やはり日本サッカーはまだまだ世界に追いつけない
先日、日本サッカーがなぜ世界に追いつけないかを考えた記事で、世界のサッカーは日本とは違い、反則もいとわない力同士のぶつかり合いが常にあり、その激しさをファンが求めていると書きました。
もう一つ、サッカーという競技は日本では普通のスポーツですが、世界では常に勝利が求められる戦争のような厳しさがあり、最終的な勝ち負けが非常に重視される泥臭い総力戦である、とも書きました。
私が素人ながらに思うのは、日本のサッカー選手、監督やコーチ、チームや競技団体は世界でもうすでにかなり優秀なレベルに達していて、先日のドイツ戦のような、世界の強豪に対するアップセットも実現できるところまで来ています。
実際、前回大会では負けはしましたが強豪のベルギーを追い詰めるところまで行き、決して運だけではできない戦いを見せてくれました。
ではなぜ今回は、強豪ではないコスタリカに足元をすくわれたのでしょうか・・・?
日本の合理的な作戦
聞くところによると、森保監督は2戦目のコスタリカ戦は、失点のリスクを最小にしながら引き分けまたは1点差で勝つプランで進めていたそうです。
そして3戦という短期決戦ながら、2戦目には主力を一部休ませるターンオーバーを実施し、1戦目のドイツと3戦目のスペインに主力が疲労なく臨めるように計画を立てていたようです。
実際1戦目のドイツに見事な作戦勝ちを収めましたし、2戦目のコスタリカにうまく引き分け、3戦目のスペインに疲労回復した主力メンバーで渡り合うという素晴らしい絵を描いていたのではと思います。
なんという合理的な作戦でしょう・・・
しかしその合理性を追求する姿勢は、参加者が国の威信をかけて戦うワールドカップとは相性が悪かったと思います。
なぜコスタリカが死ぬ気で日本を倒しに来ると想像できなかったのでしょうか?
私には森保監督の頭の中はわかりませんが、合理的に突き詰めると先ほどのような作戦になるのだろう、という想像はつきます。
なぜなら、コスタリカは元々ドイツとスペインには勝てそうもなく、実際スペインに7点差という大差をつけられて負けました。
そんな状況に日本がなったら、試合直後に監督が辞任してチームが空中分解していてもおかしくありません。
そんなコスタリカはもう戦う意思をなくしていて、日本なら1.5軍でターンオーバーしつつ、引き分けか、うまくすれば勝てると監督は見込んだ。
それは理論的には間違っていなかったかもしれません。
日本以外の国に対する想像力
コスタリカは、試合の90分のうち70分はひたすら守り死んだふりをして残りの20分に逆襲する作戦を取り、まんまと日本はその作戦にひっかかり、浮足立ってミスから失点しました。
コスタリカは、たとえ1試合目で大負けしていようが、予選突破が厳しかろうが、目の前の敵を全力で倒すという非常に勇敢な姿勢で臨んでいたのでしょう。
彼らも国の代表として負けるわけにはいかないし、もし負けたとしても、最後まで戦ったという姿勢がなければならないはずだからです。
昔ワールドカップでオウンゴールをして敗退したコロンビアのディフェンダーが、帰国後に銃で殺されてしまいました。
世界にはそういう国もあります。
日本では想像つきませんが、世界のサッカーに対する国民の姿勢は合理的なんて優しいものではなく、治安の悪い国なら下手したら本当に死ぬかもという覚悟をもっているかもしれません。
それが良いか悪いかは別として、そういう想像力を欠いてしまっていたことが、コスタリカに負けた理由の一つだと思います。
日本が世界に追いつく日
この記事を書いている時点ではまだスペイン戦は行われておらず、もしかしたら日本がスペインに勝って、コスタリカとの件は忘れ去られてしまうかもしれません。
しかし、国の名誉を懸けてワールドカップに乗り込んできた世界の強豪と日本が渡り合うためには、それだけの覚悟を日本の選手や監督、ファンが持つ必要があると思います。
ちなみに私がワールドカップを見ていて最もリアルに怖さを感じたのは、ブラジルのリシャルリソン選手です。
若くして能力を証明し、さらに風格のようなものまで備えて、次の時代を担う名選手になるかもしれません。
果たしてこんな怖さと上手さのある選手を日本が輩出する日は来るのでしょうか・・・?
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