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【山梨県立文学館】企画展「我が筆とるはまことなり-もっと知りたい樋口一葉」を見に行く

はじめに

 甲府市の芸術の森公園にある山梨県立文学館(以下、文学館)では、9月に入り、新たな企画展「樋口一葉 生誕150年 我が筆とるはまことなり-もっと知りたい樋口一葉」(2022.9.17~11.23)が始まりました。
 山梨に訪れたことのない一葉ですが、両親は現在の甲州市の出身のため、山梨とゆかりの深い作家として扱われています。
 生誕150年の節目となる今年は新たな視点を加えた一葉展となっています。
 なお、文学館の概要については拙稿をご覧ください。

屋外の気になるもの

 文学館のある芸術の森公園で筆者が少しだけ気になったものを紹介します。今回は彫刻と句碑です。
 まず、船越保武《花を持つ少女》です。船越は晩年右半身が不自由になり、左手で作品を作り続けた彫刻家です。このは作品は、あどけなさの残る少女の立像です。

船越保武《花を持つ少女》1966

 次に、吾妻兼次郎《YU-5》です。日本人として初めてバチカン美術館に収蔵された彫刻家です。この作品はキノコや植物をイメージしたものといわれています。

吾妻兼次郎《YU-5》1986

 奥に俳人飯田蛇笏の句碑があります。高浜虚子を師事して『ホトトギス』などで活躍しました。俳誌『雲母』の主宰でもあります。

飯田蛇笏「芋の露連山影を正しうす」

 手前には飯田龍太の句碑があります。飯田蛇笏の息子で、俳誌「雲母」を継承しました。「水澄みて四方に関ある甲斐の國」は、周囲を山々に囲まれた甲斐の風土を川が澄みきって感じられる秋に思いを重ねたものです。

飯田龍太「水澄みて四方に関ある甲斐の國」

 文学館の前にアントワーヌ・ブールデルの作品があります。フランスの彫刻家で国立西洋美術館の《弓をひくヘラクレス》の作者です。この《叙事詩》はポーランドにある独立の詩人ミスキエヴィッチの記念碑の一部分からです。

アントワーヌ・ブールデル《叙事詩》1917

樋口一葉 生誕150年 我が筆とるはまことなり

 「樋口一葉 生誕150年 我が筆とるはまことなり - もっと知りたい樋口一葉」(2022.9.17~11.23)と長いタイトルです。
 今回の訪問はこの鑑賞が目的です。
 一葉は結核のため24歳の若さで亡くなっていますが、会期最終日の11月23日が一葉の命日です。

エントランス

 文学館の見学者はもともと少ないのですが、一葉の企画展の時は普段より見学者が多い印象です。
 チケットカウンターで受付を済ませ、2階へ進みます。

階段を上ります。横にはミュージアムショップ

 一葉展は、2階特別展示室で行われています。
 文学館では節目ごとに一葉展は行われてきました。今回の一葉展の注目ポイントが2つあります。
 1つ目は、歌人としての一葉に焦点をあてているところです。一葉は14歳の時に、歌人中島歌子の主宰する「萩の舎」(はぎのや)に入門しています。
 2つ目は、現代のSNSなどのアイテムがあれば一葉はどう作品を表現しただろうかという「暇口一葉現代化プロジェクト」の紹介です。
 小説の草稿、和歌の詠草、書簡などおよそ80点の展示です。
 展示室の撮影はできませんので、おおよその説明になります。

展示室入口のボード


チラシの表面
チラシの裏面

ルーツは甲州

 展示は、一葉の両親が山梨で暮らした時代から始まります。
一葉の父・則義と母・たきは、大藤村の中萩原(現在の甲州市塩山中萩原)の出身です。則義は学問好きで、慈雲寺(甲州市塩山)の寺子屋で学びました。そこで近くのたきと恋仲になるのですが、家格が違うことで結婚を許されず、二人は駆け落ちして江戸に出ていきました。
 幕末の江戸で則義は、「武士の株」を買うことで武士の身分を得ています。しかしすぐに明治維新となり、下級役人として勤めています。

一葉の生涯

 一葉は、本名をなつ、1872年(明治5年)樋口家の次女として生れました。11歳で青梅学校小学高等科第4級を一番の成績で卒業しますが、母から進学は許されず、以降、学校教育は受けられませんでした。
 この小学高等科第4級の卒業証書が展示されています。(上記チラシ裏面に画像)

 兄が病死し、その頃父は警察の仕事をしていましたが退職し、退職金で始めた事業は失敗うえ、その後父も病死となり不幸が続きます。一葉は、17歳で戸主となり一家の生計を担うことになりました。
 展示には、戸主の届の書類などが展示されています。

 一葉は一家を養うために小説家を志しますが、思うようにはいきませでした。19歳の時、知人の紹介で、新聞記者で作家の半井桃水(なからいとうすい)を訪ね、小説の指導を受け始めたことが転機になります。
 徐々に雑誌や新聞に小説を発表できるようになったものの、少ない原稿料だけでは生活は苦しいものでした。
 展示には、一葉の文机のほか硯や筆筒、髪飾り、着物なども展示されています。(上記チラシ裏面に画像)

