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それってほんとに私なの?

自分を知ることは、永遠の課題なのではないだろうか?

私は20代の終わりに近づくまで、自分のことをずいぶんと放ったらかしにしてきた。ショッキングな出来事が続いたりして、そのことにやっと気づいてから、30代は自分と向き合う時間をとるように心がけている。

最近、私の中でうまれた問いは、「私が私と認識している私は、本当に私なのか?」。文字に起こすとなんだか小難しいけれど、つまりは、「自己認識ってどこまであてになるのか?」ということ。

例えば、自分を知ろうとする時に、多くの人が一度は取り組むだろう「好きなことリスト」や「やりたいことリスト」。

好きなこと、やりたいことは、たしかに自分のアイデンティティにつながってくるけれど、その「好き」や「やってみたい」という気持ちは、どこからやってきているんだろうと、ふと疑問に思った。

自分の心の中から湧き上がってくることもあれば、社会とか、ステータスとか、周りの人の影響を受けて、そう思い込んでいることも、意外とあるんじゃないかしら、と。

そして、それがどちらなのか見極めることは、案外難しいのでは。小さい頃から思ってきたことであればあるほど、心から深く思い込んでいる可能性もあるから。

そうしたときに、「好き」や「やってみたい」って、実は、自分の"枠"になってしまっていないかということが、急に気になりだした。

自分の「好き」「やってみたい」を安易に信じて、人生の舵を切っていくことは、人生の可能性を狭めているんじゃない?自分を小さく閉じ込めているんじゃない?と。

私はこれが「好き」だと思っていたけれど、それは幻想で、幻想の「好き」を追いかけているうちに、私が求めている本当の「好き」には出会えないまま、人生が終わる。

そんなのは、悲しい。

もちろん、自分の心の中から湧き上がってきたものだと確信できれば、そのまま進むだけ。
でも、この確信は、前に進むために絶対に必要なものだと思う。

自分の心の声を聴くチカラを日々鍛えながらも、自分の「好き」「やってみたい」(=自分の枠)に頑なになることをやめて、「枠の外にも、自分が求めていることがあるかもしれない!」くらいのゆるさをもって生きていけたら、想像もつかない景色にたどり着いたりするのかもしれないなぁ。


愛と感謝を込めて。

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