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文章と、私の病気について、

ちょっとした言葉の表現たちをInstagramに毎日投稿している。自分の感情をなぞるように言葉にしていく。なぞる、とは指先でそっとその形を沿わせるように触れること、大切に、大切に。この繊細な作業、うまくなりたいと思う、だけれど一向に満足のいく表現ができなくてむず痒くなる、練習、ひたすら練習。

言語化について。自分の感情、思考を言語化するには、語彙力と言語を扱う応用力が必要なのだけれど、つまり完璧な言語化は永遠にできない、と思う。感情は莫大で、思考はちいさくて、意識化にある言葉なんてもっとちっぽけだ。無知の知、切なくなった。いや、わたしには何もない、を知ると、ゼロからのスタートだからか足取りが軽くなるのか。わたしは何にでもなれる、ヒャッホウ、となる、それは大げさか。

文章を崩して書いています、正しい日本語の書き方、句読点の打ち方、やめたやめた。型にはめる、枠に収まる生き方、息苦しいでしょう。わたしは真面目だと言われてきた。noteなんて自由に書けばいいのに、型に当てはめて書いてきた、それに疲れてしまいました、だからこうしてはちゃめちゃに崩して破壊して書いています。楽しい、これが。本当はいちばん詩が好きです。詩を書いて生きていきたい、なんてね。

自分のことを大切に生きたい、だけど人は人に貢献したときに最も幸福度が上がるらしい、それには多少の自己犠牲が伴うように思えてしまう、自分で自分のことを幸せにすることはできないのかな。人に貢献するなんて烏滸がましい、貢献できるかできないかは相手が決めること、そう思います。

言葉はいつだって未熟で、不完全で、未完成だと信じてやまない。だとしたら、人間もまた同様だと思う。人間はそんな生き物だから、他の人を大切に幸せにできるのでしょうか。



最近の私。きっとこのなんでもない文章を読んでくれているあなたは、いつも私の文章を読んでくれていると思うから、こっそり話しますね。

私は双極性障害という病気をもっています、気分の波が激しくなる病気で、ハイテンションの躁状態と気分が落ち込む鬱状態が交互に来る。最近は、その波がより短期間に来ていて、振り回されています、そのことを精神科の先生に話したらお薬が追加になった。ただ生きていくのにこんなにいろんな感情を味わっているのは、この病気のせいだと思ってきた。診断されたのは2021年7月、ちょうど半年くらい。まだ波を乗りこなすことができない。

正直受容もすこしできていない、振り回されている、という表現をしている。ここだけの話、消えたさの類が現れることがある、それでも生きていかなきゃいけなくて、ただ生きていくことがこんなに難しいのかと頭を抱えています。この波を乗りこなせるようになりたい。

友達に支えられている、ことばがでなかったり感情が交錯する葛藤をぶつけたら、「その葛藤を言葉にしていること、本当にすごいと思うよ」
と言ってもらって、この感情の波も悪くないな、と思えた。ありがとう。

私はこの病気と一緒に生きていく、そのためにこれからもnoteに葛藤を書かせてください。読んでもらえたらうれしいです。


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