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【すべてに情熱と感動を】小川泰佑さんインタビュー

この記事は、駆け出しインタビューライターの私アズが、ご希望または推薦のあった方のインタビューをしていく記事になっています。

第1段はこちらから↓

第2段の今回は、「At least地球の裏側100万人まで救う」というご自身のテーマを悲願に掲げて活動をする小川泰佑さんをお迎えしてインタビューをさせていただきました。

事前にnoteを読ませていただいたのですが、

このnote以上の熱量でインタビューに向き合ってくださいました。この記事は前回とはすこし書き方を変えてお届けいたします。

前回以上にボリュームのあるインタビューになっております。必要であればこのページをブックマークしていただき、ぜひ最後まで御覧ください。



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自己紹介

小川泰佑さん(以下、泰佑さん):東北医科薬科大学医学部医学科1年生の小川泰佑と申します。北海道江別市出身で、高校卒業後には一浪して京都の同志社大学に入学していました。そこのスポーツ健康科学部に1年間席を置きましたが、将来こうありたいという自分がはっきり見えてきたときに、今のままじゃだめだと確信をもったので、休学をしてこの東北医科薬科大学に再受験をしました。4月から半年間新入生としてピカピカな新生活を送っています。

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企業で求められる姿にモヤモヤした同志社大学時代

泰佑さん:僕が医学部の再受験をした理由は、自分のなかでこうありたいという心の叫びがはっきり聞こえてきたのがきっかけです。

もともと現役のときに医学部を目指していたのですけど、ご縁がなくて落ちてしまって。落ちたなりに医療とは関係のないような一般就職の道に行こうと思いました。そこは第2の新しい人生として割り切って、その分、医学部を目指していた自分だったら到底進めないようなチャレンジをしようと思っていました。


同志社大学在学中は、企業で就職するために、自己分析やインターンなど、いろんなことをやってきたんですね。ビジネスの本質を学んだ時に、人を喜ばせるのってすごくいいなと。

様々なインターンを通して全国の仲間たちと交友関係が広がって、いろんな夢を持っている仲間がいて、自分は「夢」になんらかの形で携わりたいと思うようになりました。


自分自身も人の夢を応援するだけじゃなくて、なにかひとつやりたいなと思って、関西の企業でインターンをしました。そのインターンでは自分なりに精一杯ベストを尽くした関わり方をして、自分のなかでは頑張ったなと胸を張って言えるくらいの作業量でやっていました。

ですが、最後お客さんが一列になって社員さん、僕たち全員にお礼を言ってくださるときに、お客さんの目が僕の方を向いていなくて。これは僕に対してよりかは、企業に向けていっているのかなと。それがすごいモヤモヤして、こんなに自分は頑張ったのに、なぜ直接お礼を言ってもらえないんだろうと。そこで企業で働くとはなにかってすごく考えさせられました


僕は相手がどういうふうに困っていて、どういうことを欲しているのか推測ができることが強みです。なのでお客さんに対して120%の思いやりで向き合ってきたわけなんですね。

ただこの20%分というのはお金も労力も時間もかかりますし、そこまでしなくてもいいという人がいると、結局80%の自分で向き合ってしまって。でも80%の自分でお客さんに感謝されても、あと40%も自分は出せるのに、40%も自分は人のことを笑顔にできるのにって煮え切らない思いがあって。

ただ就職する学部だったので、将来120%で向き合い続ける自分というよりかは、企業のために割り切らないといけないのかなって。でもそれでは僕は80%しか出せないわけです。その自分ってなんなんだろう、という疑問があって。

そこで120%の自分を一回出してみようかなと思って。企業から求められる自分と、自分がこうありたいという部分が明らかに違っていると自己分析をしていて思ったので、全く違うことをやろうと。そしてボランティアをはじめました

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ボランティアで得た120%の自分

アズ:ボランティアでは、120%で尽くして、直接ありがとうって言われましたか?

