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【‘‘倍速視聴’’による映画論】

-何故、若者は映像コンテンツを倍速で見るのか?『映画を早送りで観る人たち』を読み感じたことについての考察-

1.倍速視聴に見る、映像作品と鑑賞者との関係性について


近年では、NetflixやAmazonprimeによる、映像配信サービスに伴い、映像作品を倍速視聴する習慣というのが根付いてきているということを『映画を早送りで観る人たち』稲田豊史さんが記された本を読み、映像コンテンツによる倍速視聴による問題について、色々と勉強になることがたくさんありました。

若者世代を中心に、映画、ドラマ、アニメなどのコンテンツを倍速、ながら見、短尺化して、自ら作品の風景描写、会話のないシーンを中心に飛ばし見することが当たり前になってきてしまっています。

倍速視聴によって、作品の印象、ストーリーの味わいというものが半減してしまい、楽しむ為の映画鑑賞というものが楽しめないということが起きてしまいます。

20代の全体、私もその世代に分類されますが、倍速視聴する同年代の人たちの心理というものに理解はありつつ、私自身は倍速視聴否定派であり、映像コンテンツというものは純粋に楽しむ為に、常に通常で映画を楽しんでいます。

ですが、全面的に倍速視聴の方々については、私自身は否定しにくい点があります。

何故なら、私自身も映画作品を一度鑑賞した後に、もう一度、作品の内容を確認、振り返りの為に2回目以降は倍速で視聴するからであり、私自身は作品の理解目的に映画作品を倍速にすることがたまにあります。

ニュースや報道などを情報としてのコンテンツとして捉えることは、著者の稲田先生も許容範囲であると主張されています。 

では、映画、ドラマ、アニメなどをどうして倍速視聴するのか?

その目的、理由は以下の3点であります。

①映像作品の供給過多
②「コスパ」を求める若者たちの増加
③すべてをセリフで説明する作品が増えた為

こうした若者世代の特徴としましては、物語の最初と最後が分かれば良い、スマホやタブレットなどで動画を見るような感覚で、映像作品を動画を見る要領で思い通りに自分なりの視聴方法で、快適にカスタマイズ可能な点があり、見心地の良さを追求出来て、特にアニメやYouTubeなどは情報だけを得る為に倍速させ、あえて映画やドラマは倍速しない、あるいはどちらも倍速するという視聴方法をしている方もいるということが本書では紹介されていました。

倍速視聴を越えて、ドラマ、アニメなどを話ごとに飛ばし見するという方もいるということを知り驚きました。

このように、20代を中心に、倍速視聴、10秒飛ばし、ファスト映画というものは当たり前のようになってきているということを痛感させられました。

映像作品をながら見して、映像コンテンツそのものをBGM代わりのように視聴して楽しんだり、考察サイトを読みながら映像作品を鑑賞するといったやり方、また鑑賞目的を明確にしたやり方として、映像作品を鑑賞モード、情報収集モードとして使い分けるという独自の鑑賞方法などは、これまでに意識してこなかったので勉強になりました。

サブスクにより、作品をたくさん鑑賞する機会は増えたものの、作品を純粋に楽しむ為の心は失ってしまったことが言えるのではないかと感じました。

ここ近年によって、映像作品が増えたこと。作品に見られる説明過多傾向によるもの。こうした、外的要因や同世代同士の話題のコミュニケーションツールの目的による内的要因などが倍速視聴の主な理由だということを深く理解しました。

そして、本書で述べられていますZ世代の特徴によるものが、メインテーマとしてコンテンツ消費の現実だということは、年代に見る背景的要因と結び付き納得させられました。

本書で紹介される、リキッド消費による概念、制約からの解放によるものから、こうしたネットの普及、技術進化によって、倍速視聴という習慣といものが一般化されるようになったことは、私たちが今後映像作品を触れる場合には、考え方を見つめ直して映像作品に見る倍速視聴による問題をまた、多角的に考え直していくことこそが、今後の課題であるのではないかと感じました。


【参考文献】
『映画を早送りで観る人たち』稲田豊史 光文社新書


2.映像作品に見る‘‘倍速視聴’’と読書に見る‘‘速読’’との関係性について


映像作品における、倍速視聴というのは映像作品の楽しみを半減させる、あるいは倍速によって、作品そのものがまた、違ったものへと変容してしまう恐れがあるのではないかと本書を読みながら感じました。

映像作品、そして文学、小説に求められるストーリーというものを倍速、あるいは要約サイトなどで解釈することで本来あるべき、作品そのものがまた違ったものの解釈とともに、そういった謝った解釈というものがSNSによって伝達されてしまう可能性があるのではないかと思われます。

物語にしか得られることがない、登場人物たちの会話の絶妙な間、あるいは空気感、作品独自に見られる余白を倍速によって無理やり埋めてしまうことが考えられます。

読書においては、ビジネス書や学術書などの知識を大まかに収集する場合は、速読は効率的でかつ合理的であると考えられます。

小説を読む楽しみをファスト映画の感覚と同じく受容するべきかと問われれば、判断し難いものがあると考えられます。

倍速で得られるものは、作品の知識による情報ぐらいだけのものであり、楽しむことを除外させた鑑賞方法に過ぎないことを理解しました。

本書でも紹介されている鑑賞方法の一つで、好きな映画監督や脚本、映画作品の変遷というものを追いかけたり、同時代の映画の潮流を意識しながら観たり、体系的に映像作品に触れることによる批評的視点を獲得出来るという点においては、読書にも応用させることが出来るのではないかと思いました。

もちろん、これは映像における倍速、読書における速読を視野に入れないことを前提として私自身はとても勉強になったと関心させられました。

ですが、情報を大量にインプットさせて、知識を体系化させることは倍速、速読であっても有効であると考えられます。

Z世代に見られる世代の特徴としましては、本書を読みながら、そして読了後も理解出来るものの、納得までは至りませんでした。

知識の体系化を目指すところの着地点としましては、結局のところ外面的なものにしか触れることが出来ないことが言えます。

本質を捉える為には、映画における倍速、読書における速読というものは不向きであると考えられます。

‘‘表面上の知識に触れても、作品の本質に触れることが出来ない’’というのが私なりの答えでもありました。

映像作品に求めるべきもの、文学・小説に求めるべきものの解釈を私たちは勘違いをしているのではないかと考えさせられることがいくつもありました。

作者の作品を倍速、あるいは速読によって、ファスト映画、要約サイトにまとめるといった行動様式を取ることで、オリジナルを自分たちの手で変えてしまい、それを当たり前のように受け入れているといった考え方を見直すことが今後の私たちに求められるべき、課題なのではないかと思われます。



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