日本は技術の先端ではなく異端
iモードという言葉を聞いて、30代以上の人ならきっと懐かしい響きを感じると思います。
平成の一時期、日本が世界に先駆けて携帯電話でのコミュニケーションプラットフォームを構築し多くの国民が利用していたあのiモードですが、今やそのほとんどがスマホに移行し、2026年3月に完全にサービスが終わります。
あまりに国内に特化していたため海外には普及できず、今考えれば早すぎた発明だったと言えるかもしれません。
ところで、コンピュータを携帯して自由に使える世の中の到来を1970年代に予言していたアラン・ケイをご存じでしょうか。
彼は「ダイナブック構想」を1972年に発表し、個人がコンピュータを持ち、ネットワークに接続して知識を共有し、子供から大人まで個人で学びコミュニケーションできる自由を手に入れる世界の到来を、まだスマホはおろかパソコンもない時代に予言しました。
その構想が一つの元となり、アップルのマッキントッシュというパソコンが誕生し、iPhoneというスマートフォンでついにその夢が実現しました。
iモードもそういった理想を掲げて始まったはずですが、ついにその主役の座を手中に収めることはできませんでした。
2000年代以降の日本の低迷
さらに日本は、そういった先進的な携帯電話がいち早く普及したにもかかわらず、なぜかスマホやPCでの電子決済や商取引はあまり普及していません。
2023年の日本でのキャッシュレス決済普及率は36%、中韓は8割以上、欧米主要国も半数に達していることから、明らかにまだ低いと言えます。
ただ思い返すと、日本は家電でも車でもゲーム機でも時計でもそうですが、デジタル化や多機能化はいち早く達成したのに、その後海外勢の勢いに負けてしまうというパターンがとても多いです。
80年代に家電のマイコン化というブームがありました。
車もソアラなどのデジタルメーターやカーナビ、電子制御の燃料噴射技術などハイテク化がとても早かった分野です。
ゲーム機や時計も同様で、ファミコン、プレステ、サターン、カシオなど、デジタル機器が非常に早くから普及しました。
しかし現在は自動車や工作機械等日本が強い分野以外ではグローバルスタンダードを獲得できず、いつの間にか海外の新しい技術に取って代わられ退潮してしまいました。
その理由のひとつに、「日本人は業務や技術の標準化ができない」ということが挙げられます。
私は仕事で、とある大企業の社内Webシステムを刷新する案件に関わったことがありますが、とにかく末端のシステムが現場の都合で魔改造されていることが多く、標準化がまったくされていませんでした。
他の大企業や自治体等でも同じような話を何度も聞きました。
最先端や世界初を実現するモチベーションは誰より強くても、それをルール化し足並みを揃えて普及させていく熱意はまるでないようなのです。
それが、せっかく新しい技術革新が世界を席巻しても、時間とともにいつの間にか消えていってしまう原因だと思います。
なぜ毎回そうなるのかの考察
ただ私は思うのですが、それらの事実をもって「負け」を断定してしまうのは何か違う気がしています。
むしろ負けたと言うよりも流行が去ったと言う感じであり、元からテクノロジーの覇権争いなどやる気がなかったのではないかと思えるのです。
もちろん誤解のないように説明しますと、「今の日本が負けていない」というつもりはまったくありません。
現状の負けは明らかで、それにより80~90年代頃と比べて世界での存在感は明らかに小さくなっています。
私が思うのは、「日本の人々の興味は、そもそも初めからその勝ち負けにはないんじゃないか」ということです。
ならどこに興味があるのか?というと、それは結局「流行の先頭にいたい」という思いなのではないでしょうか。
スマホのOSに関して、長い間AndroidよりiPhoneが選ばれ続けてきた(最近はさすがに高価格過ぎてiPhoneのシェアは低下していますが…)理由は、やはりただただデザインが格好いいという以外に考えづらいと私は思います。
一般の人はテクノロジーの中身など見ていないし、興味もありません。
私もIT系のサービスに関わる仕事をしているので分かりますが、一般の人から新しい技術を手に入れたいという欲求を感じることはほぼありません。
そうではなく、ただ新しくてカッコよくて自慢できるなら買うだけで、作り手もそういった人気があるから必死に作るだけです。
でも私は、それを悪いこととは思っていません。
こんなふうに妄想してみる
大陸の端の日本という島国に流れ着き、そこで暮らそうと考えた先祖達には、初めから世界の中央を目指すような野心はなく、孤立している代わりに敵からも遠く、気候は独特だが暮らすには十分な豊かさがあるので、死なない程度に新奇な流行を求めて生きるような変わった感性の持ち主が多いのではないか…?と私は妄想しています。
もしそれが本当にそうなら、「今の日本を良くする」ためのありがちな提言、例えば世界の潮流に追いつくために学び直すべきとか、伝統を捨てて合理的に振舞うべきとか、そのような呼びかけはほとんど意味がありません。
そんなことより、みんなはただ新しくて変わっていて楽しそうな次のおもちゃが欲しいだけなのです。
その意味で、マンガ・アニメ・ゲーム・ギャンブル・アダルトといった趣味系ジャンルの圧倒的な技術革新によって今までない常識はずれで刺激的な体験やマーケットを生み出すといった方向が、最も日本らしい進化なのかもしれません。
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