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悲劇のヒロインにならない思考法

小2娘、一泊入院を要することになった。
(※本人のプライバシーに関わるので詳しくは書かないけれど、一般的に見るとたぶんそう深刻な事態ではないので、どうかご心配なく!)

もちろん、無茶苦茶嫌がっている。
昨日の通院時に病院で決定したのだが、「絶対に入院は嫌!」ときっぱりと拒絶のことばを発していた。
不安だし、怖いし、寂しいし…で、娘はネガティブなオーラをガンガン発しながら、帰路に着いた。

けれどその夜、娘の口からは、意外なことばが出た。

「入院は嫌だけど、ママとふたりでお泊りってあんまりないし、それは楽しみになってきた」

なんと!我が子ながら、なんと立派なんだろうか!
そのしなやかなメンタル、素晴らしい。誰に似たの?ん?私?そうだよね!

冗談はさておき、この発言には心底驚いた。
入院というしんどい出来事を契機に自らを不幸オブ不幸にしてしまわないための心得を、彼女はいつの間にか体得しているのだから。

ある出来事を、まるっと「つらい!」「悲しい!」「無理!」と捉えてしまうと、私たちは一気に、悲劇のヒロインの階段を駆け上がる。

けれど、出来事を分解してみると、すごーくしんどい要素と、そうでもない要素とが入り混じっているよな…ということに気づく。

例えば昨日、娘はこれまで怖がって出来なかった検査を、ひとつクリアした。
力づくで検査室に連れ込むことも出来たのだけれど、そのかわり、「どういうところが嫌なの?」と訊ねてみた。
娘からはかなり具体的な「嫌ポイント」が出てきたため、検査の担当者の方に伝えてみたところ、担当者さんは別の方法で検査できるよと提案をしてくれた。
まあもちろん、ものすごーく嫌そうだったけれど(笑)、娘は自分の足で検査室へ進んでいった。
検査というものを分解してみて、「嫌ポイント」が洗いだされたからこそ、対処が出来た…というわけだ。

一見しんどいその出来事。
ふわ~っと「不幸」と捉えてしまわず、「とはいえ、ましな部分もあるよね」とか、「これは事実だけど、ここからは私の想像だったわ…」とか、詳しく見てわけていくことって、かなり有効だと思う。

「全て」「いつも」「私ばっかり」にならない思考に、悲劇のヒロインからの突破口があるような気がしている。


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