泰佑さん:そうなんです。その関係性が僕はめっちゃ好きで。ボランティアって、そのテーマでは支援する側、支援される側なんですけど、でもそれってその一瞬でしかなくて、作業が終わったあと、いろんなお話しをするうちに、自分の悩みもさらっと出せるんです。助ける側と助けられる側って全然なくて、お互いに120%で向き合い続けるような温かい関係がそこにあって。自分の居場所ってここなのかなって思うようになりました。


そこからは海外の子どもたちにサッカーボールやお菓子を支援物資として渡す、スラム街や孤児院の子どもたちにボランティアをしてきて。その経験から、人の笑顔のために120%尽くしたいという価値観が生まれました。人助けって楽しくて、相手と向き合えるし、直接ありがとうって言い合えるし将来は人助けのできる仕事をしたいと思っていました

でも実際に恵まれない子どもたちに出会った時に、楽観していた自分に対して腹が立ったんですね。すごく自分って恵まれているなって思っていて。一方で将来親もいないし大学に行くお金もない彼らは生きる力がすごかったんですよ。

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自分はなんでこんなにのうのうと生きてきたんだという悔しさ、虚しさ、自分の無力さがありました。自分にできることって本当になんなんだろうって、もっとあるんじゃないかって思いました。ボランティアっていうものを超えないといけないのかなと。



人生を一緒に走り抜ける「医者」の道へ

泰佑さん:そうなったときに「人助けっていいよね」っていう楽観的な感情から、「小川泰佑という存在を、この世の中に、世間に、社会に、最大限還元したい」という使命感に変わったんですね。そこで残りの4分の3の人生のなかで、自分はどんな社会貢献で社会に還元していこうか考えました。

アズさんは夢って、昔の夢と今の夢で変わっていますか?

アズ:変わってますね。

泰佑さん:そうなんですよね。夢っていうのは変化していくものであって、その人の状態にすごく依存するじゃないですか。年齢、家族、その周りの環境にものすごく左右されると思っていて、自分はその流動的なものに対して常に向き合い続けたいと思った時に、「根本に立ち返らないとだめだ」と思って。じゃあ根本って何だろうと考えたら、「人生」だと思って。


人生を一緒に走り抜けていけるような職業にしようと思った時に、いろいろ職業を比較していくなかで、「お医者さん」という職業が僕は1番引っかかって。

というのも、大病を患ってしまった時に、夢を変えなければいけないとか、その人にとっての明日への希望がなくなってしまうと思っていて、そんな状況に向き合っていけるような人になりたいなと思っていて。

お医者さんとしてのマインドが、自分自身のものと一致したので将来治らない病気と向き合っていく明日への希望が見えていない人に対して、自分はそばにいたいと思ったんですね。

自分の中での心の叫びとして、いろんな人の人生を支えたいっていうのと、ちゃんと120%向き合った自分でありがとうと目を見て言われたいなと。そうなるとお医者さんって120%どころか300%くらいまでいけるんですよ。であれば120%以上の自分がいい。


あとは今の自分を作り上げてくれたすべての人へ感謝して、それを何かしらの形で恩返ししたいなというふうに思っています。恩返しできる形として、いろんな可能性や選択肢があるお医者さんという職業はすごく魅力的だなと思っています。

こんなふうに感謝と人のためにという気持ちが自分のなかで強くて、いろんな人の人生を支えるなかで、自分も明日への希望を見つけるお手伝いをしたいなと思って、医学部を目指しました。

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東北医科薬科大学を目指した理由〜生きづらさと向き合う〜

泰佑さん:じゃあなぜ東北医科薬科大学に入ったかをお話します。僕自身が同志社大学にいたときに、社会から求められる自分と、自分がこうありたいという自分とに大きな乖離を感じていた体験があってこそなんですけど、生きづらさがあったんですよ、すごく。

