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アバター2が日本の興行ランキング1位にならない理由

アバターシリーズの最新作が公開され、世界各国で興行収入1位を獲得しているらしいです。

しかし日本では、スラムダンクの最新作とすずめの戸締まりが立ちふさがり、初週3位というバッドスタートとなったようです。

確かに自分も、スラムダンクや新海誠監督作品とアバターの続編のどちらかを選べと言われたら、完全に個人の好みでアバターが悪いわけではありませんが、前者のほうが楽しそうです。

過去には、ネットフリックスの世界各国の視聴数ランキングで、世界中「ストレンジャー・シングス」が1位だったのに日本だけ「SPY×FAMILY」が1位、というツイートがありました。

それに対し日本のエンタメ文化の特殊性という切り口でさまざまな意見が交わされていましたが、私が思うのは「文化の多様性っていったい何だろう」ということです。


いまだ消せない価値観


いわゆるハリウッド映画の文法というか、超王道な作品というものがあり、エンタメとして完成度が高く非常に面白いのですが、その裏にあるアメリカや西ヨーロッパの人々の価値観がやはり強すぎるといつも感じます。

とくに宗教に絡む部分、唯一の神の下で理想が実現されるという思想や、同じ神を信じていない人は倒していい存在だという主張が常に見え隠れするのは、そういう考えを持たない自分にとって共感できない部分です。

アバターの第一作目では「植民地支配をしようとする人類は悪」という、欧米人に対して過去を考え直すことを求めるようなメッセージが込められています。

しかしその対象であるナヴィという別の惑星の部族の描かれ方が、どうしても「未開人」的な印象を与える作りになっており、(見終わればそうではないと分かるストーリーではあるものの)やはり根底にそういう意識があるんだろうなと気づいて萎える部分は正直ありました。

別の神を信じている未開の部族だけど、彼らにも生きる権利があるから認めてあげようね、という上から目線を持つことへの反省はないのだな、と。


ジェームズキャメロン監督は過去にもターミネーターなどの傑作かつ問題作を世に送り出していてその業績は疑いがありませんが、彼をもってしてもそうなのであれば、果たして一般のアメリカの人の意識たるやどうなんだろうと思います。

もちろんエンターテインメントとして非常に単純化する必要があり、観客にすぐ分かってもらえるようややこしい部分を排除しているのは分かります。

そしてそういったややこしさの代わりに、SFXやさまざまな技術による仕掛けに大変な予算を投じていることがこの映画の大きな魅力を成していて、それ自体は大賛成です。

でも、そうやって普通の人々に理解しやすいように工夫された最大公約数的なメッセージの中に、彼らの歴史的な特権的意識がいまだに含まれているんだな、という失望があったのは間違いありません。


価値観の多様性とは


では日本の一般の人々は、アメリカのように根底では同じ神を信じない人々を認めたくないといった意識を持たず、広い心で価値観の真の多様性を理解しているのでしょうか。
もちろんそんな訳はありません。

スラムダンクとすずめの戸締まり、または名探偵コナンでもスパイファミリーでも構いませんが、とても良い作品だと思いますが普通の国内向け映画であり、そこまで強いメッセージがあるわけではありません。

でもすごく雑な言い方ですが、エンタメごときにそんな高尚なメッセージ、そもそもいらなくないですか?


娯楽はどこまで行っても結局ある種の暇つぶしであり、個人の価値観や主義主張を問うにはあまりふさわしくない場だと私は思います。

推し活という言葉がありますが、それは日常では満たしづらい理想の肯定感や、個人的な思い込みに対する共感を得るための手段と言えると思います。

誰でも自分が推している対象と過ごす時間はとても貴重で楽しく、多幸感にあふれ、明らかに心が安定します(よね?)。
しかもそれはほぼ脳内で完結する出来事で、誰かを上げるために誰かを落とすような無駄な作業は必要ありません。


ハリウッド映画のような、悪の存在を想定しそれに対する正義が勝つというカタルシスの得方は、脳内で完結する推し活をすでに極めている日本人からするととても古くて狭量な考えだと感じます。

そういった古い考えを持つ海外の映画よりスラダンが描く青春や友情のはかなさや美しさを推したい、と考える人々のほうがより豊かな感性と価値観を持っていると思うのは私だけでしょうか。




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