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久々に東京に行ったら、地方の良さを再認識した話

「今いる場所の良さは、一度離れなければわからない。」

これは仕事環境も仕事内容、プライベートの友人関係でもなんでも当てはまると思うし、当然居住環境や生活環境にも該当する。

私も地方の魅力を上京してから思い出し、新潟県長岡市に地方移住を行った身ではあるが、2ヶ月間長岡で生活すると良くも悪くも「慣れる」ものである。

良くも悪くも慣れてきた

生活環境であったり、仕事の進め方やスタイルなども移住して2ヶ月も経てば安定してくる。

移住した直後に感じた「空気が美味い」や「夜が静か」といった感覚も恐ろしいことに慣れて何も感じなくなってくるのだ。

その上とても贅沢な話なのだが、「交通系マネーが使えない」、「水道の基礎料金が高い」、「外食のレパートリーが少ない」などの粗まで見えてきてしまう始末だ。

そんなある日、東京に行く用事があり1泊2日で向かうことになった。

東京に戻って感じたこと

東京には長岡 -> 東京(新宿) 行きの深夜バスを利用して向かった。

以前東京に住んでいた時には、早朝の新宿は比較的排気ガスが少なく、人も少ないので割と好きな雰囲気ではあったのだが、その瞬間に「慣れ」に犯されていることを理解した。

圧倒的な下水と排気ガスの匂いで満たされていてバスから降りた瞬間から長岡市に帰りたくなった。

そして、1泊するホテルは渋谷のマークシティにある場所であり、渋谷交差点の真上だ。東京に観光客として宿泊するのは久しぶりだった事もあり少し楽しみにしていたのだが、またここでも「慣れ」に犯されていることを自覚する。

すごい大音量の広告音や雑踏。そしてウーハーの重低音が夜中まで響く。

「当たり前」は「当たり前」じゃないと思い知る

この2点は、東京に住んでいた時には割と当たり前だった。そう「慣れ」ていたのだ。

しかし長岡市に移住して2ヶ月経った私のは、夜は普通静かなものだし、街は普通山や木々の香りで満たされているという「慣れ」を持ってしまっていた。

この「慣れ」こそが曲者で、「住めば都」ということなのだろう。

そして東京の「当たり前」を体感した後、またバスで新潟県長岡市に帰ってきた瞬間にそのギャップをまた感じるものだ。そこでは長岡の「当たり前」が迎え撃ってくる。

長岡の当たり前

ここでは移住直後に感じていた「空気が美味い」や「夜が静か」を再認識させられた。

東京に来る前までは慣れてしまって何も思っていないはずのものだったのだが、少し離れて別の当たり前を知ると「空気がうまくて良い」「夜が静かでいい」という評価に変わってくる。

外の世界を見るのは大切なことだ

同じ友人グループにいるだけだと、その世界が当たり前になってしまうが、新しい交友関係に出るとまた視界が変わる。

仕事場を変えた時、今までは埋もれていた能力が圧倒的に必要とされる事もある。

地方に住んでいて東京に来た時、便利さや刺激に圧倒されるが、逆に地方の豊かさや気持ちよさを知ることにもつながる。

日本の良さも世界を見なければわからないかもしれない。


最後に

自分の居場所がどのくらい素敵な場所かを知るために、一度そこから旅をして離れることが絶対に必要だ。

そして長岡に慣れてきた時、また場所を変えて違う世界に触れ、「慣れ」を壊していくことで豊かな生活の再認識を繰り返すことができるかもしれない。

ずっと地方にいる若者や壮年層も一度外の世界を見る機会を作った方がより自分の場所の良さを再認識することができるかもしれない。

現状維持は停滞。停滞は衰退だ。

バボでした。
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