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悪い人

悪い人って、どういう人のことを言うのだろうか。

なんの躊躇もなく他人を殴る人?

私利私欲のために他人のものを盗む人?

拙い人生の中で、“最も悪かった人”がどんな人か思い返してみた。

あんまり思い出せないんだなコレが。

「うっわ、この人わっる〜」

って手放しで思ったことのある人って、なんだかいないんだなぁ。

感情を剥き出しにする人とか、他人を傷つける人とかはいっぱいいたような気がするけど、皆それぞれ、何かの“正当性”や“目的”を持って行動した結果だと思うんだよ。

あからさまに他者に迷惑をかけまくっている人がいたとしても、正当性や目的にスポットを当てると、彼らは“方法”を間違っているだけであって、もともと(そもそも)悪い人ではないんだと思う。

そういう人たちは、なんだか“かわいそうな人”と思ってしまう。

“嫌なヤツ(人ではなくヤツ)”と“悪い人”も違う。

嫌なヤツは、“誰から見て嫌なヤツか”という観点が入る余地があるので、普遍的でない。

“嫌なヤツ”でも人によって“良いヤツ”に変わる場合がある。

そうそう、人って相手に対して“勝手な自分のイメージ”を当てはめて物事を進めようとするよね。

「あの人はやさしそうだ」

「怒ってるの見たことない」

“あの人”が自分のイメージと違う行動を取ったり、想定外のエピソードを聞かされると、

「そんな人だと思わなかった」

「あんなことする人だと思わなかった」

と、“勝手に”落胆する。

勝手に幻想を抱いていたのはあなたの方なので、思い通りにならなかった時に傷ついたり落胆したりしまうのも、あなただけの都合だ。

夏目漱石は「表面上はみんないい人」と言った。

すごい言葉だなぁ。と思う。

本音と建て前を重視する2層構造の日本社会において、人間の“本性”という普遍的でコアな部分が見えづらい。

その人の“本性”を垣間見た時「あぁ、この人悪い人だ」と思うことがある。

“本性”というのは、だいたい隠されていたり見えづらいものだけど、ふとした行為の“隙間”に本性が見え隠れすることがある。

咄嗟に出た言葉。

咄嗟の振る舞い。

“咄嗟”という、ラーの鏡に照らされると、人は本性を現す。

当の本人は、至極当たり前に、自然に振舞っている。つもり。

そんな機微が見えたとき、ゾッとする。

笑顔で、親身を装いながら相手に近づき、己が成した行為が結果的に他人を不幸にしたり、迷惑をかけている。その結果に気づきもしないしわかろうともしない。

咄嗟の瞬間に、私利私欲の権化が垣間見える。

そういう人を、私は“本当に悪い人”と呼ぶことにしている。


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