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【‘‘言葉の萌芽’’】

ー言葉を紡ぎ、文章に記す以前についてー

これまでに、私はいくつもの記事を書いてきました。

note、Twitterは私にとって、言葉を紡ぎ、文章にして、創作物というものを生み出す為に、必要不可欠な存在である事が言えます。

創作する上で、私はたくさんの人たちとの交流の中で生まれた創作物というものがあります。

何気ない日常会話から、読書にまつわる本の感想、面白かった映画の話、楽しかったこと、悲しかったこと、苦しかったこと、全ての思い出、経験は私がこれまで生きてきた証であると感じます。

私にとって、文章を書くことは苦手なことの一つでもありました。

運動や勉強と同様に、文章を書くことが苦手だった私が今はこうして、文章を記しているというのは信じられないことだと、今振り返ると感じます。

文章を記して、私が書いた拙い文章をSNSを通してきっと誰かが読んでくれているという事実はとても嬉しいことであります。

noteは私にとって、文章を書く喜び、楽しさの機会を与えてくれた素晴らしいコンテンツであるということを痛感しています。

言葉は、人を救ったり、あるいは使い方によっては人を傷付けてしまう諸刃の剣です。

意識的に書いたつもりが、誰かを知らない内に傷付けてしまう。

傷付けてしまった人の心は一生かけても癒えることはありません。

私は文章で人を傷付けてしまうようなことは決してしたくはありません。

ですが、言葉には受け手側によっては感じ方というものが異なります。

本や映画には、人を幸せにしてくれる価値のある言葉が散りばめられています。

私たちはそういった媒体を通して、読んだり、鑑賞したりすることで、大切なものだけを掬いとって価値のある財産として、心に保管します。

心というものは、非常に繊細でガラス細工のようなものであり、少し触れただけでも、ひびが入り割れてしまう恐れがあります。

言葉の萌芽は、時間と共に熟成され、人の心を支える力へと生まれ変わり、どんな文章も、最初は萌芽であるということを意識的に考えるようになりました。

萌芽というものは、文学、あるいは映画、音楽などに内在する元になったもの、すなわちそれこそが、言葉の萌芽であると私は感じます。

私はそういった、言葉の萌芽には様々な色、匂い、形というものが存在するのではないかと思います。

誰しも内面に萌芽を生み出す特性があり、萌芽は自然と色んな価値や経験を吸収し、日々成長していくものなのではないかと感じます。

言葉の萌芽というものは、私自身の造語でありますが、萌芽は自分がこれまでに歩んできた知識や経験の象徴であります。

これから先も、たくさんの物事を吸収していき、言葉の萌芽を成長させていきたいと思っています。

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