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心のライフハック。心楽しく、忍耐する

心楽しく、忍耐する。
私を支えとなっている言葉。
人生の指針となっている言葉だ。


賛否両論あるけれど、オリンピックをとおして頑張っているアスリートの方々の姿を見れることは私は好きだ。
彼らは明確な目標をもって努力し、オリンピックという舞台で競技をしている。
結果が明確ですべての世界において、嬉し涙・悔し涙あるけれど「あぁこの人たちは努力と忍耐してきたんだな」と私はテレビ越しに思う。
好きだ、楽しいだけではいられない世界。辛く、心が挫けそうな時はもちろんあったろう。
けど、忍耐できたんだなぁ、と思う。
我慢ではなくて。

我慢と忍耐。似て異なる言葉だと私は感じている。
辞書をひくと
「我慢」……精神的・肉体的に苦しいことがあっても、意地で凌ぎ通し、弱音をはかないこと
「忍耐」……苦しみ・辛さ・怒りなどを、じっとがまんすること
新明解国語辞典 第5版 三省堂

……ほぼ同じ意味じゃん。って思うけど、辞書に書いてあることがすべてではないので。
『我慢』と『忍耐』の違いは!?
ネットで調べれば、私の拙い文章よりよっぽど上手に解説してくれているのだけれど。
私なりに言えば、希望があるかないか。未来が明るく見通せるのが忍耐で、見通せないのが我慢。

かなり自分本位なんだけど、状況が同じでも自分の心の持ちようによって、我慢になったり忍耐になったりする。
例えば、3歳の娘はこのところ、お風呂に入るまでがなかなかスムーズにいかない。
まだ時計が読めないので、とあるEテレの子供むけ番組が終わったらお風呂にはいる、と1歳ころからの習慣なのだが愚図る。
まだテレビ見てたい!と駄々をこねる時もあるし、テレビはすんなり見終わっても床に寝そべって脱衣所に行こうとしなかったり、はたまた服を脱ぐまではスムーズだったのに風呂場にはいろうとせず真っ裸のままリビングにもどり、おもちゃで遊びはじめたり。
「お風呂はいるよ~」「風邪ひくよ~」「お母さん、娘ちゃんと体キレイキレイにしたいな~」「お風呂はいってから好きなことしていいから」「お風呂場におもちゃ持ってきていいから!」
あらゆる言葉をかけるのだが「まだ!」「やだ!」しか返ってこない。
夕方のこの攻防はそろそろアラフォーになる身には正直つらい。
けれど、少しでも心の余裕がある時は「まぁ、そんな気分の時もあるよね」と肯定的に娘を見ることができ、待ってる間は本読んだり、youtubeを見たりして好きに過ごすことができる。
けれど、そうもいかない時もある。ホルモンバランスが崩れている時などは、どうしても怒りの沸点が低くなりがちなので、少しは待つのだけれどイライラするだけで、比較的短時間で「早くして!」」「いいかげんにしなさい!」とついつい声を荒げてしまう。

娘の自由気ままな反抗行動を、肯定的にとれるか、とれないか。
この差ってなんだろうと夜に1人反省会をしている時に考えた時に、わかったことがある。
自分が我慢しているのか、忍耐しているのかの違いだ、と。
自分のことばかりに目がいってるときほど、我慢になっていて、爆発しやすい。もしくは、蓄積しすぎて大爆発。
活火山なのか、休火山に見せかけての爆発で甚大な被害がでるか。
好きで爆発はしていないんだ。私だって、できれば火山ではなくて穏やかなせせらぎが聞こえる清流になりたい。

そこで自分なりの、心のコントロールを考えた。
辛いなぁ、しんどいなぁと感じる時に、1つ深呼吸して、考えるのだ。
「私は今、我慢してる?それとも忍耐してる?」と。
もし、我慢と感じたら物にあたる。私は布団に顔をうずめて「うぉぉぉ!」とか「いいかげんにしろぉぉ!」と叫ぶ。少しはスッキリするよ。
そして、忍耐してると感じた時は、さらにこう考える。
「ただ忍耐してる?それとも楽しく忍耐してる?」と。
楽しくって具体的にどういうこと?と思えるけど、答えをださなくてもいいと思っている。考えるだけでいい。
脳内に余裕が生まれるのだ。それが心の余裕につながり、ほんの少しでも肯定的に物事を見ることができる。
それが大事。
続けることで我慢より忍耐してると思える割合が少しずつ増えていく。
自己暗示に近いけど、前向きな自己暗示だからいいじゃない!そんな感じだ。

ちょっと偉そうなことを書いてきたけれど、我慢でも忍耐でも確実に蓄積していくものはあるので、他の方法で消化しなきゃやってられないのは現実。
ストレスが溜まりすぎはもちろん悪影響なのは、周知の事実だが、ストレスがまったくないのも人間にとっては成長という意味では問題だそうだ。
生きていくうえで、避けられないなら、心楽しく忍耐しよう。だ。

自分のことを第3者的に客観視する能力って、生きる力だよなぁ、と今更ながら感じている。

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