何でもいいから今凌げるものを、と適当に本を買ってしまう。

最近はよっぽどじゃないと紙の本を買わない。Kindleで買って、読み上げ機能で聴いてしまう。慣れてくると速くても聴き取れるし、眠くなるけれど、漢字、平仮名の区別もなく音は1種類なので分かりやすい。ミシェル・ウェルベックのKindle版の本がなくなってしまって、早く他のものも出て欲しいと思う。闘争領域の拡大やセロトニンは読んでいると心が落ち着く。自分では言わない、聞かないだろうことにまで言及しているところが何故か安心する。ただ何度も読んでしまえば飽きてしまうし、そうすると更に本が無くなってしまう。ミシェル・ウェルベックはまだ2、3回は使えそうだ。

ミシェル・ウェルベックの代わりに落ち着くものを探してみるが、どれがいいのやらわからない。帯や紹介文を見ても、その作家を知らない人にはわからないような書かれ方をしていて、何で世界に向けて書かないのか謎なものを結構見かける。

セロトニンも帯や紹介文を読んでも全然面白そうではないし、そこはこの物語の本質ではないと思う。ただそうとしか紹介できないのだろうとおもうけれど。

ダカ・ハンの砂漠が街に入りこんだ日を紙で買った。Kindleでは売っていなかったので買ってしまった。題名と、デザインと、帯の逃げて、孤立しても、生きていくのだ。という言葉に惹かれて。

短い短編集で、少しめくってみると、詩集のような余白がある。読んでみると、これはジョン・ファンテを詩的にアレンジしたものか?と感じて、勝手に少し残念な気分になってしまう。実際はそんなことはなく進む。それから謎でトッピングされて、積み重なっていかなかったり、すかしたりしていくが、しかしもう少し透明なものが飲みたかったとも思ってしまう。

もう少し虚なものというか、そういうものが欲しい。それで哲学とかはその空白の周りを回っているようで、まだ聴いていられる。

頭のいかれた人か、死者、裏切られた愛、それと空虚な街。そのどれも存在しない物語はあるのだろうか。

Amazonのお勧めに従って、善と悪の経済学と、資本主義の精神分析という本を読んだ。前者の方が面白いが、両方とも人と距離を取りたい時には中々使える本だ。ミシェル・ウェルベックまではいかないけれど。それでこの作者にも他の本が無い。

本屋で立ち読みした尾形亀之助は、やっぱり空虚で良かった。詩集は実家にあるし、Kindleで他のものもいつでも読めるのに、思わず買ってしまいそうになった。夜が細くなったり、夜にはもう昼がなかったりする。ぼくはテレビが点いていれば見てしまうし、朝仕事に行くと思わずちゃんと仕事をしてしまう。夕方から後悔できる日は少し恵まれている。


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