見出し画像

システム導入で感じたこと③-言葉にできる、ストーリーの重要性

システム導入に関わって感じたことを振り返っています。今までの振り返りはこちら:

今回は「気づいたらできるようになっていたこと」について振り返りします。今回の取り組み、稟議手続きをシステム化することについて話をする際、自分でも驚くほどスムーズに言語化できるようになっていて驚きました。

あれ、すぐに資料ができた…?

これを実感したのは稼働に向けて情報発信する段階でした。それまで、システム導入に関しては、検討メンバー(一緒に事務局を担当しているメンバー、システム導入をとりまとめる情報システムの人、ベンダーの方々)とコミュニケーションをとることがほとんどでしたが、ユーザーとなる全社員に向けて情報発信をしていくフェーズになって、急にコミュニケーションの範囲が広がりました。

具体的には、経営会議で使用される資料の作成、管理職層の会議での発表、全社員に向けて社内ページでの記事掲載など、対象や手段の異なる情報発信が必要になりました。振り返り②で記載した通り、私は誰かにたたき台作成を頼むことなく、全部作成を担当したのですが、やってみたら見積もっていたよりも作業がサクサク進んだのです。これはうれしい誤算でした。

よく考えたら当たり前だけど

「言葉にできるは武器になる」という書籍がありますが、それを体感した気がします。システム導入の最終段階で、自分が考えてきたこと、実行してきたこと、発してきた言葉がかみ合って、対象や手段は違っても一貫したメッセージを出せるようになっていたのかな、と思いました。

画像1

「考える」「行動する」「話す(アウトプットする)」をサイクルとして回し続けていくと、自分の言葉で、実感や自信をもって発することができるのだなということに気づきました。こうして文字に起こすと当たり前なことだと思いますが、実感としてすごく大きかったのです。

ストーリーで語れるか

メッセージだけでなく、ストーリーとして話ができるようになっていたのが、「自分でも驚くほどスムーズ」に感じた要因だった気がします。つまり、メッセージと関連する各要素がきちんとつながっていて、ストーリーとして塊になっている。その結果、資料やメッセージを構成するときにすでに型が出来上がっているし、対象に合わせてどこを強調するかを調整するのも容易いという状態だったんだと思います。また、行動してきた結果が蓄積されているから、ストーリーに対する肉付けも自在にできました。

イメージで表現すると、金太郎飴の元が頭の中にあって、好みの厚みでいつでも切り出せる。さらに、切り出した飴は渡す相手に合わせて大きさや形を自由に調整できる。そんな感じです。

当初からシステム化に対して動機があり、実現したいイメージもあったし、その必要性も一通り話すことはできました。でも、実際に行動した結果や検討してきた内容を踏まえた言葉と比べると説得力が違ったな、と今は思います。また、最初は私個人の言葉だったけれど、今はチームを代表して話す言葉になっている(…と思う)からこそ、説得力が増しているはず。

チームメンバーも同じように語れるか

ただ、気になる点もあります。それは、私一人がストーリーとして語れるようになったけれど、一緒に検討してきた各事務局のメンバーはどうか?という点です。

私はとりまとめ役として資料を作り、会議を進行し、繰り返し言葉にしてきましたが、見方を変えると、メンバーが言葉にして発信する機会を奪ってきたのかもしれません。もちろん、私が作ったたたき台はメンバーのレビューを経て、最終化したものばかりなので、私の独りよがりな言葉ではないですが、作る人とレビューする人では「自分の言葉」感が違ってくるように思います。今後、リーダーを担当する際は、メンバーとの共有だけでなく、メンバーが最終的にどんな状態になるのが望ましいのか、そのためにリーダーとしてどんな取り組みをお願いするのかを考える必要があるなという気づきになりました。

私の場合、目的や理由が明確だったら、苦手な頼み事もしやすいかもしれないです。これはちょっと発見。

3回目の振り返りは以上です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?