 21歳の時、生活は依然苦しいなかで作品を次々に発表しています。「たけくらべ」「ゆく雲」「にごりえ」など代表作がわずか1年余り間に世に出ています。この時期を「奇跡の14か月」と呼ばれていますが、その後、結核により1896年(明治29年)11月23日、24歳の短い生涯を閉じるのです。
 展示では、これら作品の草稿が展示されています。

 一葉の27回忌となる1922年(大正11年)、両親が知り合った寺小屋のあった慈雲寺の境内に一葉の生涯をしのぶ「一葉女史碑」後に建てられています。撰文は幸田露伴、賛助者として、田山花袋、森鴎外、与謝野晶子らの名前が刻まれています。

一葉女史碑、「山梨近代人物館HP」より

 また、現行の5千円札の記番号の1桁のものが展示されています。「A000006A」となっていて山梨県に配布されたものです。ちなみに「A000005A」が塩山市(現在の甲州市)に配布されています。

歌人なつ

 この一葉展では、歌人としての一葉について焦点をあてています。歌人「なつ」「なつ子」についてゆかりの品や写真などを紹介しています。この展示からは小説を書く前段階として短歌が一葉にとって身近な表現手段であったことが分かります。
 母から学校教育を反対された一葉ですが、学問を続けさせてやりたいという父の気持ちから、14歳の時、歌人中島歌子(1845年~1903年、弘化元年~明治36年)の主宰する「萩の舎」に入門することになります。ただし、萩の舎は弟子が1000人もいて、ほとんどが上流階級の子女だったようです。
 一葉は才能と人柄が認められ内弟子となり、助手を務めるようになりました。ちょうど父が亡くなり経済的に苦しい時代に住み込んで助手として働いていたことになります。ただし実際は雑用係のようで、歌の稽古に励むことはできなかったと言われています。およそ1年で助手を辞めて、小説執筆を志しています。

令和の時代に一葉がいたら

 2つ目のポイントとして、令和の時代に一葉がいたらと仮定したものです。山梨県都留市にある都留文科大学のゼミ学生さんたちの「樋口一葉現代化プロジェクト」の研究の紹介です。
 現代のツールやアイテムなどで、一葉の創作活動はどうなるのかを仮定して再現したものです。次のようなものがありました。
・インスタグラム化した一葉の日記
・ラノベ版(ライトノベル版)「たけくらべ」
・一葉のツイッターアカウント
・「たけくらべ」美登利のツィッターアカウント
・一葉のLINEメッセージ
・現代語訳した一葉の書簡

一葉の生きた明治時代

 展示室を出るとパネル展示として山梨に残る明治時代の建築と一葉と同時期に活躍した山梨の人物を紹介しています。
 建築は疑洋風の学校建築である藤村建築や、教会の建物です。
 人物は甲州財閥と呼ばれた経済界の人物、医師、教育者などです。

パネルは肖像権で不可の人物が映らないよう撮影

 藤村記念館と洋風建築については拙稿もご覧ください。

今に生きる一葉

 閲覧室では、企画展に合わせて一葉に関する書籍を一堂に紹介していて、手に取ることが出来ます。パネルなどに使われている一葉のキャラクターがかわいいです。
 おおよそ次のテーマで取り揃えてあります。
 ・一葉と甲州について扱った書籍
 ・一葉掲載の明治期の雑誌
 ・一葉の作品、原文や現代語訳など
 ・一葉を扱った、絵画、舞台、映画に関する書籍
 ・一葉を登場人物とした小説作品

閲覧室の入口

 甲府駅の北口にある山梨県立図書館にも一葉のミニコーナーが開設されていて、同じ一葉キャラクターが登場しています。

おわりに

 東京で生まれた一葉は、一度も山梨へ訪れていないはずです。しかし、「ゆく雲」では、父母の故郷である大藤村出身の学生を主人公に、彼が帰郷するなかで山梨の情景を描くなどしています。冒頭は酒折の宮から始まり、塩山、勝沼、甲府、小仏峠、笹子峠など甲州街道の地名のほか名所が次々と登場しています。当時は馬車を乗り継いで移動でした。
 中央本線が甲府まで開通するのは一葉が亡くなってから12年も先の1903年(明治36年)です。一葉が長く生きていれば、経済的にももっと楽になりいつか鉄道で郷里を訪れていたのではないでしょうか。

 酒折の宮、山梨の丘、塩山、裂石、さし手の名も都人の耳に聞きなれぬは、小仏さゝ子の難処を越して猿橋のながれに眩めき、鶴瀬、駒飼見るほどの里もなきに、勝沼の町とても東京にての場末ぞかし。甲府は流石に大厦高楼、躑躅が崎の城跡など見る処のありとは言へど、汽車の便りよき頃にならば知らず、こと更の馬車腕車に一昼夜ゆられて、いざ恵林寺の桜見にといふ人はあるまじ。

樋口一葉「ゆく雲」の冒頭



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