見出し画像

【連作】元の場所に返してきなさい

来ないはずの明日』→(略)→『ペーパーバタフライ』→(本記事)

 この世には都市伝説と化した鍋が存在する。それは一見、柔らかな橙色に輝く美しい銅鍋だ。蓋の把手に彫られた四葉のクローバーが可愛らしい。

 錆びも焦げもない輝きは、大半の人から賞賛された。しかし、私個人としては「碌に調理器具として扱われていない可哀想な鍋」であった。同時に、恐ろしい代物であることも知っていた。巷ではその鍋を、「『死ぬほど美味い鍋』が作れる鍋」と呼んでいるのだ。錆びも焦げも曇りも傷一つだってないのに、である。
 先生は「ふうん」と鼻を鳴らして「妙だな」と言う。
「死んでしまうほど美味いのなら、食した人間は皆命を落として証言できないのでは。生存者が居ても、その人達は『死ぬほど美味え!』と思わなかったわけで……。そもそも、鍋は食物ではない。調理器具だ」
 そうだけど。そうじゃないんだよなあ! と思いつつ、私は敢えて、先生の言葉をスルーした。だって鍋は都市伝説。生死の真偽など知ったこっちゃない。
 問題は、なぜ都市伝説がアトリエの中心に鎮座しているのかだった。もしやと彼女の顔を覗き見れば、唇が嫌らしく歪んでいる。訊いてみたい。が、訊くには勇気が必要だ。

 私は一呼吸置き、唾液を飲んでから口を開く。

「それ、元の場所に返す気、ありませんか?」

(了)

ここまで読んでもらえて嬉しいです。ありがとうございます。 頂いたサポートはnoteでの活動と書籍代に使わせて頂きます。購入した書籍の感想文はnote内で公開致します。