いなく鈴にとっては「苦難」であり、それを「抱える」と表現することは何らおかしい事ではなく、仮に「FIVと脳障害を抱えた猫」とタイトルを冠しても、第三者から「障害を『抱える』と表現するとは何事だ!」「病気を『抱える』と表現するとは何事だ!」と批判されたり指摘されることではないと思っています。
FIVと脳障害に日々闘っている当事者は鈴であり、その家族である私なのですから。

では何故、そう思う私自身が「抱える」という表現が引っ掛かったのか。
単純なことです。

誕生日くらい、鈴の背負ったものを降ろさせてあげてもいいじゃないか。
そう思ったからです。

なので本記事は、最後の修正で「FIVと脳障害を持つ猫」にタイトルを変更し、その上で公開しました。
鈴の日常を語る上で、FIVや脳障害の記述は避けられません。
まして、意図的に伏せる気持ちもありません。
誕生日であっても現実は、今日この日も鈴は病そして障害と共に生きています。
飼い主であり物書きである私がしてあげられることは、飼い主として鈴の誕生日を祝う事と、物書きとして言葉で鈴に祝福を贈る事です。
「抱える猫」や「闘う猫」ではなく、もっとシンプルにそれらを「持つ猫」としてあげよう。だって、誕生日なんだもん!!
そんな思いから、事実は事実として述べつつ、タイトルにささやかな私の気持ち(贈り物)を忍ばせました。

⭐鈴ちの8才の誕生日を祝って⭐
   琥珀ベイビー


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