03 母、突然の一人暮らし。どうなる。
翌朝、ほとんど徹夜の状態で実家に向かいました。父の入院準備と、突然一人暮らしになった母の生活環境を整えるためです。コロナ禍でお見舞いできないから、もうあとは病院で良くなることを祈るほかない。
良くも悪くも、父はわたしたちの手を離れたということになります。
母は前夜のすったもんだを覚えているか五分五分だな、と思っていましたが、どうやら鮮烈な体験だったらしく「昨日はほとんど寝てないの。実はおじじが入院してね。帰ったのは明け方よ!もう、大変だったのよ」と教えてくれました。
そうだね。
なんならわたしも一緒にいたけどね。
これまで結婚生活52年間全身全霊で父を頼り、支え、文句を言い、慈しんできた母。お互い軽度の認知症になっても、開ききった「人」の字みたいに潰れるギリギリ手前の支え合いを保ってきました。
ですから、父のいない母の生活はどうなるんだ?彼女のメンタルどうなっちまうんだ?というのが、わたしの目の前の心配事になっていくんだろうと思っていました。
ところが。
予想を裏切る展開がありました。
母はヘルパーさんに支えてもらいながらの一人暮らしで、悲嘆に暮れることはなかった。
むしろ生き生きしだしたのです。
ヘルパーさんとの食事づくりを楽しみ、「まちがいさがし」のゲームに夢中になり、不憫に思って以前より頻回に訪れる娘たちと散歩を楽しむ。何だか若返ったような印象すらありました。
父の食事の世話(できないけれど気にはする)のストレス、爆音でテレビを見る父へのストレス、買い物に出かけると歩く速度の合わないストレスなどが日常から消えたのか。軽やかな風情へ。
妹もわたしも拍子抜けです。まあ、、、よかったんだね、、アハハ、トホホというかんじ。
思えば母は、父の意向を確認しないことがない人生でした。食べたいものも行きたい場所も今日の予定もお風呂のタイミングも、選挙の時すらも「あなた、どうする?」と聞くのがクセ。「うちは夫婦でぜんぶ一緒なの」も口癖でした。父はうんともいやとも言わず、黙って笑ってましたけどね。
母はそもそも負けん気が強く、はっきりと主張をする性格なのに、そうして長年にわたり決定権を持たない暮らしを続けていました。
わたしはいつも「それくらい自分で決めたら?」と思っていました。たとえば母に対して「お昼は何が食べたい?」と聞いても、そのまま父に「あなたは何が食べたい?」と問いを渡してしまうんだもの。
こういう滅私スタイルが”内助の功”というものなのか、とこどもの頃は思っていました。母は、父のことを尊敬しているんだなあ、って。
わたし自身も家庭を持つようになってからは、次第にこの母の言動に違和感を感じるようになっていました。自分の意見や自分の要望をしっかりと口に出すことは、言ったことに責任を持つことと表裏一体。夫の庇護のもとで判断をしない暮らしをしていると、だんだん、モノを考えないマンになっちゃうぞ?と思ったわけです。
まあ、時代の違いもあります。だから口ははさみませんでした。それはそれで確立されたスタイルだったから。
そんな夫婦も歳をとってきて、認知症状も出てきて、相手に合わせるのが大変になってきたんでしょうね。持ち前のワガママと、夫をたてるクセが競合して、本人の中でもいろいろ葛藤があるのを見てきました。
夫の入院で1人暮らしになり、生活の主語が「わたし」になった時、母は寂しさだけでなく、知らないうちに解放感も感じていたんじゃないかな。それはとても自然なことかもしれないと思えました。
そうして暮らしの根本が楽になると、心のゆとりができ、再び「おじじ大丈夫かしら」と愛やら心配やらを寄せるようになる。
母はそんな姿を見せていました。父が帰ってくるまでの、2ヶ月ほど。
一方で、わたしには新しい不安が浮上してきました。
体のままならない父が退院してきたら、母は果たして、また夫婦2人暮らしを健やかにやれるだろうか?
というね。
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