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テレビはもうすぐ終わる

テレビというメディアの人気が明確に低下しています。

私は昭和生まれなので、テレビが一番面白かったと思う昭和後期から平成初期の番組を見てタレントの人に親近感を持ち毎週見ていました。

ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、ナインティナイン、キムタク、その他大勢の面白いタレントがいつも番組に出ていてよく見ていたし、彼らのことを詳しく知りたいと思った時期もありました。

しかしいつの間にかテレビを熱心に見ることがなくなってしまいました。
気になったらTVerで見ますが、テレビを流しっぱなしにすることはもうありません。

そうなった今、特にこう思います。

「なぜ知り合いでもないテレビの出演者に、勝手に親近感を抱いていたのだろう?」と。

テレビの視聴習慣が消失した今、何にそこまで駆り立てられていたのかを思い出すことができません。

今でもテレビで人気の番組はたくさんありますし、昔のテレビと比べて魅力がなくなったということはないと思います。
ではなぜ昔は、テレビ番組や出演者に対してあれほどの強い思い入れがあったのでしょうか?


好きだから見るのではなく、見るから好きになる


脳は負担が増えることを嫌い、なるべく負荷が少ないように行動しようとする性質があります。脳にとって「決断」は非常に高負荷で、出来るだけしたくないのです。
ちなみに日本人の9割以上はそのような現状維持的な態度を取りやすいと言われています。

古い脳(小脳)による習慣がすでにある場合、新しい脳(大脳)は決断なしに毎日同じ状態で過ごせて快適です。脳は負荷の少ない習慣化された行動を選びがちなのです。

つまり、テレビの視聴が習慣化している状態で、流行らせたい番組や人を繰り返し流したら、当然それを見る人の脳は習慣に沿って楽しく視聴し、そこで見る情報を好意的にとらえ、映っている人に思い入れが出来ます。

そしてタレントや番組に親近感を持ち、好きになります。

しかし視聴習慣がなくなれば好意的にとらえる脳の動きがなくなり、テレビタレントが普通の他人に見えてきます。


もう世間の追い風はない


ここからは私の考えですが、テレビで活躍できるような自己主張の強さがある人は、いわゆる「アクが強い」人が多いと思います。

楽しいテレビを通して見ている限り感じませんが、実際その強さは、視聴者の無邪気な楽しさを邪魔するくらいの個性の強さを持っていて、味の「えぐみ」のように少しならいいけど多くは摂取できないものです。

特に昔のテレビの世界は強い自己主張や暴言・暴力・差別的な言動が多く、好意的に見ていた刺激的で面白かった番組も、いま冷静に見ると恐ろしく感じてしまいます。

視聴習慣がなくなったことにより魔法が解けた、と言えるのではないでしょうか。

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私はテレビの仕事をしているわけではありませんが、たまたまテレビの生放送の現場を垣間見れるような仕事に関わったことがあります。

もう10年以上前、その新番組が放送された際、技術的なトラブルが突然発生し予定の放送内容がほぼ吹き飛びました。

そのとき、ゲストで出演されていたあるタレントさんが鮮やかな言動でその間をつなぎ、1時間以上ものリカバリーを見事にこなしているのを見て、何という底力かと感じました。

しかしその人は、アイデアもすごいがパワハラもすごいという伝説もあるような人で、それだけの押しの強さがないとあのようなトラブルに対処することはできないのだろうと納得しました。

ただ、そういったクセのあるキャラクターが好意を持って受け入れられることはもうないんだろうと思います。

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テレビは、結局視聴者の視聴習慣がなくなればただの娯楽のひとつにすぎず、容易に相対化されてしまいます。

そしてご存じのように10代20代のテレビ離れは著しく、40代以下はスマホ利用時間がテレビ視聴時間を上回るというニュースが最近流れました。
自分の肌感覚ではスマホ4:テレビ1くらいの比率だと思いますが、全国の平均ではそんなものなのでしょう。

このような状況から考えて、テレビの視聴習慣がまだ残っている人、おそらく60~70歳以上の人向けだけに従来のテレビ番組は残り、それ以外はすべてネット経由の配信サービスに置き換わるはずです。

その時、世間の興味の中心にあったかつてのテレビは完全に終わるのではないでしょうか。



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