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寄り添ってくれた先生

20年余り前、高校三年生の2月のこと。大学入学を控えた私は、担任の先生と一緒に寒さに震えながら、歩行訓練という授業の一環で神戸市北区の大学へと向かって歩いていた。同じ神戸市内でも自宅のある東灘区より肌に当たる風が鋭い。
寒すぎる、と思いながらゆっくりと視覚障害者が持つ白い杖(白杖)で路面の様子を探り足を進めていく。

「ストップ!」

急な坂を登り始めたところで、先生から声がかかった。

「もうちょっと右側に杖振ってみ」
滑らせた杖が、地面からすっと落ちる感覚が手に伝わってくる。

「蓋のない側溝があるからここはとくに気をつけて」
「落ちたらどうなる?」
「怪我するな」

気を抜かずに歩くポイントとして頭に入れ、坂道を上っていった。

最寄駅から大学までの徒歩15分の道中、ちょっとした段差や曲がり角、電柱や近くのパン屋さんの香り、コンビニのドアの開く音、たくさんの「目以外の情報」を憶えながら、頭の中に地図を作っていく。

「この道は右側から車が出てくるから注意して」
「左手、自転車がいっぱい止まってるわ」

そこに先生が目で見た情報が追加され、頭の中の地図が立体的になっていく。

こうして盲学校という目が見えない人が当たり前の守られた世界から、大学という見えないのは私しかいない環境へ出発する準備が着々と進んでいた。少しの期待と大きな不安でいっぱいだった。

当時は、白い杖を持って外を歩いていると、今とは比べ物にならないぐらい周囲からの直接的な言葉が飛んできた。

「かわいそうやね」
「がんばっててえらいね」

その度に
「私はかわいそうじゃない!がんばってるわけじゃない!」

心の中に渦巻く周りへの敵意を隠すことができなかった。実際の私は、毎日部活を楽しみに学校に行き、学校帰りには友達とカラオケで歌い、ファストフードで何時間もしゃべっている、どこにでもいる高校生だったから。目が見えない人ばかりの世界から早く出たいという気持ちと、本当に見える人たちの中でやっていけるのかという不安が日々目まぐるしく入れ替わっていた。「きっと大丈夫」と思った翌日には「やっぱりやめようかな」と浮き沈みを繰り返し、まるでジェットコースターに乗っているような状態だった。自分が全盲であるということを誰よりも気にして、見える人との違いについてずっと考えていた。

先生には考えても仕方のないことを何度も話した。私の話を一生懸命聞きながら、時には

「またその話か。もうええわ」

と流しながらも付き合ってくれた。

大学まで無事到着し、お昼を食べて帰ることになった。
「行こう」
さっきまで一人で恐る恐る歩いていた道を、半歩前を歩く先生の右腕を持たせてもらってすたすたと戻っていく。ここにしようと言われ、うどん屋に入った。店内に一歩足を踏み入れると、柔らかいだしの香りと暖かさに包まれてふっと気持ちが緩んだ。食べ終わった私は、毎日考えていた疑問を先生に尋ねていた。

「あのさ、目が見えるのと、見えないっていうのはどういう違いがあるん?」
「たとえば…」

一度言葉を切ってから先生は続けた。

「そこに置いてある伝票取ってみ」

私はテーブルの外側から内側に向かって手を滑らせ、紙の感触が手に触れるまで動かして伝票を掴んだ。

「そうなるやろ。先生がやるとこうや」

先生の手はどこにも触れずにパッと伝票に伸びた。紙の音が一瞬にして聞こえたことで分かった。

「見えるってのはこういうことやな」

はっとした。見えていれば瞬間的に物を捉えることができるんだと改めて思い知った。見えるってすごいなと思い、見えないことへの劣等感が募っていった。
見えていればなんでもスムーズにこなせるのだと思った。

高校を卒業してからも先生には近況を報告し、数年に一度会っている。先日3年ぶりに再会し、懐かしい昔話に花が咲いた。

「先生、あのうどん屋での話覚えてる?」
「もちろん覚えてるよ。あんな答えるのに困ること聞いてくるのは君ぐらいやったからな」

実はあの話には続きがあると教えてくれた。

「さっと伝票が掴めても掴めなくても、そんなこと大したことちゃうやんて思ってた」
「なんであのとき言ってくれへんかったん?」
「そしたらまた君の話長くなるやろ」

笑いながら話した。「大したことじゃない」というのは、視覚障害を軽く見ているという意味ではない。どういう意味なのかは、これから経験を積み重ねて考えてほしいと思ってくれていたのだと今なら分かる。

盲学校を卒業し、大学に通うようになった私はたくさんの目が見える友人ができた。私に声をかけてくれたきっかけは白い杖を持っていたことだったかもしれない。そこから好きなアーティストの話、授業の話へと広がり友達へと関係が育っていった。もちろん仲良くなった人ばかりではない。一度きりで離れた人もいれば、しばらく一緒にいて離れた人もいる。人間関係を積み重ねていくうちに、経験として分かるようになった。うどん屋の伝票がパッと掴めなくてもいいやんか、と。どこにあるか分からなければ「伝票取ってもらえる?」とお願いすればいい。私が声をかける前にさっと手渡してくれる人もたくさんいた。一人でなんでもそつなくこなすことではなく、たくさんの人と関わっていく中で障害に寄って困ることがあれば、どう工夫していくのかが大切だと分かった。誰かと仲良くなるきっかけが何であれ、そこからどう人間関係を育てていくかが大切で、障害の有無は関係ないのだと今なら分かる。

「高校生の頃の私、危なっかしくて見てられへんかったでしょ?」
先生に言うと
「そうやな。でも、君ならきっと大丈夫やって思ってたんやろな」
答えてくれた優しい声は、18歳の冬にうどん屋で聞いたときと同じように私の心にまっすぐ届いた。

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