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まず、コジコジを見習うべきだと思う。

4/24(日)の深夜に帰ってきて、
たまたま流れてきたJP Saxe ft. Julia Michaelsの"If the World was Ending"を聞いていたら、
どうもセンチメンタルな気持ちになって、



「なんでだろう、
あ、生理が来たからか、
いや最近感情を言葉にしてなかったからかもしれない、
危ないぞ、言葉が枯れる、、、」
と、一通り考えをめぐらした後、長らく書いてなかったブログを書こうと思い立ったわけです。



夜中の3時、せかせかとパソコンを立ち上げ、充電が切れぬようコンセントを刺し、Spotifyで落ち着いた音楽を流し、眼鏡をかけたはいいのですが、ぐちゃぐちゃっとした心の内をどうしたら整理できるのか、たかが個人のブログだけれどこれは言っていいものなのか否か、悩みました。

結果、今から私は「嘘」について書こうと、決めました。(てかいま普通に決めた)
  



 


私たちは「嘘は悪いもの」と教わります。
それはもう、小さいころから。
教育評論家が「母親が怒るから子供はうそをつくようになる」としきりに言っていた時期ありましたけど、それをうのみにした父が母に対してドヤ顔で論破しているのを見て、顔をしかめたのを覚えています。

違うんですよ。人間が嘘をつくのは、人間関係を円滑にするためだと、私は思います。
この考えを裏付けるのが、次に大人たちが子供に教える「いい嘘」の存在です。ここで「悪い嘘」しか知らない子供たちは困惑するわけです。「いい嘘」ならついてもよくて、でもその判断基準は本人にゆだねられている。なんとわかりにくいことやら!




そうやって私たちは「嘘」と出会い、「嘘」を知り、その便利さを理解すると、違う言葉に変換しながら日々の生活に浸透させていきます。

例えば「建前」、「お世辞」、さらに言えば「愛想笑い」、「サービス精神」、「マ〇ドナルドの0円スマイル」等、、。



そして皆さんの考える「嘘」の究極の形が、きっと私たちの仕事なんですよ。
っていうか、そう、言われたことがあるんです。
なんでこんな建前だらけの仕事に就いたんだ、って。

夜職の奥深さを話し出したらキリないし、きっとそれが伝わるのって当事者と元当事者しかいないと思うので言わないですけど、私「嘘」や「建前」で接客してる子なんて、誰一人としていないと思ってます。

(今から説明するけど少し回りくどいので、時間ない人は「結論」をどうぞ。
私にとって必要な過程だったので言わせてください。)






少し昔、卒論のために『キャバ嬢の社会学』とか『日本の性風俗』みたいなタイトルの本を読んでいた時、「カネとカラダの交換システム」というある筆者の概念に出会ったんです。もう、荒れましたね。この出会いによって私の心は乱れ乱れ、何が本当なのかわからなくなりました。



内容はこうです。
夜職に偏見を持っていた筆者。彼女は当時時代を風靡していた「援交女子(援助交際をする女の子たち)」に偏見を持っており、その延長線上にいる夜職の女性たちを、“女を売りにしないと生きていけないかわいそうな人たち”と非難していました。しかし自身が学生時代付き合った男性との経験から昼間の世界の女性たちと、夜の世界の女性たちと一体全体何が違うのか疑問に思い、研究室の先輩からの後押しも相まって、実際にキャバクラで働きその内情や実態を解き明かすことにしたのです。



そこでキーポイントとなるのが「カネとカラダの交換システム」


実際、筆者がお付き合いをしていた彼は、学生ながらガソリンスタンドの仕事に励み、クリスマスにネックレスをプレゼントしました。それを聞いた筆者の友達に、「頑張ってくれたんだから、えっちしてあげなよ!」と男性の頑張りに対して、体(もしくは行動)で返すことが当たり前かのように言われたことで、彼女はこの資本主義の中心に君臨する某システムに気づいたわけです。




これを聞いてしまった私は、あらやだ、本当にそうじゃない!と、困惑しました。

夜が特別だとか思っていたけど、結局根本変わらないし、夜が回れば昼も回る。その反対も然り。なら本物と偽物の境はなに?なんて、必死に悩んでました。怖くなってしまったんです。わかっていたけど、あまり触れずにいた芯(真)の部分がいきなり現れたかのようで。



だけどあることに気づきました。夜遊び文化や夜職を大衆化したい、などと大口たたいていた割には「昼が本物、夜が偽物」なんていうチンケな考えに侵されていたことを。

それに、この気持ち悪さや不安を解消したくて、沢山相談したうちの一人が、「じゃぁここ(その人と私)の関係はなに?俺が相談乗ったら、貴方は何かで返そうとするだろうけど、これは偽り?じゃないよね。本人同士がそう思うならそうだよ。」(要約)なんて言ってくれたんです。






結論。

何ってそーゆーことなんですよ。たとえ「カネとカラダの交換システム」が私たちの生活の本質で、それは変えようにないものだったとしても、そのもの自体を信じるか信じないか、というような本当にシンプルで、学校の全校集会とかで聞くと「うぜぇ」と思うような、ちょード綺麗事が突破口だったりするんです。
"君たちの本名も、生い立ちも、今発したその言葉さえも「本物」じゃないから、この関係は「偽物」だ。" と考える人にはきっと一生偽物です。しかし、私たちがいる蜜柑劇場に来て、キャストに出会い、そこで起きた感情や記憶を「本物」だと思える人はきっと、すべてを本物に替えてしまうエネルギーを持っている。よぉく考えてください。人間同士ですよ?嘘だけの関係であってたまるもんですか。


どんなに「嘘つき」とか「ろくでなし」とか「こんなところで」とか言われようとも、それでもいい気持ちを拡散したい。それじゃだめなんでしょうかね。


先日、土砂降りの日、とっても美しい女性が店の前を通ったんです。黒のコートに、パンプス、髪は後ろで低めに縛ってあって、高嶺と陰で呼ばれていそうな女性でした。「こんばんは~」と声を掛けたら、それまた美しく頭を下げられたんですけど、ムンクの個性的なサブバックが目に留まって、、。 

「ムンクの!かわいいですね!」

ってまぁまぁ大きな声でゆっちゃったんですよ。話しかけるのをためらうほどきれいだったのに。
そうしたら少しだけ振り返って、マスクの下なのに極上ってわかるほどの笑顔で会釈されたのです。
こんな雨だけど、彼女の今日の記憶が素敵なものになればいいなぁ。なんて思っていたら本当にそう、口からこぼれました。

本名も、生い立ちも、私が見た笑顔さえも「本物」かどうかわからない彼女との出会いは、確実に現実でした。



そんなメルヘンな気持ちで毎日いられるなんて、あり得るわけないけど、そう思えたことも、彼女の笑顔も、そうと信じる私の中では「本物」です。それに、本物かどうかわからなかったとしても、うれしい、楽しい、悲しい、つらい、みたいな感情はリアルでしょう?
この考えを餌に人を丸め込もうとする人から逃げてさえいれば(逃げられないのでありばずっと無視し続ければ)、きっと大丈夫だと思います。
なんせ、生きてるだけで偉い。
人生の先生は、さくらももこ先生作のコジコジです。



草々。
2022/4/25 筆

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