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名画誕生<ラス・メニーナス>~「天・地・人」で読み解く17世紀スペイン絵画事情

 

ディエゴ・ベラスケス<ラス・メニーナス>


舞台は王宮の一室。
白いドレス姿の、ふくふくした頬が可愛らしいマルガリータ王女を中心に、侍女や宮中に仕える小人たち、カンヴァスに向かうベラスケス自身が描かれている。奥の壁にかかる鏡には、王女の両親である国王夫妻の姿が映り込んでいる。
この王一家を含む宮中の人々の姿を描き込んだ集団肖像画<ラス=メニーナス>は、17世紀スペインを代表する巨匠ベラスケスの代表作であり、「絵画の神学」と絶賛された作品でもある。
 
なぜ、この作品は、そして作者であるベラスケスは、このように存在を歴史の中に刻むことができたのか。
今回は、作品誕生に至るまでの背景を「天(タイミング)」「地(地理的条件)」「人(人の和)」の三つのキーワードをもとに探ってみたい。

①天―――スペイン絵画の黄金時代



15世紀、イタリアのフィレンツェで、ボッティチェリが活躍していた頃、イベリア半島は戦いの真っただ中にあった。
8世紀にアフリカから侵入し、国を建てたイスラム教勢力に対し、カスティーリャやアラゴンなどのキリスト教国たちは、その後数百年にわたって、失地回復のために戦い続けていたのである。
16世紀、カスティーリャのイザベル王女とアラゴンのフェルナンド王子、つまり二つの国の王位継承者同士が結婚し、それぞれ王位についたことで、二つの国は合併し、1479年にスペイン王国が誕生する。
2人は、「レコンキスタ(失地回復)」を推し進め、1492年、ついにイスラム最後の拠点グラナダを陥落させて、戦いに終止符を打った。

長い戦を終え、イザベルたちはようやく文化に目を向ける余裕ができ、美術品の購入を始める。
が、上記の事情を考えれば、スペインがイタリアや北のネーデルラント(現在のオランダ、ベルギー)に比べて、美術の発展において遅れを取っていたのは致し方ない。実際に、1490年代のイタリアでは既にフィレンツェは衰退し、ローマが新たな中心地として台頭、盛期ルネサンスの時代に入りつつあった。
王たちが、「先進国」であるイタリアやネーデルラントから画家たちを招いたり、作品を注文したのも、当然の流れだろう。

イザベルの孫で、神聖ローマ皇帝とスペイン王を兼ねていたカール5世は、イタリアのティツィアーノに自分や家族の肖像画を描かせている。

ティツィアーノ<カール5世>


ティツィアーノ<ポルトガル王女イザベルの肖像>

そして時は流れ、17世紀には、スペイン国内からも、国際的にも通用するレベルの優れた画家が輩出されるようになる。
スペイン絵画の「黄金時代」の始まりである。
 

②地―――歴代の王たちのコレクション


イザベル女王以来、代々の王たちは美術の収集に力を注いだが、一貫してある特徴があった。
それは、王たち自身がそれぞれの好みを基準に作品を選び、集めていたことだった。

例えば、イザベルの孫にあたるカール5世(スペイン王としてはカルロス1世)は、豊かな色彩表現が特徴的なティツィアーノの作品が大好きだった。彼に作品を直接注文するだけではなく、ティツィアーノの本拠地であるヴェネツィアに代理人を派遣して、ティントレットやヴェロネーゼら彼の次世代にあたるヴェネツィア派の画家たちの作品も集めさせた。
1555年に退位した時も、<グローリア>を含むティツィアーノの作品を数点、隠棲先の修道院に携えて行っている。

ティツィアーノ<グローリア>

そんな彼らのえりすぐりのコレクションを間近に見て育ったのが、フェリペ4世だった。政治的には目立った実績もなく、「無能王」とまで呼ばれてしまった彼だが、優れた審美眼の持ち主だった。


ベラスケス<フェリペ4世>

そして、1623年、18歳の彼はスペインのセビーリャ出身の24歳の画家を見出し、宮廷画家として抜擢する。ベラスケスである。

③人―――フェリペ4世とベラスケスの絆

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