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【岩下温泉旧館】明治の半地下浴室と山梨最古の温泉

はじめに

 山梨市に所在する岩下温泉は山梨最古の温泉と伝わる28度の冷泉(霊泉)があります。また旧館といわれている建物は1875年(明治8年)頃の建築で、2016年(平成28年)に登録有形文化財に登録されています。浴室は明治大正時代の温泉に見られる半地下の造りとなっており、立ち寄り湯として気軽に入ることができます。

電話と集配ポストがある

岩下古墳群

 岩下温泉は、山梨市(上岩下地区)に位置しますが、笛吹市春日居町(下岩下地区)とのほぼ境のため、最寄り駅はJR春日居町駅になります。周辺は岩下古墳群と呼ばれ古墳時代後期の古墳が5基(天神塚、牧洞寺、山寺、観音塚、長源寺前)あります。とくに旅館の西隣の走湯そうとう神社が建つ天神塚古墳と100メートルほど離れた牧堂寺の裏手の牧堂寺古墳は大型の横穴式石室が残ることで有名です。

周辺の桃畑とぶどう畑

 岩下温泉の周辺は民家と畑です。道も狭く旅館は岩下温泉一軒のみです。もともと地域の共同浴場だったものを宮本近吉が明治の初め(別の資料では昭和17年とも)に譲り受けて温泉旅館にしたのが始まりです。また昔からこの温泉は「病を治す温泉」と呼ばれていたそうです。  
 現在は新館が宿泊客の宿となっていて、旧館のほうは立ち寄り湯のほか、20時以降は宿泊客の貸し切り利用として現役です。

岩下温泉新館
岩下温泉旧館

岩下温泉旧館

 立ち寄り湯は500円で利用できます。先に新館のフロントへ声をかけてお代を払ってきます。フロントで入り方の説明をしてくださいます。ただ、残念なことに半地下の浴室は工事中とのことで、それでも内湯は同じ冷泉(28度)と加温した温泉(40度)に入れるとのこと。
 ちなみに、車で来た場合も新館へ行って建物裏の駐車場へ停めます。ただこの駐車場は5台程度しか置けないうえに手前に掛かる橋が狭いため、少々難儀します。

 さて、旧舘の建物は、奥に温泉棟、前方に玄関棟を合わせた作りになっています。温泉棟が、1875年(明治8年)頃の建築と伝わっており、玄関棟は1942年(昭和17年)に増築されてます。
 表から見えるのは立派な趣の玄関棟です。屋根の鬼瓦には「湯」の文字が見えます。また投函用のポストと公衆電話もあります。地域の中心的建物だったことが伺えます。

旧館を道路から見る
ガラス戸の玄関

 玄関には開閉式の下足箱があり、靴を入れて、受付のまえを通り奥の温泉棟へ向かいます。

旧館玄関にある受付

 火鉢がカウンタの前にありますが、昔はこうして室内を温めて客を迎えていたのでしょうか。

カウンタのすぐ横に火鉢と土瓶

 玄関棟の二階には座敷があり少し前までは休憩用に使えたようですが、現在は立ち入りできません。

二階への階段

 温泉棟は廊下の奥です。半地下の浴室とタイル張りの浴室の内湯があります。廊下は薄暗く、床は歩くとギシギシと音がします。二階は宿泊に使用していたのでしょうか。こちらも二階へ立ち入ることはできません。

浴室へ向かう廊下

 反対側から廊下を撮りました。小さい玄関があります。こちらが温泉棟の玄関で玄関棟が作られるまでの玄関だったようです。

廊下の反対側から
温泉棟の玄関

 廊下の棚にはこの旧館で写された昔の写真が飾ってあります。また古そうなワインの空ボトルが並べてありレトロな雰囲気に一役買っています。

古い写真が並ぶ
空のワインボトル

半地下の浴室

 前述のように半地下の浴室は工事中ではいれませんでした。ゴールデンウィークまでには再開するのではないでしょうか。

椅子が置かれ立ち入れない

 天井は低く廊下からは体をかがめて段差を下りる形になります。2000年代初めまで混浴だったようですが現在は板塀で男女に仕切られています。奥には湯権現を祀った祠があります。下記画像は、山梨の情報ポータルサイトPORTA様から画像を拝借しております。

