逃げたい時の選択

人生は選択の連続と言うけれどそれは本当にいい選択なのか


最近、私は苦しくて元気がなかったのですが、(今も絶好調ではない笑)
理由は私がこれまで一番苦手だと思って先延ばしにしていた、かつ今の自分、将来の自分のために最も重要な選択を今しているから。
なぜそれが苦しいのか?というと、これまで選択したことがなかったことをしているから。しかも、これまでずっとずっと避けてきた選択を今しているから。なぜ避けてきたかというと、自分が辛くなるのがわかるから。でもなぜようやくそれをやめる決意ができたかというと、周りの方に気づかせてもらったことと、自分の人生の選択は自分でしなければならない、という当たり前のことの本当の意味が身に染みてわかってお尻に火がついた感じです。

自分の人生は自分の選択でできている、とよく聞きますが、あの時こういう選択していたらどうなってただろう?と考えたことがあります。無駄なのであまりしないですが、こっちを選択してよかったとか、まあ他の選択よりはよかったかもしれないと思えるようにしたいと思いました。
自分の現状を客観視した時には、
嫌なことから逃げ出してこれまでと同じように生きるのか?勇気を出して行動を起こすのか?
人のためにと自己犠牲を自分に許容するのか?本当に誰かのためになるように挑戦し続けるか?
安全安定を優先するか?どうなるかわからないけど挑戦するか?
困難なことから逃げるか?諦めずにくらいつくか?
今の自分で満足したつもりになるか?自分を信じて進み続けるか?
感情的になり他責思考に陥るか?人に思いやりをもち、優しさを与えられるか?
自分の気持ちを別のものとして思い込むか?本当の気持ちに真っ直ぐに生きるか?
とか色々考えました。勇気が出ない時はなかなか進めないものです。でもようやく一歩踏み出してみたら、違う景色が見え始めます。そこに留まっていたい自分、でも本当は解放されたい自分。どっちの自分を選ぶのか?ですね。
わかっちゃいるけど、的なこともありますが自分に言い訳しても何もならないです。自分の好きなこと、得意なこと、才能は簡単なんだけどできないことは難しいもんです。

逃げたいことに向き合っている時


これは楽しい気持ちではないことが多いですね。結構辛いこともあります。しかし、これが自己犠牲的な苦しさなのか、前に進むための一時的な苦しさなのかは自分でわかるはずなのです。なので苦しくても進むことに躊躇しなくなるんだろうと思います。つまり、この苦しさの先には成長した自分がいて、今と違う景色を見ている自分がいるとわかっているので進むことができます。また、その時は疲弊していていつもできていることでもパフォーマンスが落ちてしまったり、サボりたくなったりします。しかし、それとこれとは別としたいです。本当に無理ならやらなくていいと思いますが、私の場合はできたと思うけど、もう嫌だ〜とか思って投げやりになっていた時期もあります。なんとか取り繕っていたので大きくはバレてなさそうだったけど笑

逃げずに向き合ったらなんでもいいのかというと、、


私は高校時代は、今なら少し体罰とか言われそうな部活動していました。好きなことを一生懸命やっているし楽しさもあると思っていました。でも、途中で私の自信のなかった性格から怒られることに恐怖を感じ、キャプテンになって責任を感じすぎて全く楽しくなくなりました。むしろ辞めたかったです。今となってはやっててよかったこともあると思うけど、自分が不健康な気持ちになるなら辞めればよかったやん。と思いますね。笑 当時はやり通してなんぼ、厳しくて泣きべそかきながらでもくらいつけぐらいの感じでしたが、そんなの必要だったのか?と思います。逃げたらダメだと思っていたし、やり抜いたことは素晴らしいと褒めたいです。コーチも休日返上でやってくれたことには感謝です。でも恐怖の記憶の方が多くてトラウマ的な記憶が多いので、今の私なら辞めれば?とアドバイスするかもなあ。逃げると言うより自分を守るという感覚は大切です。それも教えて欲しかったですね。くらいつくことは必要だけど、状況によってはそれだけでは続けることはできない。大切なことを教える場では、何が大切なのかわかってから教えて欲しいですね。笑自分にも言い聞かせよう。

本日は以上です!




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