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大物小物

自分は大物になれないと思う。

なぜって、先に“大物になった時の自分”を想像してしまうから。

行動する前に“その分野で喝采を浴びている自分”を想像(妄想)してしまうのです。

いやぁ、恥ずかしい話なんですけど、これ、小学生くらいからの癖でしてね。

何だか自分がとりわけ“何かの分野に秀でた特別な存在”と思ってしまうわけですよ。

至極楽観的で、おめでたい性格だとはわかってるんですけど、これがやめられない。やめさせてくれ。

例えば、音楽。

中学生の頃からギターを弾いたり、バンドやってたりしてますけど、ギター持っただけで“自分がミュージックステーションでタモさんと話してる映像”が勝手に浮かぶわけですよ。いや、ほんと。「そんなこと言わないでくださいよタモリさ〜ん」とか言って。

それで、にへら〜って笑って満足してしまう(その時点でギターはもう片付けている)

いやー、恥ずかしい。

その、わけのわからない勝手な“満足”が、足止めさせてしまう。

例えば行きたい場所があっても、想像力が先に出発して、現地に到着してしまい、あまつさえ満喫して帰ってきてしまうので、行く必要がなくなってしまうのです。


こうやってnoteなんかに自分の考えや思ったことを書いておりますけどね、

「明日の朝ページを開いたら“スキ”が300件くらいきてて、フォロワーも200人くらい増えてたらどうしよう…」

とか、誰も頼んでもいない、いらない不安が(いや期待か?)がよぎってしまうのですよ。

まだ来てない(来るハズもない)喝采を先に架空の中で受け取ってしまう。

そして、“次にどんな記事を書いたら良いんだろう…みんな期待してるのに変なこと書けないな…”なんて思ってしまって、顔の見えないフォロワーのために、“ウケそうな”文章を書こうとする。

逐一、自分のnoteを開いて“スキ”が来てないか確認する。

そしてため息をば一ツ。


アフォちゃうかーい。

ほんと、人間って欲たかりでだらしないもんです。俺だけか?

思えば、こういう足かせが、自分の成長を妨げていたのだなぁ(チョモランマを眺める登山家の表情)

ツイッターとかフェイスブックとか、noteもだけど、突然ガーッとフォロワーが増えてしまった時って、“今のままの自分”を保てるのだろうか。

顔の見えないフォロワーさんや“数字”とにらめっこして一喜一憂する。それってなんかサモしいよなぁ。

そういう“都合のいい希望的観測”にどう対処したらいいんだろう?

誰かから賞賛の声が届いたとして「フッ、俺は孤独な表現者さ。誰かの賛辞なんていらねーぜ」つって、キザを決め込むか。

「いゃっほーうぃ!やったー!」って、30回くらいバク転して、通りの見知らぬ人たちにハイタッチを求めて喜びを表現すればいいのか。

大物たちは、毎日のように“賛辞”なり“賞賛”を浴びる機会が与えられる(一般人よりは)

どうやって耐えてるんだろう。

ありがとうを言っても言ってもキリがないだろう。

嬉しさが飽和して、辟易してしまうのかなぁ。

全部が賛辞ならいいけど、きっと反対意見や罵倒もいっぱい与えられる、。

クリエイターや表現者って、きっと孤独だ。

大物も小物も。

だから、欠けた何かを埋めるよう、“何か”を作るんだ。

今夜全てのステージの片隅で、同じ孤独を感じているであろうクリエイターの皆様に乾杯。



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