鬱病の改善方法-1

私は鬱の専門家ではない。でも、私は専門家って、少し疑っている。なぜなら、習ったことや教科書を、疑うことなく鵜呑みにしている可能性が高いからだ。医学に限らずあらゆるものが日進月歩。だから私も大学で習ってきたことが正しいって、思い込まないように気をつけている。そして『センス』の部分もチェックする。センスが悪いと根本からナンセンスなものとなってしまうので。


ここから私の体験談を少し。

ある友人が辛そうな投稿をあげていた。私が見た感想は、「それ、私には簡単に解ける問題だな」というものだった。なので「今すぐうちに来たら?」とコメントし、実際に彼は24時間ぶっとおしで運転し、東京から熊本までやってきた。偉すぎる判断だ。そうして彼は3ヶ月弱くらい我が家で一緒に過ごし、鬱病の薬もやめれて、死神みたいだった表情も血の気が通り、かなり良い状態まで回復し、帰って行った。


あるご相談に来られた親子さんのお子さんも、2ヶ月ちょっとくらいうちに滞在した。かなり回復し、進路も望む方へ進むことができ、私が問題視していた環境から離れた生活へと舵を切ることもできた。この件に関しても「私には解決できるな」と思えた。理由は、本人もその方が良いとすぐに判断できていたからだ。


2人とも我が家に来ると直ぐに判断し、行動に移した。その直感なのか生存本能なのか早い判断が、決め手になる。私との相性もあるかもしれないし、『ご縁』の要素は確実にある。もう一つのポイント。本人に『自覚』とそれを改善するために『一歩踏み出す行動力』があるか。その要素が無いと、私には無理だ。何事も自覚から始まる。


私がサポートできた鬱病に関するものはたった2件。そもそも鬱病を扱うのは私の範疇ではない。それでも相手は人間であるから、ある程度共通する『呼吸のしやすさ』というものはあって、これらの件も例外なくそれで改善できた。一言で言うなら、『自分の在り方』であり、つまりは自分がどういう『観測者』であるか、というところが重要すぎるほどの重要ポイントなのである。観測者という環境が、つまりは周りにいる人間がどういう目で鬱病当事者を見ているか、がものすごーーーーーーーーーーーーく、重要なのである。90%がそれ、と言っても過言ではない。そして呼吸のしやすい観測者であるものはほとんどいないので、まずは家族から離すことから始まるのだ。



専門家でもない人間の体験と考察に興味があるならば、どうぞ読み進めてください。私は専門家ではありませんが、自閉症スペクトラルゆえの感覚の鋭敏さがあり、普通の人よりも多くの情報量の中、感じて考えて生きております。そういう人間にしか見えてこないものがあります。ただし、全てはケースバイケースである、という前提も置いておきます。


いくつかの重要な要素を並べます


〜まずは環境を整える〜

1.適した観測者 (人間という環境)
2.落ち着ける居場所 (環境)
3.毒素の無い食事 (添加物や農薬など避ける)
4.毒素の無い環境 (あらゆる洗剤やシャンプー、身に着けるものの見直し)

~初期の基本的な過ごし方~
5.やりたくないことをしない、やりたいことをする~最初の約束 (楽しい時間を作る。やりたいことを探る)
6.まずはとにかく休息 (思う存分寝まくる、ダラダラ過ごす)
7.苦しいことと、休息しながら向き合う (過保護過干渉は禁物、本人の力を邪魔しない)
8.薬の代わりになるもの (オヤツは大事)

~回復期に入ったら~
9.本人の選択を尊重(回復と帰還の時期など)
10.動物や子どもとの触れ合い (癒しや社会貢献)

〜観測者としての意識の持ち方・簡易版〜
11.住む漫画を意識する(エネルギーの重さの把握とコントロール)


この記事ではこちらの項目について書いていきます。
〜まずは環境を整える〜

1.適した観測者 ~人間という環境~


量子力学においても、観測者からの影響は大きい。私たちを構成する素粒子は、観測者次第でその動きが変化する。大丈夫だと観測するものの前では大丈夫な動きになり、心配だと観測する者の前では心配な動きをする。どちらも観測者から見た『大丈夫』であり『心配』であり、観測者の主観の元に色付けされたものである。心配する観測者の元で心配される動きを取り続けていれば、「ほらやっぱり心配だ」と心配のループと積み重ねに入っていく。観測者が複数いる場合、より強固になっていく。医者などは観測者という立場ではフラットな心で見ているだろう。


だが家族がフラットな心で見ていることは難しい。観測者としての修行のようなことをしていなければ出来ないのが当然だ。観測者の主観が『大丈夫』なのか『心配』なのか『フラット(そのままをただ見ている)』なのかによって、観測される側の呼吸のしやすさは変わってくる。想像してみても分かるだろう。自分を『大丈夫』だとみてくれている人たちの中で暮らすのと、自分を『心配』だとみてくれている人たちの中で暮らすのとでは呼吸のしやすさに雲泥の差がある。だが多くの人は安易に心配の観測を人に向ける。この習慣をやめていくのが観測者としての修行だ。

真から大丈夫だと思えるようになるには、もう1段階修行が必要なので、まずは人に『心配』を向けないところからできるといい。


適した観測者の条件

『心配』を向けず、『大丈夫』か『フラット』な目を持っておく


修行の例を一つ上げる。私が開いている『天才合宿』でのルールが『ダメを言わず、イヤを言う』なのだが、つまりは『人を否定しない』と言うことと『自身の感覚を大切に扱う』と言うことだ。

