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仕事で無理して、仕事が無理になる

無職を極めて8ヶ月ほどが経ちました。

去年の今頃は、もっていた案件が爆発して、
土日に緊急会議が開かれるような事態に。

私は、情けなさと申し訳なさと疲れと、
色々なものがごちゃっと溢れ出てきて、
pcに対峙しようとすると
涙が止まらずpcを触れない、
床から起き上がれなくなっていました。

私が仕事で一番したくなかったのが、
一緒に仕事をしているひとたちに
無理をさせてしまうことや、
プライベートな時間を奪うことでした。
それが多く発生してしまう環境だったし、
自分の時間がどんどん削られていくことが
我慢ならなかったから。

でも、自分の至らなさが
それをまさに目の前に起こしている。
けっこうひどいかたちで。

「もう無理」

休職よりも退職をしたかったので
病院にかかることはしなかったけれど、
そのとき病気に近いところにいたと思う。
(退職後もそのけを引きずっている。)

元々退職を相談していた上司に、
退職を確定させたい旨を伝え、
そのあとの数ヶ月はいつものパワーが
出せないようになったこと、
心がいつでも折れそうな気配を感じつつ、
忙しい時期の案件の引き継ぎに、
また申し訳なさも募らせながら、
過ごしていました。

あとで振り返ると、
仕事はちゃんとしてきたけれど、
人としては本当に未熟で、
過剰な自意識とプライドと、
嫌なものに対する拒絶反応だけ強く持ち、
ザ・内省型で自分の気持ちを
あまりしゃべらず、周りの人たちは
接するのがとても難しかっただろうなと思う。

2年目から仕事が合わないと思いつつ、
4年目の後半に至ってしまったのは、
やればやったで褒めてもらえる環境と、
その人たちの優しさに甘えていたから。

前職にさよならをしてからの期間で、
いろんなことを振り返り、反省し、
自分のダメなところがもう少し深いところで
理解できてきた気がする。

と同時に、反省してもなお、
私にはどうしても無理なことがあり、
これまでの無理が重なりすぎて、
“仕事”という大きなくくりに対して、
無理マークがついてしまった。

正直なところ、
“仕事”というかたちで社会に対峙することに、
ネガティブなイメージしか持てない。

でもどこかで生きていると、
それだけでかかるお金があり、
自分が働かないと、
家族やパートナーが無理をすることになり、
それが嫌だったら、
一生働かないという選択肢はないらしい、
どうやら。

今日も部屋に入ってくる朝日は綺麗で、
鳥の鳴き声が可愛い。
そんなことだけ感じて生きて、
という生き方は、許されないのかしらん。
どうかしらん。

浮遊している私がどこに行くのか、
まだ結論は出せない。まだ出さなくていい。
それだけは自分に許しておこう。

日々感謝
Azuuu

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