徒然日記~下手な鉄砲でも、数撃てば当るわけではないという話
「とにかく量をこなせ」
分野を問わず、「上達」する方法は、この一言に集約される。
文章がうまくなりたいなら、字数を増やしたいなら、とにかく書く。
話作りができるようになりたいなら、映画や漫画でも、とにかく作品に多く接する。
コンテンツの「大量消費」が、発想力を鍛えるための第一歩―――昼休みに『クリエイティヴ・スイッチ』を開いたら、ちょうどこんな箇所があった。
下手な鉄砲でも数うちゃ当る。
だが、漫然と数をこなせば良いわけでもないのでは、と思うようにもなっていた。
ただ「数をこなす」ことだけを考えて、ぼんやりとDVDなどを見ていても、頭に入ってくるものがない。第一、そのうち飽きる。
この「飽きる」、「つまらない」が大きな躓きになる。
なぜ、つまらなくなるのか。
目的(地)というものがないからではないのか。
いつ終わる、あるいはたどり着ける、その検討すらもつかない状態で、ただ一定の作業だけを続ける。
それが本当に自分のためになるのか?
話は変わるが、最近追いかけている琳派の絵師・尾形光琳という人物についてふと思いついたことがある。
彼は裕福な呉服商(得意先の一人は、天皇の中宮!)の次男として生まれ、幼いころから書に能楽に、と多方面で才能を示してきた。
次男という気楽な立場もあったのだろう。とにかく趣味に没頭する毎日だった。
父も父で、「生涯、生活に困らないように」、大名貸しの証文を彼の相続分に入れるなど、計らっていた。
にも関わらず、時代の変化による商売の傾きや、遊び好きな性格など様々な要因が重なって、父の死後、光琳は生活のために仕事をしなくてはならなくなる。
そして、彼は趣味の一つだった「絵」の道を選ぶ。
好きを仕事にするのは、容易ではない。
しかし、彼がのめり込んだ趣味の一つ、たとえば能楽はパトロンたちとの社交ツールになった。また、家業で扱っていた高価で華やかな呉服のデザインを大量に見ていたことは、彼の中に「見本帳」として蓄えられていた。
この蓄えられた「経験」は、彼のセンスを鋭く磨き上げてくれていた。
それは、代表作<燕子花図屏風>をはじめとする傑作群の中に活きた。
お金のかかる趣味でも、「没頭する」「極める」ほどのめり込むことで、自分の中にストックができる。
それをつなげる仕事を見つけ出せたら、あるいは作り出すのは自分次第と言うべきか。
この第二段階「仕事を作り出す」のもけっこう難しい。ほとんど手探りしながら、ということになる。
だが、第一段階「大量のストック(見本帳)作り」を充実させ、アップデートさせ続けることができれば、それはきっと自信にもつながってくれるのではないだろうか。
「ストックを作る」という目標を設定するところが、まずインプットの一歩なのかもしれない。
下手な鉄砲でも、狙う箇所は決めて撃つもの、と言うべきだろうか。
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