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音楽をしています。転職を数度、バンドは月数回、映画は好きだけれど最近は見ていません。殆…

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音楽をしています。転職を数度、バンドは月数回、映画は好きだけれど最近は見ていません。殆どの時間、耳と頭が空いていればオーディオブックを聴くか、Kindleを読み上げ機能で聴いています。そんな日々に飽きてきて、何か心の動くものを探しています。

最近の記事

過去から遡り、理由を探す

話し方の本を読んでいて、ふと手を止めて考える箇所があった。 時系列に物事を並べるのではなく、 過去からストーリーとして語る。 その方がより興味を持ってもらえる。 という内容だ。 そこで考えたのは、バンドのプロフィールについて。 いつもバンドのプロフィールを書く欄になると、途端に何を書けばいいかわからなくなる。 一体誰のために?何のために? 特に実績のない、活動の少ないバンドの、何を、誰に、どう、何のために伝えるべきなのか? この質問をした人は何を求めているの? という

    • 「神秘」白石一文を読んで

      Kindleでの聴き流しと、時々音楽を聴きながら目で読んでいた。 面白かった。上手く面白くさせられたというか。 神秘という題名や、癌を治す為に人を探しに行く、という部分には少し苦手意識が働き、読んで大丈夫かなと思いながら読み始めた。 というのも殆ど白石一文の著作を読んでしまい、他のものが僅かになっていたからだった。 面白かった部分というのは、余命僅かになり、死ぬ気になればなんでもできる、ということから何でもできる境遇になったにも関わらず、何もしたいことがない、という心境

      • アウトプット なんであれ肥溜め

        読んだ本の感想をnoteに書いてみませんか? という文が残っていた。フリックするとそれは消える。 しかし自分はじゃあ何を書こうとしているのだろう? 本の感想より、世の中にとって意味のあることが書けますか? 感想、感想、感想、殆ど人の褌で相撲を取るようなこと。 でもそうやって借りて、借りて、借りられるものは借りて、そうやって少しだけ世の中には優しい行為として、何かの価値を最大限にする、という立場で、借りて、感想を書いてもいいんじゃないだろうか? 疑問。というより、句読点、

        • zatsunenn

          カールバラーのソロアルバムを聴き返した。ピアノの弾き語り風の曲。出だしのピアノが流れるだけでーーリバーブーー暗い小さな部屋、しかし夜空の星が見えるーーキラキラ鳴る音、何かインパクトーー優しい歌、傍にいる人に聴かせるように、そこに誰もいないかのようにーー。 リバティーンズのTell the kingを聴き返した。ギターの高音から下がっていくパート、それからふらふらと地面に降り立ち、おそらく二日酔いかドラッグの酩酊後の朝、世間からは大分取り残されて。 自分の現状を省みた。 確

        過去から遡り、理由を探す

          仕事が耐えられなくなる。

          とある人に自分の曲を褒められた。もっと広めたら良いと思うと言われて、曖昧な返事しか返せなかった。 ただしっかりと自分の中の音楽に対する欲望に影響を与えていて、もうそれは最近の自分を押し退けようとするまで肥大化していた。 音楽をやりたい。そう思ったら、途端に明日の仕事が耐え難いものに感じるようになってしまった。 何とかやり甲斐を見つけて、その時間を有意義なものに変えようとしていたけれど、こうなってしまってはただ苦痛に耐える時間になってしまう。 誰に対しても責任も、未来の

          仕事が耐えられなくなる。

          幸せに気づく?不幸せに気づく?

          それを知ったら世の中を見る目が変わる、という類の言い方、物の見方があると思う。子供のうちは何も知らず幸せだが、大人になるにつれ、世間の悪い様を知って、所謂世知辛さを知るとともにそれとどう向き合うかという問題が出てくる。 結局のところ世の中の人は幸せになろうとしているのか、不幸せにやらないようにしているのか、大人になるにつれて幸せになろうとしなければそれは不幸せにしかなれない、といったような感じになっている気がする。 詩人の目を持って世の中を見れば、そこに希望よりも残酷な真

          幸せに気づく?不幸せに気づく?

          やさしさについて

          仕事柄飲食店の人と会うことが多いのだけれど、少し前、コロナで大分ダメージを負ったのか、その人と会った時に以前と違った印象を受けた人がいた。 その人を見て、何かその人の壁を壊してしまった事があったのだろうと感じた。というのも、以前より弱々しく、柔らかい微笑みを浮かべていたからだ。そして、どこか自分自身に向けて話しているようなところもあった。それを見て、この優しさは臆病な優しさだと思った。 優しさには、自分の世界が広くなって、或い余裕ができたことで優しくなる優しさと、自分が傷

          やさしさについて

          自分のできなさについて

          現時点での自分を書くとしたら、それまでの自分とこれからの自分を書かなければいけない。現時点でのできていない点は何なのか、それをどうするつもりで、今はどうなのか。 自分のできなさについて、出来るだけありのまま書くことで、それがセールスポイントに変わるという面白さ。できることを自慢することは余り意味がない、というのも、それはただの中間地点であり、今後どのように成長していくか、ということの方が大切だからだ。 だからできなかったことを、どうやってできるようになったのか、ということ