僕がこうありたいという自分が分かっているのに、それを曲げてまで、そうじゃない自分にならなきゃいけないっていう。自分はどうあるべきなんだろうっていう根本的な問いをし続ける日々が続いていました。でも就職するから自分を曲げなきゃいけないし、その狭間をいったりきたりで、すごく苦しかったです。


ただ今は自分がこうありたいという声を信じて前に進んで自分のなりたい姿を信じてよかったなと思うことがすごいあって。

一方で、自分と同じように恵まれた環境に置かれている人はたぶん少ないんだろうなと思っていて。生きづらさを感じている方って僕以外にもたくさんいらっしゃると思います。

まずそもそも自分の抱えている生きづらさってなんだろうとか、そこに向き合うのってすごく勇気のいることですし。きっとそれを向き合わないまま溜め込んでいくと、僕はきっと生きづらさっていうのが生きている価値を見出だせない状態に繋がるのかなと思っていて。だから、生きることに価値を見いだせなくなって、最終的に自死に繋がると考えるんですね。



東北医科薬科大学を目指した理由〜生きづらさという問題に「ケア」という方法で向き合いたい

泰佑さん:なので自死予防っていうことが自分に課せられた大きな使命だなと思っています。「人生」という向き合うテーマもあって、そこに「ケア」という目線で向き合っていきたいです。


泰佑さん:日本のなかで自殺率が高い県ってどこだろうと調べたんですね。そうしたら東北6県が出てきたんですよ。そのときは秋田県が1番多かったので、「よし、秋田行こう」と思って。

でも秋田県で働くって未知だし、人生に向き合うんだったら病院のなかよりも外のほうがいろんな人のことを支えられるので、在宅医療とか訪問診療という形に自分はなるんだろうなと思っていて。家族にはお医者さんとして働いているのはひとりもいないし、相談できる相手も全然いないしで、地域で働くというのはすごく不安な状態でした。

そんななかで僕の通っている東北医科薬科大学というのは、卒業後に東北6県で働くための誓約書を書けば、学費が3000万円免除になって国公立と同じ値段で卒業できたりとか、キャリア支援を行ってくれたりして、秋田県の大きい病院から地方の病院である程度経験を積んだら診療所まで繋いでくれるという支援があって。それで東北医科薬科大学を受けました。

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泰佑さんが目指すビジョンとは?

泰佑さん:最終的なビジョンとしては、困っている人は目の前の人だろうが地球の裏側だろうが全員自分のできる限りで助けたいな、人生を支えたいなというふうに思っているので、「At least地球の裏側100万人まで救う」というのが僕のなかで一生掲げるビジョンでありミッションでありゴールであるなと。

すでに10年間秋田県で勤務することが決まっているので、38歳まで秋田県で働いて、次の2年間は政治家を、秋田県知事をやります!医療の目線から10年間秋田を見て、どうしたいかが自分のなかで出てくると思うので、40歳まで働きます。残りの人生の半分で地球の裏側まで行きたいなと。世界を転々とする人生を歩みたいなと思っています。



学生団体ariを立ち上げる

泰佑さん:東北医科薬科大学に入学後、4月からの話なんですけど、僕は求められる手助けがしたいです。だからまずは仙台の困っている人に会いに行こうと思って。4月から宮城県中のボランティアをしていて、農業だったり、子どもと関わる地域活性化だったり、福祉や教育、本当に多様な居場所づくりをやってきました。

そこでの気付きとして、仙台ってもともと震災復興系の活動団体がすごく多くて。いろんな種類のボランティアはあるんですけど、ボランティアってよりよく生きるためのひとつの手段だなと思っていました。しかし「自分がよりよくなるために」という「自分」について寄り添う団体ってないなと思っていて。


今の自分を知るというところと、こうある状態が自分にとって幸せだなというふうに気づける、そんな理想と現実のギャップに目を向けられる支援というのがまだまだ足りてないなと。

