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子育てにおける「最後」を噛みしめる

子育てにおいて、「最初の○○」には自覚的になりやすいが、「最後の○○」は気づかないうちに通り過ぎていることも多い。
保育園行事などはその例外で、非常にわかりやすい「最後の○○」と言えるだろう。

保育園年長である息子。
今日は、彼にとっての「最後の劇の発表会」だった。
年少・年中・年長の縦割りクラスで一緒に作り上げる、一年の集大成。
内容的にも年度末近い今がベストなんだけれど、それでも、「なんでこの時期なんだよ」と毎年ため息をつきたくなる。
なぜなら、毎年この時期は、感染症がとても元気なシーズンだから。

今年もまた、各クラス数名が欠ける状態で本番を迎えた。
立場上、息子はお休みの二人分とちょっとの代役を引き受けることとなり、もともと出番もそこそこ多いにもかかわらず、大忙しの役回りとなった。

つい先日、たまたまきっかけがあり、彼が2歳児の頃の劇の発表会の録画を一緒に観た。
「たぬきのぼうや」の役だった彼は、出番でもないのにステージセットにででんと腰掛け、さながら「たぬきの置物」のような存在感を放ち続けていた。
かと思えば、みんなで歌う場面ではステージを立ち去り、数秒後に先生に抱きかかえられて(捕獲され)戻ってくる…といったシーンも。
息子とふたり、「3年前の息子くんって、こんなに自由だったんだね」と笑い合ったものだ。

今年の舞台に関して、ここで多くを語るつもりはないが、本当に素晴らしいものだった。
3年前の自由奔放な彼も、ほほえましくてとてもよかった。
けれど、そことの差異を「成長」ととらえるならば、それはとてつもないものを目の当たりにしてしまったことになる。
ああもう、思い返すと目頭が。。。。。

こんなにも噛みしめる、「最後の○○」を迎えられて本当によかった。
たくさんたくさん、頑張ったね。
ありがとう。びっくりするぐらい、かっこよかったよ。誇らしい気持ちでいっぱいです。

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