          自分のできなさについて

          意味のない日常

          意味のない日常。意味を持とうとしていることが恥ずかしい。何かしらの感触を、存在意義を欲している自分と、ただめんどくさい自分。 子供がメロンを見て、雨みたいにおっきいと言った。 無伴奏のチェロを聴いて、ゴジラが踊ってると言った。 自分は何も言わない。それで少し仕事で責任を感じて、接する人たちのささやかな幸せを願って、いつもと同じ道を帰るたびいつもと同じ道だなと思い、時計を見るともう時間がなくなっている。 親であるということと、夫であるということ、従業員であるということで

          意味のない日常

          何でもいいから今凌げるものを、と適当に本を買ってしまう。

          最近はよっぽどじゃないと紙の本を買わない。Kindleで買って、読み上げ機能で聴いてしまう。慣れてくると速くても聴き取れるし、眠くなるけれど、漢字、平仮名の区別もなく音は1種類なので分かりやすい。ミシェル・ウェルベックのKindle版の本がなくなってしまって、早く他のものも出て欲しいと思う。闘争領域の拡大やセロトニンは読んでいると心が落ち着く。自分では言わない、聞かないだろうことにまで言及しているところが何故か安心する。ただ何度も読んでしまえば飽きてしまうし、そうすると更に本

          何でもいいから今凌げるものを、と適当に本を買ってしまう。

          忘れている日常の癖

          テレビが点いているとつい見てしまう。妻が点けたままにして台所で料理をしている。子供はプラレールを壊して遊んでいる。ぼくは布団から起きて時間を確認して、何をしようか考える。それからテレビのつまらないバラエティ番組を見てしまう。嫌だな、こんなの見たくない、と思いながらしっかりと無表情で見ている。テレビから見てくれ、見てくれと言ってくるから、つい顔をそちらに向けて話を聞いてしまう。どの映像からも、どの笑い声からもこちらを見て!と聞こえてくる。 何となくその声を無視できずに見て、イ

          忘れている日常の癖

          哲学と詩が近づく

          最近の体験。 「三体」を読んで、SF小説に興味が起こり「ゲームの王国」を読んでより興味を持ち始めた。アマゾンのお勧め機能の奴隷となって、ミシェル・ウェルベックの「ある島の可能性」を読み、「服従」「セロトニン」「闘争領域の拡大」を読んだ。 その途中でオーディオブックで「世界の哲学者が今考えていること」を聴き始め、マルクス・ガブリエルの「欲望の資本主義」を聴いた。 この中で世界の哲学者の中で服従を引用する箇所があり、マルクス・ガブリエルも出てきた。ミシェル・ウェルベックの作

          哲学と詩が近づく

          雑感 諸々の今後思考、記述したいこと

          メモに書くようなことを、それぞれ完結しない始めの何歩だけを思いつくままに書いてみる。 ・チェーザレ・パヴェーゼの「生きるという仕事」(英題This Business Of Living)のあれこれ、ハンナ・アーレントの「仕事」との関係。復讐の論理。 ・柵からの脱却。怒りと無知、無神経、傲慢。所謂若さという要素に多く見受けられる。温和で、気遣い上手で、謙虚な年寄りが変化を引き起こせるのか? ・今日あった職場での出来事から人の個性、性向について考えて見る 今日職場で先輩か

          雑感 諸々の今後思考、記述したいこと

          回想のブライズヘッド

          特に好きな小説だ。 他の人が書いた感想を見ていて、セバスチャンが破滅していくことをコーデリアが彼みたいな人が神の一番近くにいると言ったのを、キリスト教の考え方で、悪人正機のような意味だろうと書いてあったのを読んだ時、それは違うと思った。 その感想を書いた人はきっと破滅への憧れを抱いたことがないのだろうと思った。憧れ、と書くとおかしな感じだが、現実に触れてみて、感度が高い人程自分には破滅こそふさわしいと感んじてしまうのではないか。詩人の目を持ち四六時中それを使っていたら、す

          回想のブライズヘッド

          コロナの影響か、単純な道のりの途中なのか

          最近自分に感じること、生活の中で疲弊していく自分を見ていると、この状態はコロナの影響がどれくらい関わっているのだろうと考える。 多分コロナがなくても、自分は同じように疲弊していき、それを眺める自分と乖離し始め、お互いの声も届かなくなってしまう、そういう今の状況と同じようになっていただろうと思う。 問題の原因は、様々なしがらみの中で、自分の領分を少しずつ減らし、人への思いやりや愛情といったことで自分の道行を狭めてしまっていることだと感じる。 いきなり結論から書くと、そこか

          コロナの影響か、単純な道のりの途中なのか

          noteを始めた理由、今後書きたいもの

          noteをはじめた理由を書こう思う。Twitterから意図的に離れていて、久しぶりに見てみたら、以前とは違ってよりルールが複雑化し、互いの常識がぶつかり合い、ユーモアか切実な叫び以外の情報が平均化されていて、以前からだが、それ以上に虚しさと腹立たしさばかり感じるようになってしまった。 何か書くときは一番が携帯のメモ機能に、次にpageに、携帯からでもパソコンからでも、思ったことを、吐き出したいことをつらつら書き出して、眠りに就く前の一運動といったことを、瞑想したり、思索に耽

          noteを始めた理由、今後書きたいもの