そうなったときに、じゃあ自分で立ち上げようかと。これらのことはきっと生きづらさの改善に繋がるだろうし、自分が掲げたいテーマにすごく近い問題だったので。今の自分は、すべての人が心のままに今を生きる社会というのをつくりたくて。

そういう社会にするために、自分にすべき事は、外の方々と繋がりを作ることだと思っていて。心理的安全性が高い居場所っていうのをまずは仙台の街に作っていこうと。

「自己発見」と、「自己受容」、それを踏まえた「自己変容」、「変化維持」。この4つのプロセスができるような環境を仙台に作りたいなと思って、この学生団体ariというのを立ち上げました。メンバーが全員医学生で、将来、地域医療に携わる仲間たちです。

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僕たちは医師として生きる限り、患者さんと医療というフィルターをかけて接します。医療は万全なものではないからこそ、生活的な一面もその人の一部として見る、そんな居場所が僕たちにとっても必要だし、その方にとっても必要だなと考えていて。

だからこそ医療従事者とか患者さんとかの肩書きがまったくないような、お互いに同じ地域住民として支え合って繋がり合えるような、そんな居場所をつくりたいなと考えています


繋がり方というのは3つあるなと僕たちは考えているのですが、僕たちが地域住民の方を「呼ぶ」居場所、地域住民の方に会いに「行く」居場所、僕たちがいるいないに関わらず常にそこに「在る」居場所、という3つの居場所で居場所づくりをしています。

そんな地域住民の方を網羅的にカバーできるような居場所、つまり生活の延長線上にケアがあるような場所を作りたいです



学生団体ariのこれから

泰佑さん:自分たちが3つの居場所を作るときに、1つ目の参加者を「呼ぶ」居場所として、9月25日に全国の大学生を呼んでオンライン交流会と称してお悩み共有会などを開催してきました。居場所をつくることを通して「どんなあなたでも大丈夫だよ」というメッセージを全面に押し出していきました。

今は12月11日にやる予定のSpreading loveという活動をやるためにいろいろ動いているんですが、それも地域住民の方に僕たちから会いに「行く」居場所です。あとはSpreading loveは人と人の繋がりの希薄化ということを課題意識として始まった活動なんですけど、自分たちはそこに「ケア」を足したいよねというふうに考えていて。

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お花を置く机とは一つ別の机を用意して、支援団体が仲介している団体さんのチラシをそこにおいて。形だけ見ると大学生がお花配りをしているという情景なんですけど、実際行ってみるとケアに繋がるような新しい繋がりを作れるきっかけがあって。花をもらうだけでもいいし、ケアに関心があるような新しく繋がれるシステムというのを「行く」居場所で作りたくて


「在る」居場所っていうのは、いろんな人にとっての「関わりしろ(自分が関わる余白がある状態)」になるような居場所があるべきだと思っていて、ちっちゃい子どもからお年寄りまで、心の健康の状態がどんな状態であれ、すべての人にとって共通の居場所であってほしいという願いがあって。

そういうふうに考えたときに、仙台市の企業は若者を支援する企業さんがすごく多くて、そのときちょうど宮城県のお菓子メーカーの企業さんが、若者の孤立問題を防ぐために学生のアイディアを募集していて、「よしここにいこう」と僕たちは決めて。

企業さんとは、いろんな人にとっての「関わりしろ」が必要だと話しました。いろんな人にとって共通のテーマである居場所がいいよねっていうふうに考えたときに、企業さんのお茶とお菓子というのがひとつと、自分たち医療従事者としての「ケア」という医療と福祉の部分だと思っていて。あとはアイディアとして図書館との連携があります。

このお茶、ケア、本という広い「関わりしろ」を使って、仙台で新しくみんなで医療従事者を中心とした場所というのを作りたくて、そこにエントリーして無事に通りました。これから1年ベースで企業さんと仙台市と一緒に作っていくという壮大なプロジェクトに今携わっています。


将来秋田県でもそういう居場所をつくりたいなと考えていて、そういう居場所が東北6県でできて、すこしでも自死予防に繋がればなと思います。

活動を通して同じマインドを持った方たちとも繋がれましたし、これは自分にとって天命であり、人生をかけて進みたい道なんだなと思います。しっかりお医者さんの勉強もして、医療に基づいた人助けもできるようにしたいなと思って今の小川泰佑があります!