これを日々徹底的に行うことは、数年単位の修行になる。私自身ずっとそのスタンスで、そうするとどんどん成長できる。対人に限らず『何かのせいにしない』と、本質的解決方法が見えてくる。全ては自身が動くことからしか解決しない。他者のせいにして他者を動かそうとしても、軋轢が生まれる。自己責任で自身が動く。これができることが、適した観測者になることに繋がる。今直ぐ、すべての否定を止めることだ。そして自身の感覚に対する意識を研ぎ澄まし、ちゃんとアウトプットして望みを叶える習慣も身につけよう。もちろん、簡単なことでは無いが、まず『一歩』踏み出さないことには始まらないし、その一歩一歩を進めていく以外の道は無い。


適した観測者の条件

他を否定せず 自身を大切にできる人間であること


どんな人が人を鬱に追い込むか。要はその人と反対の行であればいい。私が知る人を鬱に追い込む方法に『過保護と過干渉』がある。親がこれを子に行えば、子は自身を生きられず支配下にあり、苦しむことになる。


適した観測者の条件

過保護と過干渉は絶対にしない


過保護はいけないが、保護は必要だ。その塩梅が難しくはある。例えば鬱々と苦しそうにしている時、どうにかしてあげたくなるのが人の心だ。だが本人自身が自らと向き合い、苦しみと向き合い、学ぶ必要がある。その邪魔になってはならない。人の学びの邪魔をしてはならない。苦しみも多くの学びを与えてくれる大切な要素の一つだ。ただ、苦しみが続くと人の心身は疲弊する。タイミングをみて、息抜きになるようなことに誘い出すことも必要だ。本人の体調を見て、家での息抜きをするのか、外出しての息抜きをするのか、本人の意思も確認しながら計画して実行する。私がしたものでは、『焼いたパイやおやつを食べながら映画を観るホームパーティー』とか、『ショッピング』とか、友人の手を借りて『ディズニーランドに行く』など行った。

時に、ハグすることもあるが、寄り添うことより見守ることに意識を置いておくのが大切だ。助けようという意識は邪魔だ。彼らには自身を助けられる力があるのだから、それを忘れて邪魔をしないように常に自身の心も見守っている必要がある。


適した観測者の条件

息抜きを提案しつつ、助けず、寄り添わず、力を信じて見守れる


2.落ち着ける居場所  ~身を置く環境~


適した観測者がいる、というのが環境の第一条件である。なぜならいくら休んでもゴロゴロしても気にかける人がいない、という条件下でないと多くの人は真にゆっくり休めない。この真にゆっくりと休みまくりゴロゴロする修行というものにも是非トライしてみて欲しい。


具体例

・適した観測者がいる(過干渉でも過保護でも無い)

・1人になれる個室がある

・子どもや動物のような空気を読まない生き物がいると良い

・食事は作ってもらえるし、自身で自由にも作れる

・必要なものや欲しいものが手に入る

・人が少なく、自然が豊かで散歩するのに心地良い

・やりたいことができて、やりたくないことはやらなくていい


3.毒素の無い食事 ~添加物や農薬など避ける~


鬱の方向けにすべて意図して用意した訳ではないけど、元々我が家は添加物や農薬は極力避けた食事をしている。ずいぶん昔の話になるが、鬱になった友人の腸内環境は酷いものだったと思う。偏った食事、添加物を好む、多量のアルコールを好む、そして重度の便秘であった。健全な心は健全な腸内からだと思う。100%のギチギチな食事管理は逆にストレスを生むので、基本の食事は選んだ良きものとし、おやつは好きなものを食べるなどして緩さも保つのが現代の生活においてはオススメである(不自然な食べ物が無い環境ならベストなのだけど)。添加物や農薬などはダイレクトに病を作り出さなくとも、あらゆる病の強力な要因となっていると私は見ている。取らないに越したことはない。不自然なことはしないに越したことはないのだ。

調味料にも氣を使って欲しい。本物の塩や本物の味噌、あらゆる調味料を本物にして欲しい。手作りできるなら理想的だろう。安かろう悪かろうは不健康をコツコツと確実に作り出す。


4.毒素の無い環境 ~あらゆる洗剤やシャンプー、身に着けるものの見直し~


高校生の時に市販のシャンプー+紫外線の合わせ技で皮膚がかぶれて以来、合成シャンプーは使用していない。皮膚に付着し、太陽にさらされたくらいで皮膚を壊す成分とは恐ろしい。当時母親が利用していた生協のマウス皮膚実験の結果を見てキッパリやめた。美しさに気を使うお年頃でもあったので、キッパリと。

近年においては、匂いが物凄く強い洗剤やシャンプーが販売されるようになった。匂いが強いだけではない。語感が鋭く嗅覚も鋭敏な私は、危険を察知するセンサーが働く。これは毒だと体が教えてくれる。自身が使用せずとも、人の集まるスーパーなどでは使用者が通ったあとの道筋沿いにくさい。屋外であっても、使用者が通ったあとは分かる。マイクロカプセルが使用されているものがそれに該当するようだ。花王、LIONから販売されている製品だ。こちら使用するのはやめて欲しい。勿体無いからと残りを使うことをしないで、捨ててください。使用していた洗濯機にも匂いは付着しています。しばらく取れません。洗濯した衣服の匂いもしばらく取れません。同じ部屋には置けません。それくらい強力な粒が付着しています。やめてからも2ヶ月は匂いが取れないと思っていた方が良いでしょう。におうことだけが問題ではありません。それで行動を制限されている人は少なくありません。小学校で困っている子どももいます。化学物資過敏症を発症することもあります。そうなると本当に生活するのが大変になります。強い匂いで他の人を苦しめる商品を使わなくとも、人にも地球にも優しい製品もたくさんあります。安かろう悪かろうを選択しないでください。体に使うもの、家に使うもの、全てに氣を使ってください。



鬱病の改善方法-2 へ続く


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