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『デデデのデ』 Ⅰ

Ⅰ 「故Q」


○  天井

    ところどころに染み。

    蜘蛛の糸が垂れ、わずかに揺れている。

    家具もない粗末な部屋。

    深いため息のあと、太郎のモノローグが始まる。

 太郎の声 「……よく事実は一つって言うだろ。そんなの当たり前だって
       思うだろ。俺だってそうさ。だけど、……違うんだよ。切羽
       詰まった状況に身を置いたらわかる。所詮、記憶でしかない
       んだ。……どこから話せばいいんだろうか。ありのまま言っ
       ても嘘と言われるに決まってる。でも、ここにいる俺は本当
       だからな」

    壁に、自ら頭を打ちつける太郎。

○  過去のスチール

    新宿。フリーター時代の太郎。

    強引な客引き、外国人のスカウト、見境ないダフ行為の数々。

 太郎の声 「あのころ、確かに法に触れるようなこともやったが、ちゃん
       と求人広告で見てバイトしてたんだ」

    電柱に張られたビラ。

    “夢を売る仕事! あなたも国際親善しませんか!”というキャッチ
    コピー。

 太郎の声 「それでもすぐ辞めた。まわりは頭のおかしな連中ばっかりで
       条件も無茶苦茶だったからね。しかし、彼女との出会いが大 
       きかった。決して美人だと俺も思わないけど、性が合うって
       いうんだろうか。これ、大切だよな」

    通りのはずれにある雑居ビル。

    国際交流カフェ“INTER/ENTER”の置き看板。

    客を引いてくる太郎。

    恐れをなして逃げる客。

    店の前には、制服姿のヤンキー、モヒカン、スキンヘッド。

    二人組の女の子に声をかける太郎。

    振り向くアジア系のギャル、そしてメガネをかけた彼女。

 太郎の声 「彼女と暮らすようになってがむしゃら働いた。俺にできるこ
       とじゃたいした稼ぎにならなかったが、やっと見つけたきっ
       かけ、意地になって頑張ることって、あるだろ」

    朝、魚河岸の太郎。

    昼、建築現場の太郎。

    夜、ドアボーイの太郎。

    早朝、太郎が勤めに出るとき彼女はまだ寝ている。

    夕方、彼女が帰ってきても部屋にはだれもいない。

    深夜、太郎が帰宅するころ彼女はぐっすりお休み。

 太郎の声 「忙しくて彼女と顔を合わす時間もなかったぐらいだ。なんか
       おかしいな、ゆっくり休みたいな、と思ってたとき、彼女が
       カラオケ大会で海外旅行に当たったんだ、しかもペアだぜ。
       行き先がハワイでもヨーロッパでもオーストラリアでもなく
       中国だっていうから、まあ程度は知れてるだろう。でも俺た
       ちにとっちゃ、ハネムーンをゲットしたような気分だった」

    下町の縁日、その一角にある青空のカラオケ会場。

    架設のステージ上ではしゃぐ彼女。横には中年女ばかり。

    昼間、旅行鞄をひき、そろって部屋を出てくる太郎と彼女。

    あらためて当選チケットを取り出し、にんまりする。

 太郎の声 「中国では彼女といちゃついてばかりだったな。歴史や文化に
       大した興味はなかったけれど、奇妙に印象に残ってることが
       ある。……そう、これが重要なことなんだと思う」

    万里の長城、盧溝橋、798芸術区で手をつないで歩く太郎と彼女。

    天安門広場で記念写真を撮る。

    と、なぜか尻を押さえながら警備兵に追いかけられる男が、太郎の
    目に入る。

○  広場

    スチールからムービーへと変わる、尻を押さえて逃げる男の姿。

    自撮り棒を引っ込めつつ、ぼそっとつぶやく太郎。

 太郎   「……ニュースだっけ、映画だっけ、いや現実だったっけ? 
       どっかで見たような光景だなあ」

○  成田空港

    旅行鞄をひき、到着ロビーの玄関を出てくる太郎と彼女。

    その脇を、尻を押さえながらすり抜けていく男。

 太郎   「あれれ、一緒だったの、あいつ?」

○  アパートの部屋(夜)

    がばっと起き上がる太郎。

 太郎   「思い出したぞ」

    隣ですやすや眠る彼女。

○  歌舞伎町(夕方)

    雑踏の中、尻を押さえながら警備員に追いかけられる男。

    ビルの前でぼうっとそれを見つめる太郎。

○  北京の路地(イメージ)

    嬉々とした表情で走ってくる男。

    警備兵に引きずりまわされる男。

○  アパートの部屋(夜)

太郎   「……でも、だからどうしたっていうんだ」
    と、再びふとんをかぶって眠りにつく。

○  建築現場

    日雇い仲間からよそ者扱いされ、外国人労働者の集団を避け、資材
    置き場の片隅でたった一人、弁当を食べる太郎。

    はるか遠くの路上で急停車する数台の高級車。

    腰を浮かし、それをぼんやりと眺める太郎。

    と、足もとに一挺のライフルが転がる。

    いきなりそれが暴発し、尻に火がつく。

    彼方では、車から降りた男たちがこちらを指さしている。

    驚き、尻を押さえながら逃げ出す太郎。

○  路地

    後ろを振り返り、尻を押さえて走る太郎。

○  大通り

    中国で見た謎の男が、尻を押さえながら走る。

○  アパートの前

    尻を押さえて走ってくる太郎。

    アパートへ駆け入り、ドアを開ける。

○  アパートの部屋

    ふとんの上で真っ裸で抱き合う、彼女と太郎の体。
    (太郎と謎の男の体が入れ替わっている)

    呆然と立ち尽くす太郎、震える顔は中国で見た謎男。

    下になった彼女がその存在に気づく。

 彼女   「キャー!」

 太郎(の体) 「お、おまえ、何者だ!」

 太郎(謎男) 「お、お、おれ……お、お、おまえ…」
    と、太郎の体に抱きつく。

 太郎(の体) 「(それを突き飛ばし)うわ、よせ、このバケモノ!」

    ショックを受ける太郎(謎男)、目が徐々に据わっていく。

    彼女に向き直り、その肩を抱こうとする。

 彼女   「や、やめて!」

 太郎(の体) 「お、おい、何のつもりだ!」

 太郎(謎男) 「……おまえ……乗り換わる……卑怯もの……」
    と二人に両手を差し伸べ、空しく自分の体を抱きしめる。

 太郎(の体) 「……なんだ、こいつ、気持ち悪いやつだ。さっさと出てけ!」
    と、枕もとの灰皿を投げつける。

    それが太郎(謎男) のズボンの焦げ痕に命中。

    尻を押さえ、絶望したようにドア口へ後退する。

 太郎(謎男) 「(独り言つように)お、おれ、……だれ⁉」

○  アパートの前

    動揺を隠せない太郎(謎男) 。

    ふと見ると、黒ずくめの男たちが向かってきて、こちらを指さして
    いる。

    動転し、思わず逃げ出す。

○  大通り

    走る太郎(元の姿)。

○  交差点

    検問を行なう警察官の列。

    怯える太郎。

○  公園

    芝生を横切って駆ける太郎。

○  袋小路

    追いつめられる太郎。

    空を仰ぐ。

○  天井

    糸にぶらさがる鶏。

○  留置所

    正面へと振り返る太郎。

    鉄格子につかまり、薄ら笑いを浮かべる。

    微かに聞こえる鶏の鳴き声。

 太郎   「……で、どうなると思う、オレ?」

<終>


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