人生において大事にしたい2つのこと

泰佑さん:僕は2つ大事にしたいことがあって、1番は、「生きていることがなによりもいいね」ということですね。その人が存在しているだけで十分価値があるし、いるだけで周りにいい影響を与えているんだよっていうことに気づいてほしいなって。これから仙台でつくる場所はそれに気づける場所にしたいです。

それと、僕は「いいね」とか「ナイス」が口癖なんですよ。というのも、アクションに対してよりかは、「生きていることでいいよね」ということに対しての「いいね」です。そんなことに気づいてほしくて自分からそういう言葉が出てきます。

2つ目は、「どんなあなたでも大丈夫」ということです。調子のいいときも悪いときも、どんなあなたでも大丈夫だよって言ってくれるような、帰る居場所でありたいなって考えていて、だから僕自身も人と関わってお別れするときに「また困っているときも困っていないときもいつでもおいで」って言うんですよ。それは困っているあなたでも困ってないあなたでも大丈夫だよっていうメッセージが込めています。

そういう自分を出せる場所っていうのがやっぱり1つでも多いに越したことはないと思うので、そういう居場所というのを色んな所で作って、「孤独問題」に挑戦していって孤独をひとりでもなくしたいなと考えています。

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泰佑さんが実現したいこと

泰佑さん:最終ゴールは「At least地球の裏側100万人まで救う」というテーマで、救うというのはいろんな面でできた人生をいろんな面から支えていきたいです。そのための1歩目として仙台であと5年半医学生としてなにができるかということを考えた時に、仙台でケアと街づくりということを根付かせる、ということを必ずやります!

そこには福祉、医療のいろんな方々が関与してみんなでその居場所を作っていけるような「関わりしろ」にするために、僕たちがシステムをつくって協力していただくという形で仙台に根付かせていきたいなと思います。



最後に、泰佑さんの座右の銘とは?

泰佑さん:「すべてに情熱と感動を」という言葉です。いろんな自分を言語化できたという理由の一つに、どの出来事にも本気で向き合ったからということがあって。自分自身が奮い立つか立たないかとか関係なく、その出来事に対していかに向き合えるかっていうことが立場においてのプロ意識だと思っています。

その立場において本当に真摯に向き合って、自分の情熱を自分自身を感動させられるくらい注げたかっていうことが自分のなかで常に持ち続けているテーマです。なのですごく大事な考え方だなと自分のなかでは思っています。

アズ:このインタビューにも情熱と感動をもって向き合ってくださいました。本当にありがとうございました!

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ひとつひとつの行動、在り方、向き合い方に情熱を持って向き合っている姿が伝わってきて感動的なインタビューでした。そして泰佑さんの言葉には温度があって、温かさを感じる言葉選びがとても素敵でした。

今回は一問一答形式のインタビューではなく、泰佑さん主導でお話しをしていただく形を取らせて頂いて、とても熱量のあるお話しに私は終始圧倒されっぱなしでした。

これまで泰佑さんと関わった方、これから関わる方、両方にこの情熱と感動が伝わることを筆者は願っています。

泰佑さんTwitter→https://twitter.com/taipei_pei
Instagram→https://www.instagram.com/taisuke1204132
note→https://note.com/tohoku_gennki/n/n1364f9c22f2a



このインタビュー記事は、ご依頼者様またはインタビュー対象者様からの投げ銭システムを取らせていただいております。取材・執筆・編集を行いますので、その過程や記事に価値を感じたら、ぜひ投げ銭をいただけたら幸いです。詳細はメッセージにてお知らせいたします。

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