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旅ダンス

去年から、お茶を習っている。
学生時代に1年間だけ、裏千家茶道の教室に通ったが
それからは全然やっていない。
(今教わっているのは宗偏流といいます。)

長男の「デイサービス友」Sくんのお母さんが教えてくれる。
このお友だちも、長男と同様に、重度障害者だ。
うちよりも手がかかるかもしれない。しかもお母さんは私よりも
7~8歳年上。
こんな意欲をどうやって維持できているんだろう。


5月は「旅箪笥」と言う点前を教わった。
「旅ダンス」はちょっとかわいい響き。
これはお茶の道具を仕舞いこんだ出前のオカモチみたいな箱を
戸外に持ち出して、野点をするのを想定したお稽古だ。

年の初めくらいだったと思うが、「ライジング若冲」というドラマで
売茶翁(ばいさおう・江戸時代の禅僧で、還俗後は移動喫茶のようにして煎茶を振舞って歩いた。池大雅や与謝蕪村、伊藤若冲などの画人と交流があった)がこの旅箪笥を背負って、思い思いの場所で野点をしていた。
たまたまお茶をふるまった絵描きの卵に「若冲」という名前を進呈したという。

そんなことを思い出しながらのこのお点前は、とても楽しかった。

「そこは土がある場所だから、もっとこっちに寄せて」
「土に直にお茶碗や茶入れは置かないように、この仕切り板を外して敷きます」
ままごととか、ごっこ遊びみたいで、ちょっとはしゃいだ気持ちになった。

細かい作法が無限にあるような気がしているが
すべては、お客への心遣いからきている。
旅箪笥の上のほこりを払うときは、お客様とは反対の方向へ袱紗で2回払う。最初からチリひとつないんですけどね。
でも、それが心遣い。
茶碗をすすいだ水の入った建水を運び出す時は、お客様のほうへ向かない。

まだまだこれから沢山そういうのが出てきそうだ。
そして、これ見よがしな動作はしない。
つとめて地味に、つつましく、気遣いの動きをする。

掛け軸の書や生け花。
先日は「遠山碧層々」という書と、茶花は都忘れ。
障子からの柔らかい外光の中で、なんとまあ、別世界にいるような。
しかし、まだまだそれを心から味わう境地までには程遠い。

「柄杓の持ち方はこうです、お水の時はまた違います。
「茶杓を持つ前に、袱紗をさばいてね。
「お湯を釜からくみ出す時にそんなにゴボゴボさせないんです。
「柄杓は、刀のようにシュッと釜に入れて、角度によって汲み出す湯の量を調節します。
「柄杓の柄の先は、畳の目の12目×12目くらいのところ、体と並行においてね。
無限に所作を直される。

これについて行くのが、さぞかし面倒かと思いきや、不思議と心地よい。
脳みそと体が一生懸命、先生の言葉を再現しようとしていて、頭の体操になる。
動作は地味でゆっくりだけども、立ち居振る舞いのひとつひとつを意識しないと、ちゃんとした足運びや立ち上がり方にならない。終わると筋肉痛になっている。
先生はしゃんとしてキビキビ動いている。お茶で筋トレできるんだな。


戦国時代に、武将が陣地で野点をしたという。
一歩幕の外に出れば、死が充満している世界だ。
それでも…というか、だからこそ、ひととき鎮まって、お茶を喫する。
亭主もお客も、お互いを気遣い気持ちのよいひとときを過ごそうとする。
今の命をひときわ感じる。

明日には命がないかもしれない時代に茶の湯が発達したというのは
とてもわかる気がする。その時代の人の気持ちにはなれないけど。
想像はできる。

明日の命が保証できないのは、戦国も今も変わりがない。
お茶を教わりながら、毎日相対する人を大事することを教わった。
家族や友だち、言葉を交わす人、お世話になる人。自分。


先生は70歳を目前にしていて、私もそうだけど、固有名詞がなかなか出てこないことが多い。
こちらは次の動作の右も左もわからないもんで、指示が来るまでひたすら待っている。
これはこれで、シニアお稽古あるあるって感じで、笑える。

先生は師範ではあっても、いまもお稽古に通っている。
自分のさらなる向上のためと言い、月謝はとらない。「人に教えるのが、一番自分の身につく」という。
「水屋料」という、諸経費と茶菓のお代でワンコインのみ。
毎回、可愛い瀬戸物の蓋つきの容器に、ちゃりんと入れて帰る。
この楽しくてつつましい、気遣いの通う時間が今はとても好きだ。









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