半地下の霊泉 出典 : PORTA

 明治大正の時代の温泉宿の浴室はこうした半地下に置く作りが各地にあったようです。半地下に作ることで地表に湧出した源泉を浴槽に溜めることができます。当然源泉かけ流しです。ポンプの無い時代の知恵です

冷温の内湯

 内湯にも28度の冷泉(霊泉)のほか、40度に加温した浴槽があります。源泉かけ流しです。アルカリ性単純温泉(pH9.0)で無味無臭、硫黄系が苦手でもこれなら大丈夫です。飲用もできます。

成分等の掲示届

 脱衣所も年代を感じる空間です。脱衣カゴが並ぶだけで鍵のかかるロッカーはありません。そもそも一度に大勢入れるほど広いわけではなく、入浴でなければ人もここまで来ません。

一段高くなっている空間も
天上からの照明

 洗い場に2つ、シャンプー、リンス、ボディシャンプーはありますが、シャワーはありません。水だけ出るシャワーが1本だけあります。

 二つの浴槽
湯口
二つの浴槽

 壁に、入浴法を説明した「温泉ねこ」のイラストが描かれています。
こちらの名物キャラクターのようで、バスタオルも販売しているようです。

温泉の入り方
温泉の入り方(続き)

①入浴前に水を一杯飲みましょう。
②まずは温かい湯舟にゆっくりと。
③タオルをくるくるっと巻いて半地下の霊湯へ移動。
④脇の下に手を入れて霊湯に。
⑤交互湯を3~5回。足湯、手湯も効果的。

 実際には内湯で3回くらい交互に入っていると体が冷泉に慣れてきます。それから半地下の浴室移動するようです。けっこう有名な話ですが、脱衣所がないため、内湯からタオルを巻いて廊下を横切って行く形になるのです。
 奥側の女湯は衝立がありますが、手前側の男湯の脱衣所を出ると廊下から丸見えになります。とにかく移動するためにはタオルが必須です。

女湯の脱衣所ですら廊下は衝立一枚

山梨最古の温泉

 さて、岩下温泉は1700年の歴史を持つ山梨最古の温泉といわれています。
 浴室の前に掲げられた由来によれば、西隣の走湯そうとう神社は湯の神で湯権現が祀られています。金櫻神社の縁起に走湯神社の名があり、金櫻神社は13代天皇である成務天皇の時代に成立したとの記録があることから岩下温泉は少なくとも1700年以上前から存在していたことになるとあります。ちなみに成務天皇は『日本書紀』に依る人物で実在は定かではありません。

最古の由来

 まず、金櫻神社といえば甲府の名勝地昇仙峡にあることで有名です。金峰山(御岳)山頂が本宮で、昇仙峡にあるのは里宮になります。歴史は古く平安時代の法律などをまとめた延喜式えんぎしきの中の神名帳に載っている神社です。
 一方、岩下温泉の由来の金櫻神社は昇仙峡ではなくて、里宮のひとつである山梨市の万力金櫻神社のことです。
 江戸時代の甲府勤番松平定能が編纂したと伝わる『甲斐国史』にも万力金櫻神社について「万力村鎮座大宮権現は成務天皇の御宇鎮座の神社是なり其の後落合の白山・熊野堂の熊野・岩下の走湯・別田の箱根を配祀して五所権現と称す」と記述があります。
 金櫻神社は成務天皇の時代からあり、走湯神社も一緒に祀ったと解釈できるのが、1700年前の由来なのでしょう。しかし、「其の後」とあるのが少し気にかかります。それでも『甲斐国史』に「岩下の地に霊泉あり」の記述もあるため江戸時代にはすでに知られていた温泉であることは間違いないのです。
 また、走湯神社は「天神塚古墳」の上にあります。この古墳は考古学的には6世紀後半から7世紀初頭の古墳時代後期の古墳ですので、その上に建つ神社が1700年前の創建では辻褄が合わないのです。でもそこには、ちゃんと理由がありました。種明かしは次節で述べます。

