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社会科と私 ニガテ克服への道②

社会科が苦手な大人になってしまった。

社会に出る前に(社会人になる前に)慌てて大筋だけでも、一般常識レベルだけでもと焦ってみたものの、結局苦手を再認識しただけだった。

これはもうネタにするしかないと思い、実は社会科が非常に苦手であると打ち明け、「どのくらい苦手かと言うと、コンディションが悪いと四国の四県も不確か」であると(盛ってない。本当に言えなかった。)正直に話したりした。

社会人になることに独自のハードルを設定していた私だったが、案外自分の社会科的常識のなさが露呈することもなく、この点については問題になることなく過ごしていった。

強いて言うなら雑談の中で「ほら...あれ?どこだっけ?」などと土地の名前や名所などを振られると、ただ知らないだけなのに「えーっと...どこでしたっけ?」と知ってるけど今思い出せないだけの振りをして乗り切ることはあった。これも知ったかぶりに入るだろうか。



さて。いよいよ、次に私がこのままではならぬと再び立ち上がったのは、子供の誕生がきっかけだったように思う。

振り返れば私は人生の節目節目にこの課題に向き合おうとしているらしい。

「こんな常識のない親はダメだ!なんとかしたい!」と、今思えば社会人になる前とほぼ同じパターンである。


しかし学習した部分もあった。

すでに挑戦した方法は効果的でないと体感したので、アプローチを変えてみた。大河ドラマ、ビジネス書で歴史や地理をテーマにしたもの、子供向け資材など。

夫は一通り歴史や地理が頭に入っているようで、一緒に大河を見ながら(基礎知識がとても乏しくついてきてるか怪しい私に)解説してくれたし、私からもいまいちわからないところを質問したりして、なんとなく理解しながら観られた。多分一人では見切れなかったと思うけど、なんとか最終回まで観られた大河が何本かある。


大河ドラマはきっと歴史の詳しさはさておき作品として楽しめるように作られているのかもしらないけれど、少なくとも私にはそこに込められた意図がわかってない感がある。こじらせた結果、火のないところに煙を立てて、勝手に疎外感なだけかもしれない。楽しむための素地が無い、圧倒的に足りないって思ってしまう。


こちらの頭に興味のネットが張られてて、そこにたくさんひっかかれば興味が増す仕組みなんだけど、私の頭のネットはもうザル過ぎて目が荒くてほとんど引っかからないイメージ。歴史や地理の知識があればもっとネットは細かくなると思う。

でも卵が先かニワトリが先かの議論のように、

興味→知識→興味強化→知識強化なのか、

知識→興味→知識強化→興味強化なのか、

どっちなんだろう。


ビジネス書(好きなもの)からのアプローチだと、切り口が自分の興味に寄ってる分、面白かったものもあるし、手に負えないものもあった。

例えば歴史を取り扱っていても、どんな編集がされているか、で反応が変わるのかもしれない。今のところ私は、人にフォーカスした内容よりも、歴史の大きな流れを書いたものの方が面白く読めている。作品毎の魅力、自分との相性が大きい要素だと思うので、なんともいえないが。

今の私には歴史を自分なりに編集して理解することはできないが、自分好みの編集がされた歴史であれば楽しめるってことか。


でもこの辺で少し自分の状態が変わった感じがあって、社会人としてのある種の「見栄」で欲しがっていた社会科的常識が、「教養」のベースとして欲しいって気持ちが出てきたこと。

もっとベースとなる知識が頭に入ってたらもっと解像度高くこの話を理解できるのに!っていう悔しさ。実は①で書いた海外旅行で感じた気持ちに通じるものなんだけど、純粋に、もったいないことしてる!という気持ちが強くなってきている。


歴史や地理を「目的」にするとこの先もきっと興味やモチベーションが足りなくてダメな気がするが、他に自分が興味あることに対する「手段」とした場合には、改善の余地がありそう。



無計画に書いていたらまた長くなってきたので、今回はここまでとする。

文章にしてまとめようとすると頭の整理になっていいなと実感する。アウトプット大事...。

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