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狐の嫁入り【日々のツイトレ】

※2020.3.5thuのTwitterトレンドワードより


日本人は天気の話が好きです。天気の話は、ほぼ会話の枕詞と言っても過言ではないでしょう。

晴れているのに雨が降っているなどというちょっと変な天気は、会話のネタにしないわけがありません。


「狐の嫁入り」は、日が差しているのに小雨が降っている天気のことを指します。「天気雨」や「日照雨」などと一般的に言われますが、「涙雨」などの比喩的表現が使われることもあります。

「狐の嫁入り」という言葉は、ことわざや故事成語のように教訓や皮肉などがないので、「慣用句」という括りになるでしょうか。


発生する原因としては、次の3つが考えられます。

1)雨を降らせた雲が風で霧散してしまった

2)強風で雨粒が他の地域から飛ばされてきた

3)雨雲が小さい


狐の嫁入りに関しては、日本各地で民話や昔話として語り継がれており、今も集落の伝承として、神事や行事を行なっている地域もあります。

狐を擬人化した悲哀の話であったり、狐憑きの話であったり、稲荷神社へ嫁ぐ人間の話であったり、化け狐の話であったり、様々なストーリーパターンがあります。共通するのは花嫁行列の際、晴れているのにしとしとと小雨が降るということです。話のオチには、バッドエンドもあればハッピーエンドもあり、地域により様々。物語の視点も、花嫁側、婿側、第三者目線とバリエーションに富んでいます。

「狐の嫁入り」には、提灯の灯りの行列が「狐火」のように暗闇を並んでいるのを怪異だと見間違えるという物語もあり、こちらには天気雨のくだりが出てこない場合もあります。

どちらにも共通しているのが、奇異な花嫁行列という点です。

この晴れているのに雨が降るという天気が、何か普通ではないということを暗喩していると考えられます。


昔は、どんな地域にも口頭伝承があり、それが伝統行事と共に次の世代、次の世代へと受け継がれてきました。

しかし、小さな集落では人が少なくなって伝統行事も行えなくなり、既に途絶えてしまっている土地や今後継続されていくかわからない土地も多く存在します。

柳田國男や南方熊楠の時代から多くの口頭伝承が文章化されましたが、現在は、地域文化として収蔵し、観光とつなげるなど伝統を残していこうという活動が行われています。しかし、どうしても時代とともに変化していくのは仕方ないことだろうと思います。


日本で語られる昔話の多くは、世界にも共通項がある伝承が存在します。

この「狐の嫁入り」という言葉も同じように海外で通じる地域もあれば、地域特有の動物に変わっていたりする場合もあります。世界には、熊や虎や狼やジャッカルが嫁入りする地域があります。

物語の骨子だけを考えると、たいていは単純なストーリーなので、世界各地で似たような経験から偶然多発的に発生したということもありえます。しかし、多くの昔話は長い年月をかけて地域の独自性を交えながら人から人へ広く伝えられた物語だと考えられています。


現在は、ネット媒体で世界中に拡散される時代なので、悠久の時を越えて口伝として徐々に変化していく様が、わずかの時間に凝縮されて行われます。伝播していく様子や流れは同じような軌跡をたどっていても、時間が圧縮されているため多様性に欠ける点と、全く同じ文字を伝えることのできる確実性が、伝承の奇妙な醍醐味を削いでいるのは事実だと考えます。

世の中の暗闇が少なくなり、脳で補完しなければならない部分がだんだんとなくなると、あえて創作や改変をしない限り、そのまま伝えられてしまう現状。

しかし、口頭伝承に対しての抗体が少ない現代だからこそ、怪談や都市伝説のようなアプローチが、いまだに人の心をくすぐるのだと私は思います。

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