うそ~谷川俊太郎~

4連休のおかげで曜日感覚を忘れてしまい土曜日に投稿してたのが日曜日になってしまっていた…💦

最近 谷川俊太郎の詩と久しぶりに出会い改めて詩の短くても伝わることや考えさせられることの言葉の凄さを感じた。

小学校の頃、"朝のリレー"が教科書に載っていて今でも記憶に残ってるぐらい。私にとって自分の国以外の人々の生活を初めて意識するようになったきっかけだった。

今回 出会った詩は

うそ
ぼくはきっとうそをつくだろう
おかあさんはうそをつくなというけど
おかあさんもうそをついたことがあって
うそはくるしいとしっているから
そういうんだとおもう
いっていることはうそでも
うそをつくきもちはほんとうなんだ
うそでしかいえないほんとうのことがある
いぬだってもしくちがきけたら
うそをつくんじゃないかしら
うそをついてもうそがばれても
ぼくはあやまらない
あやまってすむようなうそはつかない
だれもしらなくてもじぶんはしっているから
ぼくはうそといっしょにいきていく
どうしてもうそがつけなくなるまで
いつもほんとうにあこがれながら
ぼくはなんどもうそをつくだろう

あえてぼくという名称を使いすべてひらがなでの表現、子供目線を最初に強調しているのに最後はうそといきていくと覚悟をするところで終わるのがなんとも違和感を感じて何度も読み直してしまった。

谷川俊太郎さんの詩はいつも本質をついてきて見て見ぬふりしてきたものを目の前にさしだされるような感覚になる。

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