 ところで山梨県内には「世界最古の宿」もあって、早川町の西山温泉慶雲館がギネス認定されております。702年(慶雲2年)といいますから飛鳥時代の開湯です。ギネス認定の経緯を承知していないので、軽率なことは申しませんが「最古の温泉」ではなく「最古の宿」となっております。

西山温泉慶雲館 出典 : 早川町観光協会

 「山梨最古の温泉」と「世界最古の宿」は争いにもなっていないのでとくに目くじらを立てずに、細かいことは置いておきます。

岩下温泉旧館(続き)

 温泉と冷泉を交互に入ると冷泉でも出たあとはポカポカと温かいです。玄関の奥に小さな休憩コーナーがあり、少しくつろいでいきました。

レトロなモノが並ぶ休憩コーナー
登録有形文化財

 大きな柱時計、蓄音機、山梨市出身の漫画家の色紙、誰だか分らぬプロ野球選手のサイン色紙どれもいい雰囲気を出しています。

蓄音機とビクター犬
近鉄バファローズの選手、1991年12月17日
「ど根性ガエル」の作者はご当地の出身
「桃山が 山火事となり 崩れ咲き」のほうはどなたでしょう

 またこの旧館の前で撮った旅館の家族写真が置いてあります。

古い写真など

 また、外には投函ポストと公衆電話がありますが、さらに民俗資料館で見かける昔の農機具やはかりなど置いてあります。
 まず、唐箕がありました。回転部で風を起こして籾殻や藁を飛ばして分ける道具です。回転部の羽根は3枚羽根と4枚羽根があるのですが確認するのを失念しました。

唐箕

 こちらも、籾殻を飛ばすための道具で、ハンドルを回せはファンがくるくると可動して風を起こしてくれます。

籾殻飛ばし

 こちらは水車に使われた歯車でしょうか。

歯車

 気になるものが沢山ありますが、とにかくここには宿の人がいないので分からないことだらけです。

走湯神社

 新館の西隣にある走湯神社です。ちょうど桜が満開でした。天神塚古墳の上にありますが、石室を見るのを失念しました。

走湯神社、天神社と併記

 さて、古墳の上に建つ神社が1700年前の創建である種明かしです。
 この地域はもともと山梨郡「岩下」でした。詳しい事情はわかりませんでしたが「上岩下」(現山梨市、岩下温泉)と「下岩下」(現笛吹市春日居町)に分裂しました。そのとき、走湯神社の奪い合いが起きています。最終的にはそれぞれに移されました。つまり、上岩下の走湯神社が置かれたのは1921年(大正10年)のことで、さらにこの地は古墳の上で1601年(慶長6年)に創建された天神社もあり、「走湯神社 天神社」と二つの神社の併記になっています。もうひとつの下岩下の走湯神社は江戸時代後期の1766年(明和3年)に笛吹市春日居町の現在地に置かれました。では分裂前の走湯神社の位置はというと、定かではありません。金櫻神社の縁起がいまは裏付けということのようです。

走湯神社の桜と新館の建物
新館の駐車場から

おわりに

 今回は「温泉」「建築」「伝承」と複数テーマを含んだスポットの紹介になりました。
 残念ながら半地下の温泉に入れなかったので、いずれもう一度訪れようと思います。
 駐車場では猫ちゃんが車の下で昼寝をしていました。筆者が来たことであわててどこかへ逃げてしまいました。リアル「温泉ねこ」にも会えましたので、次には、温泉ねこグッズを購入しようかと思いながら上岩下を後にしたのでした。

温泉ねこエコバック 出典 : 岩下温泉旅館HP


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