言葉でつむぐ沖縄の海
これまで2回、沖縄を訪れた。
一度目の高校の修学旅行は、企画からインパクトがあった。担任の先生は私たちに
「修学旅行、どこに行きたいか自分たちで決めてみ」
と言った。どうせ行くなら遠いところ、という単純であほな私たちは
「先生、海外がいい!」
と言ったのだが、当時の規定で海外は難しいとのこと。じゃあ、北海道か沖縄にしよう、ということになり沖縄に決まった。インターネットが少しずつ普及し始めていたとはいえ、目が見えない私たちには「自分で情報を集める」手段がまだまだ限られていた。私たちが挙げた行きたい場所や、沖縄の歴史など、先生たちが本で読んでくれたことをよく覚えている。
迎えた修学旅行。先生がホテルの窓から海に沈む夕日が見えると話してくれた。
「すごいきれいわ」
という先生に私は
「何がどう『きれい』なんか言葉で教えて」
と言った。
「まった君はややこしいこと言うなぁ」
笑いながら説明を始めてくれた。海の色、空の色、夕日の色。それらが時間に寄ってどう変わっていくのか丁寧に教えてくれた。
「夕日と海の境目の色がどんどん変わっていくねん。さっき見たときと今ではもう違う色になってる」
説明を聞き終わった私が言ったのは
「全然わからんわ」
だった。先生は
「わからんか」
と言っていた。先生の言葉をただ聞いていただけの私は、言葉から広がるイメージを感じたいという気持ちがなかったのかもしれない。それが「わからんわ」という言葉になったのだ。一生懸命説明してくれたのに、失礼な話だ。
次に訪れたのは、大学時代の友達との二人旅だった。5泊6日で沖縄本島から船での宿泊を経て、石垣島、竹富島に泊まって本島に戻ってくるスケジュールだ。高校生のころから4年が経ち、パソコンが使えるようになった私は、観光地や民宿を調べ、予約の電話をする係だった。現地に行けば地図を見てもらったり、誘導してもらったりと友達にやってもらうことが多くなるので、行くまでのことは私が担当したいと伝えた。船や飛行機の時間を調べ、民宿のホームページから流れる三線の音に気持ちは盛り上がっていった。
真夏の沖縄で最初に感じたのは「太陽が近い」だった。これまでにない強い日差しを感じた。旅行の中盤に訪れた竹富島。水牛車がのんびりと三線の音を響かせながら通り過ぎて行く。沖縄便があちこちから聞こえ、吹き抜けていく風に塩のにおいが混ざる。砂利道を友達と並んで歩き
「赤瓦の家があっちこっちに見えるわ!シーサーもおるで!」
「これが私らのイメージしてた沖縄やん!」
喜びながら民宿に向かった。
夕食の時間は他の宿泊者と座卓を囲んだ。隣の部屋では、民宿の家の子供たちがテレビを見ていた。
「どこから来たんですか?」
「私たち神戸から来ました」
「僕は秋田から来たんですよ」
初対面の人たちと会話を交わしながら、おいしい島料理をいただいた。中でも魚でだしをとったあら汁は、これまでの人生で食べた味噌汁の中で一番おいしかった。みんな早々に食事を終えて
「行ってきます」
と部屋を出て行くのだ。民宿の方に聞いてみると、近くに夕日が見える絶景スポットがあるとのこと。海に沈む夕日を見にみんな出かけて行ったのだと教えてくれた。
「私たちも行こう!」
ご飯を食べ終え、二人で海へと向かった。
「うわぁ、すごいきれい!」
波の音と友達の声が重なった。
「あ!カニがおる!」
友達はカニを追いかけて離れて行った。砂浜に座って波の音に耳を傾ける。夕方でもはっきりと感じられる日差しがまだ日が暮れていないことを教えてくれた。
「私もこの景色が見たい!」
強く強く思った。これほど何かを「見たい」と思ったのは初めてだった。見えたらいいのに、と思うと涙が出てきた。
「カニどっか行ったわぁ。えっ!?どうしたん?」
戻ってきた友達は泣いている私を見てびっくりしていた。
「私もこの景色を見たいなと思って」
思いをそのまま言葉にすると
「うちも見せてあげたい。一緒に見たいなって思うよ」
言いながら彼女も泣いていた。そこから、ホテルで先生がしてくれたように、目の前に広がる景色を言葉で説明してくれた。実際に見ることはできなくても
「なんて言ったらいいんやろな」
「どうやったらわかるかな?」
言葉を選びながら伝えてくれた気持ちは届いた。このエピソードは友達の結婚式で友人代表のスピーチをさせてもらったときに話した。先生が同じ景色を共有したいと思ってくれた気持ちもよくわかった。沖縄という場所で先生と友達が伝えてくれた海。20年以上経った今でも心の中に残り続けている。
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